今回の講演では、老舎は、小説や芝居で、人物を書くことの重要性を訴えています。ついつい、ものを書く時は、事件や事物の描写を中心に考えがちですが、実はその考えは間違っていて、人物の行動、心理描写、成長を中心にして、その背景に事件や事物を埋め込むべきだというのです。
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■ 短篇小説很容易同通訊報道混淆。写短篇小説時,就像画画一様,要色彩鮮明,要刻画出人物形象。所謂刻画,并非指花紅柳緑地冗長的描写,而是説,要三言両語勾画出人物的性格,樹立起鮮明的人物形象来。
・通訊 tong1xun4 通信、ニュース。
(本来は、“通信”は主に手紙による通信を指すのに対し、“通訊”は無線やTVなど含め幅広い内容の通信を指す)
・混淆 hun4xiao2 混同する。混淆(こんこう)する。
・刻画 ke4hua4 描写する。浮き彫りにする。
(“描写”は人物だけでなく、景色や風物なども指すのに対し、“刻画”は専ら人物像や人の性格を表す場合に使う)
・花紅柳緑 hua1hong2liu3lv4 [成語]花が咲き、柳が緑の芽をふく。春の情景を表現する決まり文句。
・冗長 rong3chang2 冗長である。くどくて長い
・三言両語 san1yan2liang3yu3 [成語]二言三言。わずかな言葉の形容。
・勾画 gou1hua4 簡単に輪郭だけを描く。スケッチする。
短編小説はニュース報道とたいへん混同され易い。短編小説を書く時は、絵を描くのと同じように、色彩を鮮明にし、人物のイメージを描写しなければなりません。いわゆる“描写”というのは、決して「花が咲き柳が芽吹いた」というようにくどくどと描写するのではなく、二言三言で人物の性格をスケッチし、鮮明な人物のイメージを打ち立てることを言います。
■ 一般的説,作品最容易犯的毛病是:人物太多,故事性不強。《林海雪原》之所以吸引人,就是故事性極強烈。当然,短篇小説不可能有許多故事情節,因此,必須選択了又選択,選出最激動人心的事件,把精華写出来。写人更要這様,作者可以虚構、想像,把很多人物事件集中写到一両個人物上,塑造典型的人物。短篇中的人物一定要集中,集中力量写好一両個主要人物,以一当十,其他人物是囲繞主人公的配角,適当描画几筆就行了。無論人物和事件都要集中,因為短篇短,容量小。
・虚構 xu1gou4 フィクション
・以一当十 yi3yi1dang1shi2 [成語]一をもって十に当たる。寡をもって衆に当たる。一騎当千。
(主に軍隊が勇猛果敢であることを言う)
・囲繞 wei2rao4 取り囲む。取り巻く。
・配角 pei4jue2 脇役
一般的に言って、作品が最も犯しやすい誤りは:人物が多過ぎ、ドラマ性があまり強くないことです。《林海雪原》が人を惹きつけるのは、ドラマ性が極めて強烈であるからです。もちろん、短編小説に多くのストーリーや内容を盛り込むことはできません。ですから、選択に選択を重ね、最も人の心を動かす出来事を選び、そのエッセンスを書くことです。人を書く時はなおさらこのようにしなければならず、作者はフィクションや想像で、多くの人物の出来事を一人か二人の人物の身に集中させることで、典型的な人物を形作ることができます。短編の中の人物は必ず集中しなければならず、集中した力で一人か二人の人物をうまく描き、一騎当千、その他の人物は主人公を取り巻く脇役で、適当に幾筆か描いておけばよいのです。もちろん人物や出来事が如何に集中していようと、短編は短く、容量の小さなものです。
