中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

【対訳】《雲郷話食》を読む: 油条

2011年02月09日 | 中国グルメ(美食)



 油条は、広東では薄く切ったのをお粥の薬味として入れて食べますが、北京では、昔は揚げたてを並んで買って、そのまま食べて朝食にしていたのを憶えています。そういえば、その頃の北京の油条は、あの細長い形で無く、平べったいもので、それを二つ折にして、油紙にくるんでお客さんに手渡していたように思います。しかし、そのような光景も見られなくなってしまいました。総じて、中国の食べ物は、徐々に広東風の料理に席巻されているような気がしますが、油条も同じ運命をたどっているのかもしれません。

■ 看電視,美国洛杉磯華人社会有売油条的,是台湾人,説是有華人的地方,就有豆漿油条。因而想起,油条的確是很好的東西。但是要現炸現吃,吃熱的,一冷就不好吃了。上海几十年来,油条倒是不断,過去是公家売,零售点很少,現在自由貿易,郷下人来上海做生意,新村附近菜場上,弄堂門口,早上売油条的更多了。只是近年早上起得晩,而且要跑出去買,幇忙的阿姨要九点多才来,所以平日很少吃到,因為縦然我跑出去,売油条的也早収市了。只有偶然女婿休息的時候,早上買菜順便買几根,吃一吃。他們住在隔壁,不拿過来,也就算了。春節后請来一位全天幇忙的阿姨照顧病妻,她年紀五十多了,早上睡不着,起得很早,焼稀飯,買油条,三角一根,很大很黄,拿回来還是熱的,就白粥吃,真是人間美味。吃慣了,不久她走了,便自己起早去買,毎吃油条白粥,不由地便想起知堂老人于淪陷第二年冬天写得一首詩:

            禅床溜下無情思,
            正是沉陰欲雪天,
            買得一条油炸鬼,
            惜無白粥下微塩。

・弄堂 long4tang2 上海などでいう横町。(入口に門があり、中に数棟から数10棟以上の住宅がある)
・淪陷 lun2xian4 陥落する。敵に占領される
・知堂老人 魯迅の弟の周作人
・禅床 chan2chuang2 座禅をする時に上に坐る座布団
・油炸鬼 you2zha2gui3 [口語]油条のこと。
 (「油で揚げた鬼」とはびっくりするような名前だが、後に紹介されるように、昔の北京では油条を生地を細長く切って揚げるのではなく、幅広の形状で揚げ、その結果でこぼこの鬼の顔のように見えたのかもしれない。)

 テレビを見ていたら、アメリカ・ロサンゼルスの中国人社会で油条を売る人がいて、この人は台湾人で、中国人の居る所には、豆乳や油条の需要があるのだそうだ。そう言われて考えてみると、油条は確かにたいへんすばらしいものだ。けれども揚げたてを食べないといけない。熱いのを食べないといけない。冷めると美味しくない。上海では数十年の間、油条は無くなったことがない。嘗ては国が売っていて、販売する所はたいへん少なかったが、現在は自由に取引ができ、田舎の人が上海に出てきて商売をするのに、ニュータウンの近くの市場や、横町の門の入口で、朝、油条を売る人が多くなった。ただ最近は朝起きるのが遅くなり、走って買いに行かないといけないし、お手伝いのおばさんは九時過ぎにならないと来ないので、普段はめったに食べられない。というのも、たとえ走って買いに行っても、油条売りはとっくに店じまいしているからである。たまたま娘婿が休みの時、朝、野菜を買いに行ったついでに何本か買ってきてくれるので、ちょっと食べる。彼らは隣に住んでいるので、持ってきてくれなくたって、構わない。春節の後、全日サービスのお手伝いのおばさんに来てもらい、病気の妻の面倒を見てもらった。その人は五十過ぎで、朝は寝ていられないので、起きるのがたいへん早く、お粥を炊き、油条を買ってきてくれた。一本三角(一角は一元の十分の一)で、たいへん大きく、キツネ色に揚がっていて、持って帰ってきてもまだ熱く、白粥に付けて食べると、本当にこの世の最高の美味である。食べ慣れてきたところで、彼女はやめてしまった。それで自分で早起きして買いに行き、油条と白粥を食べると、その度に思わず知堂老人が北京陥落二年目の冬に書いた詩を思い出す。