■ 有些作品為什麼見物不見人呢?這原因在于作者。不少作者常常有一肚子故事,他急于把這些動人的故事写出来,直到動筆的時候,才想到与事件有関的人物,于是,人物只好随着事件走,而人物形象往往模糊、不完整、不够gou4鮮明。世界上的著名的作品大都是這様:反映了這個時代人物的面貌,不是写事件的過程,不是按事件的発展来写人,而是譲事件為人物服務。還有一些名著,情節很多,読過后往往記不得,記不全,但是,人物却都被記住,所以成為名著。
・見物不見人 jian4wu4bu4jian4ren2 [成語]物的要因だけ見えて、人的要因が見えないこと
作品の中には、物は見えても人物の見えてこないものがあるのはどうしてでしょう。この原因は作者にあります。多くの作者はいつも腹一杯のお話を用意していて、焦って人を感動させるストーリーを書こうとして、これからペンを走らせようという段になって、ようやくその出来事に関係する人物のことを考えます。登場人物は出来事に沿って行動せざるを得ず、人物のイメージはしばしばぼんやりとして、不完全で、あまり鮮明ではありません。世界の著名な作品は、大抵その時代の人物のイメージを反映していて、出来事の過程を描いたり、出来事の進展に沿って人物を描くのではなく、出来事を人物に従属させます。またいくつかの名著は、内容がたいへん多くて、読んだ後、しばしば話の筋が憶えられないか、完全には憶えられませんが、登場人物はよく記憶に残っており、それゆえ名著となっているのです。
■ 我們写作時,首先要想到人物,然后再安排故事,想想譲主人公代表什麼,反映什麼,用誰来陪襯,以便突出這個人物。這里,首先遇到的問題:是写人呢?還是写事?我覚得,応該表現足以代表時代精神的人物,而不是為了別的。一定要根据人物的需要来安排事件,事随着人走;不要叫事件控制着人物。譬如,关于洋車夫的生活,我很熟悉,因為我小時候很窮,接触過不少車夫,知道不少車夫的故事,但那時我并没有写《駱駝祥子》的意図。有一天,一個朋友和我聊天,説有一個車夫買了三次車,丢diu1了三次車,以致悲惨地死去。這給我不少啓発,使我聯想起我所見到的車夫,于是,我决定写旧社会里一個車夫的命運和遭遇,把事件大乱,根据人物発展的需要来写,写成了《駱駝祥子》。
・陪襯 pei2chen4 引き立て役
・啓発 qi3fa1 啓発(する)。示唆(する)。ヒントを与えて悟らせる
・遭遇 zao1yu4 境遇。(生活上の)不遇、不運。
(動詞として使う場合は、不幸なことに出くわす、という意味だが、名詞の場合は、不幸な境遇という意味になる)
私たちは創作の時、先ず登場人物のことを考え、それから出来事を組合せます。主人公に何を代表させ、何を反映させ、誰を引き立て役に使って、この人物を突出させるか考えます。ここで先ず出くわす問題は、人を書くのか、出来事を書くのかです。私は、時代の精神を代表するに足る人物を表現しなければならず、他のことのためではないと思います。必ず人物の必要に基づき出来事を考え、出来事は人物につき従って展開しなければならず、出来事に人物をコントロールさせてはなりません。例えば、人力車夫の生活を私はたいへんよく知っています。というのも、私は小さい時たいへん貧しくて、多くの車引きと付き合いがあったので、たくさんの車引きの話を知っているのです。でも、当時私は別に《駱駝祥子》を書こうという意図はありませんでした。ある時、一人の友達が私と無駄話をしていて、彼が言うには、一人の車引きが三回も車を買ったのに、三回とも車を失ってしまい、悲惨な死を遂げたというのです。それで、私は旧社会の一人の車引きの運命と境遇を書こうと決め、出来事や事件を、登場人物の発展の必要に基づいて書き、《駱駝祥子》を完成させたのです。
■ 写作時一定要多想人物,常想人物。選定一個特点去描画人物,如説話結巴,這是肤浅的表現方法,主要的是応賦予人物性格特征。先想他会干出什麼来,怎麼個干法,有什麼様胆識,而后用突出的事件来表現人物,展示人物性格。要始終看定一両個主要人物,不要使他們写着写着走了様子。貪多,往往会叫人物走様子的。《三国演義》看上去情節很多,但事事都従人物出発。諸葛亮死了還吓了司馬懿一大跳,這当然是作者有意安排上去的,目的就是為了豊富諸葛亮這個人物。《紅日》中大多数人物写得好。但有些人就没有写好,這原因是人物太多了,有些人物作者不够gou4熟悉,掌握不住。《林海雪原》里的白茹也没写得十分好,這恐怕是曲波同志対女同志還了解得不多的縁故。因此不必要的、不熟悉的就不写,不足以表現人物性格的不写。貪図表現自己知識豊富,力求故事多,那就容易壊事。
・結巴 jie1ba [口語]どもる。“口吃”とも言う。
・肤浅 fu1qian3 (学識や理解が)浅い。不十分である
・賦予 fu4yu3 (任務や使命を)授ける。与える
・胆識 dan3shi2 [書面語]胆力(度胸)と見識
・走様 zou3yang4 もとの形を失う。型が崩れる
・貪多 tan1duo1 欲張る
/貪多嚼不爛 tan1duo1jiao2bulan4 (一度にたくさん頬張っても十分に噛めないことから)一度にたくさんのものを習っても深く理解できない、或いは覚えられないという意味。
・貪図 tan1tu2 (欲張ってたくさんの利益を)ねらう。
創作の時には登場人物のことを多く考え、常に考えていなければなりません。一つの特徴を選んで人物を書く、例えば口がどもるというようなのは、不十分な表現方法です。主にその人物に与えた性格の特徴に基づくべきです。その人物は何ができるのか、どのようなやり方で、どのような胆力や見識があるのかを先ず考え、それから巻き起こる出来事によってその人物を表現し、その人物の性格を明らかにします。始めから終わりまでしっかり一人か二人の主要人物のことを見定め、それらの人物が書いているうちに元の形を失うことのないようにします。欲張ると、しばしば人物は型が崩れてしまいます。《三国志演義》を見ると、内容はたいへん盛り沢山ですが、一つ一つの出来事が人物から出発しています。諸葛孔明が死んだ後も司馬仲達を驚かすのは、もちろん作者が意識して形作ったものですが、目的は諸葛孔明という人物を際立たせるためです。《紅日》の中の大多数の人物はよく書けていますが、何人かの人物はあまりうまく書けていません。その原因は、人物が多過ぎて、何人かの人物は作者があまり理解できておらず、十分把握できていないためです。《林海雪原》の中の白茹もあまり良く書けていませんが、これはおそらく曲波が女性のことをよく知らないせいでしょう。ですから、必要のない、良く知らないものは書かない、人物の性格を表すに足りないものは書かないことです。自分の知識が豊富であることを示そうと思って、色々な話を書こうと思うと、失敗しやすいです。
■ 写小説和写戯一様,要善于支配人物,支配環境(写出典型環境,典型人物),如要表現炊事員,光把他放在厨房里焼鍋煮飯,就不易出戯,很難写出吸引人的場面:如果写部隊在大沙漠里舗軌,或者在激戦中同志們正需要喝水吃飯、非常困難的時候,把炊事員安排進去,作用就大了。
小説を書くのは芝居を書くのと同様、人物の支配や、環境の支配(典型的な環境や、典型的な人物を描き出すこと)が上手でなければなりません。炊事員のことを書くとして、ただ単にその人物を厨房で煮炊きをさせているだけでは、芝居にならず、人を惹きつける場面を書くことはできません。もし部隊が大砂漠で鉄道のレールを敷設していたり、激戦の中で同志達が水を飲み飯を食うという、たいへん困難な場面で、炊事員を配置してやったら、その効果は絶大です。
■ 無論什麼文学形式,一写事情的或運動的過程就不易写好,如有個作品写高射炮兵作戦,又是講炮的性能、炮的口径,又是紅緑信号灯如何調炮……就很難使人愛看。文学作品主要是写人,写人的思想活動,遇到什麼困難,怎様克服,怎様斗争……写写技術也可以,但不能貪多,因為這不是文学主要的任務。学技術,那有技術教科書嘛!