          坐禅をする座布団はつるつるしたままで、精神が集中できない。
          ちょうど、どんよりした曇り空で、いっそ雪が降ってくれた方がいい。
          油炸鬼(北京の方言で、油条のこと)を一つ買うことができたが、
          あいにく、ちょっぴり塩味の付いた白粥が無いのは残念だ。

■ 油炸鬼,白粥微塩,是很好的食品,自甘淡泊,這還是知堂老人未下海前所作,大約成于戊寅年冬日,現在読来,還頗耐尋思。不過我引至此処,只是意在説白粥与油炸鬼或油条早上趁熱吃,是人間美味耳。這里知堂老人用的是油条的数名詞,即“一条”,因為長的,所以叫油条。一般称一根。而北京過去満街都是油炸鬼,是環状的,或菱形的,両頭尖、中間成環状,叫“個”而不能叫“条”。也有小的,炸的時間長,色焦黄,叫“焦圈”。但是没有一根的長油条,我是第一次到天津,才吃到油条,説也奇怪,天津、北京,二百四十里,現在高速公路,一個鐘頭就可以到,真可以説是近在咫尺,但両地風俗就不一様,旧時北京只有油炸鬼,而天津却有油条,而且喝豆腐漿放咸塩,却又没有上海的咸漿,早点舗吃油条、豆漿,毎個卓上放一小碟白精塩,猛一看,還以為是綿白糖呢,我差点一下子倒在豆漿碗中,虧kui1得朋友攔lan2住我……

・下海 元の仕事をやめること。一般には、公務員等の仕事をやめて商売を始めることを言う。
 ここでは、周作人が北京を離れ、南京の汪精衛政権に出仕したことを言うのだろうか?
・戊寅年 ここでは1938年のこと。
・咫尺 zhi3chi3 [書面語]距離が極めて近いこと。咫尺(しせき)。(古代は8寸を“1咫”としたことから)
 [用例]咫尺之間。近在咫尺。
・咸塩 xian2yan2 塩。食塩

 油炸鬼とちょっと塩味の付いた白粥というのは、すばらしい食事で、ほんのり甘くさっぱりしている。これは知堂老人が北京を離れる前の作で、おおよそ戊寅年(1938年)の冬で、今読んでも鑑賞に耐える出来だ。しかし私がここに引用したのは、ただ白粥と油炸鬼や油条は朝、熱々を食べると、この世の最高の美味であることを言いたいだけである。ここで知堂老人が使っている油条を数える量詞は“一条”であるが、それは形が長いからで、だから油条と言うのである。普通は“一根”と数える。一方、北京では嘗て街中が油炸鬼ばかりで、形はリング状、或いは菱形であった。両端が尖っていて、真中がリング状になっているものは、数える時“個”と言い、“条”とは言わない。小さいものもあり、揚げる時間が長いと、色は焦げ茶色になるので、“焦圈”と呼んだ。しかし、すらっと長い油条は無かった。私がはじめて天津に行った時、そこではじめて油条を食べることができた。不思議なことに、天津と北京は、二百四十里(120キロ)離れていて、今は高速道路で一時間で着くことができ、咫尺(しせき)の間と言うことができるが、両地の風俗は異なり、昔の北京には油炸鬼しかなく、天津には油条があった。また豆乳を飲むときに食塩を入れることがあるが、上海の咸漿(塩味のついた豆乳)は無かった。朝食に店で油条と豆乳を食べた時、どのテーブルにも小皿に食塩が入れて置かれていた。さっと見て、白砂糖だと思い、私はもう少しで豆乳の碗の中に入れそうになり、幸い友人が止めてくれた……。

■ “油炸鬼”在北京又叫“果子”,又叫“麻花儿”,著名的《一歳貨声》中記云:“大焼餅、熱油炸鬼――”而兪曲園《憶京都詞》注云:“油灼果,俗称油灼檜,云杭人悪秦檜而作……”不過没有人詳考,只是大家随意叫而已。只不過現北京老式的油炸鬼已很少見到,大多已是上海式,或者叫作江南式的油条為多了,而且大多是外地人在集貿市場上売。几十年来,北京的変化太大了,連油炸鬼也多変成油条了。