どんな文学形式でも、事情や運動の過程を書くのは容易くない。例えばある作品で高射砲兵の作品を書くとして、大砲の性能や、大砲の口径を説明しつつ、赤青の信号灯で如何に大砲を動かすか……というような話は誰も読みたがりません。文学作品は主に人を書きます。人の思想や活動を書きます。どんな困難にぶつかり、どのように克服し、どのように闘ったか……技術について書いてもよいのですが、欲張ってはいけません。なぜならこれは文学の主要な任務ではないからです。技術を学ぶなら、技術の教科書があります。
■ 刻画人物要注意従多方面来写人物性格。如写地主,不要光写他凶残的一面,把他写得像個野獣,也要写他偽善的一面。写他的生活、嗜好、習慣、対不同的人不同的態度 …… 多方面写人物的性格,不要小胡同里猪 ―― 直来直去。
・小胡同里猪 歇后語(かけことば)。小胡同、細い路地で豚を追う、ということは、同じところを行ったり来たりするしかないので、“直来直去”を言うための枕ことばとなります。“直来直去”はストレートに思ったことを言う、あけすけにものを言う、という意味。
人物を描写するには、多くの面から人物の性格を描くよう注意しなければなりません。地主を書くなら、彼の凶暴で残忍な面だけをみて、彼を野獣のように描いてはならず、彼の偽善的な一面も描かなければなりません。その人物の生活、嗜好、習慣、他人に対して人によって異なる態度……多方面から人物の性格を描くには、路地で豚を追いかけるように、ただストレートに表現するだけではだめです。
■ 当你写到戯劇性強的地方,最好不要写他的心理活動,而叫他用行動説話,来表現他的精神面貌。如果在這時候加上心理描写,故事的緊張就馬上弛緩下来。《水滸》上的魯智深、石秀、李逵、武松等人物的形象,往往用行動説話行来表現他們的性格和精神面貌,這個写法是很高明的。《水滸》上武松打虎的一段,写武松見虎時的心理是怕的,但王少堂先生説評書又作了一番加工:武松看見了老虎,便説:“啊!我不打死它,它会傷人喲!好!打!”這様一説,把武松這個英雄人物的性格表現得更有声色了。這種藝術的誇張,是有助于塑造英雄人物的形象的!我們写新英雄人物,要大胆些,対英雄人物的行動,為什麼不可以作適当的藝術誇張呢?
・高明 gao1ming2 (見識や技能が)優れている。卓越している。
・声色 sheng1se4 (話をするときの)声と顔色
・評書 ping2shu1 大衆演芸の一種で、日本の講談に当たる。
皆さんが芝居がかった場面を書く時は、できれば登場人物の心の動きは書かずに、その人物の行動によって物語らせ、精神的な状態を表現した方がよいと思います。そういう場面で心理描写をすると、物語の緊張はあっという間に緩んでしまいます。《水滸伝》での魯智深、石秀、李逵、武松などの人物のイメージは、しばしば彼らの行動によって彼らの性格と精神状態を表現しており、こうした描写方法はたいへん優れています。《水滸伝》の武松が虎退治をする場面で、武松が虎を目にした時の気持ちは恐れですが、王少堂先生によれば、評書ではちょっと手が加えられていて、武松は虎を目にしてこう言います。「ああ!私が虎を殺さなかったら、あいつは人を傷つけるだろう!よし!やっつけるぞ!」このように言うことで、武松という英雄の性格をより生き生きと表現しています。こうした芸術の誇張は、英雄たる人物のイメージを形作る手助けになります。私たちは英雄的人物を描く際には、大胆にならないといけません。英雄的人物の行動に、どうして適度な芸術的誇張をしてはいけないのでしょうか。
■ 為了写好人物,可以把五十万字的材料只写二十万字;心要狠一些。過去日本鬼子焼了商務印書館的図書館,把我一部十万多字的小説原稿也焼掉了。后来,我把這十万字的材料写成了一個中篇《月牙儿》。当然,這是其中的精華。這好比割肉一様,肉皮肉膘全不要,光要肉核(最好的肉)。魯迅的作品,文字十分精煉,人物都非常成功,而有些作家就不然,写到事往往就無節制地大写特写,把人蓋住了。最近,我看到一幅描絵密雲水庫上的人們干勁衝天的画,画中把山画得很高很大很雄偉,人呢?却小得很,這怎能表現出人們的干勁呢?看都看不到啊!事件的詳細描写総在其次;人,才是主要的。因為有永存価値的是人,而不是事。
・狠 hen3 断固として。思い切って。
・好比 hao3bi3 ちょうど~のようなものだ
・膘 biao1 (肉の)脂身
・精煉 jing1lian4 =精練 (文章が)よく練れている。簡潔だが、無駄が無く、きびきびしていること。
・節制 jie2zhi4 制限する
・干勁衝天 gan4jin4chong1tian1 “干勁”gan4jin4 は(物事に対する)意気込み。“衝天”は天を衝くほど、すさまじいこと。
人物をうまく書くには、五十万字の材料で二十万字だけ書くようにすべきです。気持ちをしっかり持つべきです。嘗て、日本の侵略者が商務印書館の図書館を燃やしましたが、私の十万字余りの小説の原稿も焼けてしまいました。後に、私はこの十万字の材料で一篇の中編小説《月牙儿》を書きました。当然、これはその中の精華です。これはちょうど肉を捌くのと同じで、肉の皮や脂身は全部不要で、ただ肉の中心のところ、もっとも良い部分だけが必要なのです。魯迅の作品は、文字がたいへん練れていて、人物描写に成功していますが、多くの作家はそうではなく、事物を書くのはしばしば自由に伸び伸びと書いているのに、人物には蓋をしてしまっています。最近、私は密雲ダムの上で人々の意気込み天を衝くという絵を見ましたが、絵の中で山が高く大きく雄大に描かれているのに、人はどうでしょう?たいへん小さく、これでどうして人々の意気込みを表現できるでしょうか?見ようとしても見ることができません。事件の詳細の描写は二の次で、人こそ第一です。なぜなら永遠に価値があるのは人で、事物ではないからです。
【出典】老舎《出口成章》上海・復旦大学出版社 2004年7月
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■ 短篇小説很容易同通訊報道混淆。写短篇小説時,就像画画一様,要色彩鮮明,要刻画出人物形象。所謂刻画,并非指花紅柳緑地冗長的描写,而是説,要三言両語勾画出人物的性格,樹立起鮮明的人物形象来。
・通訊 tong1xun4 通信、ニュース。
(本来は、“通信”は主に手紙による通信を指すのに対し、“通訊”は無線やTVなど含め幅広い内容の通信を指す)
・混淆 hun4xiao2 混同する。混淆(こんこう)する。
・刻画 ke4hua4 描写する。浮き彫りにする。
(“描写”は人物だけでなく、景色や風物なども指すのに対し、“刻画”は専ら人物像や人の性格を表す場合に使う)
・花紅柳緑 hua1hong2liu3lv4 [成語]花が咲き、柳が緑の芽をふく。春の情景を表現する決まり文句。
・冗長 rong3chang2 冗長である。くどくて長い
・三言両語 san1yan2liang3yu3 [成語]二言三言。わずかな言葉の形容。
・勾画 gou1hua4 簡単に輪郭だけを描く。スケッチする。
短編小説はニュース報道とたいへん混同され易い。短編小説を書く時は、絵を描くのと同じように、色彩を鮮明にし、人物のイメージを描写しなければなりません。いわゆる“描写”というのは、決して「花が咲き柳が芽吹いた」というようにくどくどと描写するのではなく、二言三言で人物の性格をスケッチし、鮮明な人物のイメージを打ち立てることを言います。
■ 一般的説,作品最容易犯的毛病是:人物太多,故事性不強。《林海雪原》之所以吸引人,就是故事性極強烈。当然,短篇小説不可能有許多故事情節,因此,必須選択了又選択,選出最激動人心的事件,把精華写出来。写人更要這様,作者可以虚構、想像,把很多人物事件集中写到一両個人物上,塑造典型的人物。短篇中的人物一定要集中,集中力量写好一両個主要人物,以一当十,其他人物是囲繞主人公的配角,適当描画几筆就行了。無論人物和事件都要集中,因為短篇短,容量小。
・虚構 xu1gou4 フィクション
・以一当十 yi3yi1dang1shi2 [成語]一をもって十に当たる。寡をもって衆に当たる。一騎当千。
(主に軍隊が勇猛果敢であることを言う)
・囲繞 wei2rao4 取り囲む。取り巻く。
・配角 pei4jue2 脇役
一般的に言って、作品が最も犯しやすい誤りは:人物が多過ぎ、ドラマ性があまり強くないことです。《林海雪原》が人を惹きつけるのは、ドラマ性が極めて強烈であるからです。もちろん、短編小説に多くのストーリーや内容を盛り込むことはできません。ですから、選択に選択を重ね、最も人の心を動かす出来事を選び、そのエッセンスを書くことです。人を書く時はなおさらこのようにしなければならず、作者はフィクションや想像で、多くの人物の出来事を一人か二人の人物の身に集中させることで、典型的な人物を形作ることができます。短編の中の人物は必ず集中しなければならず、集中した力で一人か二人の人物をうまく描き、一騎当千、その他の人物は主人公を取り巻く脇役で、適当に幾筆か描いておけばよいのです。もちろん人物や出来事が如何に集中していようと、短編は短く、容量の小さなものです。