  “油炸鬼”を北京ではまた“果子”とも呼ぶ。また“麻花儿”とも呼ぶ。有名な《一歳貨声》の中にはこう記載されている。「大焼餅、熱々の油炸鬼――。」兪曲園《憶京都詞》の注に言う。「油灼果(油炸鬼)は俗に油灼檜と呼ばれる。これは杭州の人が秦檜を憎んで作ったと言われる……。」しかし詳しく検証した人はおらず、皆が好き勝手に呼んでいるだけである。それでも、北京の昔風の油炸鬼はもうほとんど見かけなくなり、大多数が上海式、或いは江南式と呼ばれる油条が多くなった。そして多くは外地の人が交易市場で売っている。数十年の間に、北京の変化はたいへん大きく、油炸鬼も多くが油条に変わってしまった。

■ 上海以及南京、蘇錫杭湖等地,都是一様的油条,只是有大小之分。五六十年代以及七八十年代,上海大餅、油条店先公私合営,后来公営,直到七十年代,還有不少有手藝的老師傅,甜咸大餅、油酥大餅、油条、油糕、粢飯糕、咸漿、淡漿、甜漿,十分斉全,半両糧票一根油条,四分銭。一到蘇州,就是三分一根。価銭没有変化,但自然災害時期,即一九五八年到一九六二年之間,没有売的。自一九六三年之后,経済又穏定,東西増多,油条也有了。不過直到取消糧票前,公私店中総要用糧票買,現在糧票取消,可以随便買。但漲到三角銭一根了,照四分一根算,只上漲了八倍弱。而工資却難同歩按倍数増長,就為難了……上海人過去説人滑頭,叫“老油条”,就是炸過的油条,再炸一遍,現在這種油条没有了。

・大餅 da4bing3 小麦粉を捏ねて平たく焼いたもので、大ぶりで甘くない。
・手藝 shou3yi4 (手工業での職人の)技能、腕前
・粢飯糕 zi1fan4gao1 うるち米を炊いて方形の型に入れて突き固めたものを適当な厚さに切り、ピーナツ油で揚げたもの。一種の揚げ餅。
・滑頭 hua2tou2 ずる賢い(人)

 上海及び南京、蘇州・無錫・杭州・湖州といった土地では、皆同じような油条であるが、大きさに違いがある。5、60年代、及び7、80年代は、上海の大餅、油条店は、最初は国と民間の共同経営だったが、後に国営になり、70年代ぐらいまでは、まだ多くの手先の技能を持った親方が残っていて、大餅の甘いの、塩辛いの、パイ生地のもの、油条、バターケーキ、揚げ餅、豆乳の塩味のもの、甘いもの、何も入れないものと、何でも揃っていて、半両の糧票(食糧切符)があれば油条1本が四分(分は元の100分の一)であった。それが蘇州に行けば、1本が三分だった。値段は変わらなかったが、自然災害の時期、すなわち1958年から1962年までは、油条は売られなくなった。1963年以降、経済がまた安定し、ものが増えて、油条も復活した。しかし糧票が廃止になるまでは、国営でも民営でも買うには糧票が必要だった。現在は糧票が廃止になり、自由に買える。しかし値上がりして1本が三角になった。1本が四分であったのと比べると、八倍弱値上がりしたことになる。一方、給料はそれと同じ比率ではなかなか上がらず、暮らしにくくなった……。上海人は嘗てずる賢い人のことを“老油条”と呼んだ。つまり一度揚げた油条を、もう一回揚げるのだが、現在ではそんな油条は見られなくなった。

■ 外国油条,中国人吃不起,三年前在新加坡,朋友請在一家酒店吃早点,吃現炸的熱油条,我還和炸油条的師傅照了一張像,売几新元一根,合我們的銭二三十塊。虧kui1得現在油条還未与世界接軌,不然,就更難想像了。

・接軌 jie1gui3 “軌”は比喩的に用い、規則、標準のこと。“接軌”で標準になっている、という意味。

 外国の油条は、中国人には高過ぎて食べられない。三年前シンガポールで、友人があるホテルで朝食を奢ってくれた。揚げたての熱々の油条を食べ、私は油条を揚げていたシェフといっしょに写真を撮ったが、油条1本が何シンガポールドルもし、私たちのお金に換算すれば2、30元である。残念ながら油条はまだ世界では一般的な食べ物ではないのだろう。そうでないとこの値段は理解できない。


【出典】雲郷《雲郷話食》河北教育出版社 2004年11月


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