■ 有些作品為什麼見物不見人呢?這原因在于作者。不少作者常常有一肚子故事,他急于把這些動人的故事写出来,直到動筆的時候,才想到与事件有関的人物,于是,人物只好随着事件走,而人物形象往往模糊、不完整、不够gou4鮮明。世界上的著名的作品大都是這様:反映了這個時代人物的面貌,不是写事件的過程,不是按事件的発展来写人,而是譲事件為人物服務。還有一些名著,情節很多,読過后往往記不得,記不全,但是,人物却都被記住,所以成為名著。
・見物不見人 jian4wu4bu4jian4ren2 [成語]物的要因だけ見えて、人的要因が見えないこと
作品の中には、物は見えても人物の見えてこないものがあるのはどうしてでしょう。この原因は作者にあります。多くの作者はいつも腹一杯のお話を用意していて、焦って人を感動させるストーリーを書こうとして、これからペンを走らせようという段になって、ようやくその出来事に関係する人物のことを考えます。登場人物は出来事に沿って行動せざるを得ず、人物のイメージはしばしばぼんやりとして、不完全で、あまり鮮明ではありません。世界の著名な作品は、大抵その時代の人物のイメージを反映していて、出来事の過程を描いたり、出来事の進展に沿って人物を描くのではなく、出来事を人物に従属させます。またいくつかの名著は、内容がたいへん多くて、読んだ後、しばしば話の筋が憶えられないか、完全には憶えられませんが、登場人物はよく記憶に残っており、それゆえ名著となっているのです。
■ 我們写作時,首先要想到人物,然后再安排故事,想想譲主人公代表什麼,反映什麼,用誰来陪襯,以便突出這個人物。這里,首先遇到的問題:是写人呢?還是写事?我覚得,応該表現足以代表時代精神的人物,而不是為了別的。一定要根据人物的需要来安排事件,事随着人走;不要叫事件控制着人物。譬如,关于洋車夫的生活,我很熟悉,因為我小時候很窮,接触過不少車夫,知道不少車夫的故事,但那時我并没有写《駱駝祥子》的意図。有一天,一個朋友和我聊天,説有一個車夫買了三次車,丢diu1了三次車,以致悲惨地死去。這給我不少啓発,使我聯想起我所見到的車夫,于是,我决定写旧社会里一個車夫的命運和遭遇,把事件大乱,根据人物発展的需要来写,写成了《駱駝祥子》。
・陪襯 pei2chen4 引き立て役
・啓発 qi3fa1 啓発(する)。示唆(する)。ヒントを与えて悟らせる
・遭遇 zao1yu4 境遇。(生活上の)不遇、不運。
(動詞として使う場合は、不幸なことに出くわす、という意味だが、名詞の場合は、不幸な境遇という意味になる)
私たちは創作の時、先ず登場人物のことを考え、それから出来事を組合せます。主人公に何を代表させ、何を反映させ、誰を引き立て役に使って、この人物を突出させるか考えます。ここで先ず出くわす問題は、人を書くのか、出来事を書くのかです。私は、時代の精神を代表するに足る人物を表現しなければならず、他のことのためではないと思います。必ず人物の必要に基づき出来事を考え、出来事は人物につき従って展開しなければならず、出来事に人物をコントロールさせてはなりません。例えば、人力車夫の生活を私はたいへんよく知っています。というのも、私は小さい時たいへん貧しくて、多くの車引きと付き合いがあったので、たくさんの車引きの話を知っているのです。でも、当時私は別に《駱駝祥子》を書こうという意図はありませんでした。ある時、一人の友達が私と無駄話をしていて、彼が言うには、一人の車引きが三回も車を買ったのに、三回とも車を失ってしまい、悲惨な死を遂げたというのです。それで、私は旧社会の一人の車引きの運命と境遇を書こうと決め、出来事や事件を、登場人物の発展の必要に基づいて書き、《駱駝祥子》を完成させたのです。
■ 写作時一定要多想人物,常想人物。選定一個特点去描画人物,如説話結巴,這是肤浅的表現方法,主要的是応賦予人物性格特征。先想他会干出什麼来,怎麼個干法,有什麼様胆識,而后用突出的事件来表現人物,展示人物性格。要始終看定一両個主要人物,不要使他們写着写着走了様子。貪多,往往会叫人物走様子的。《三国演義》看上去情節很多,但事事都従人物出発。諸葛亮死了還吓了司馬懿一大跳,這当然是作者有意安排上去的,目的就是為了豊富諸葛亮這個人物。《紅日》中大多数人物写得好。但有些人就没有写好,這原因是人物太多了,有些人物作者不够gou4熟悉,掌握不住。《林海雪原》里的白茹也没写得十分好,這恐怕是曲波同志対女同志還了解得不多的縁故。因此不必要的、不熟悉的就不写,不足以表現人物性格的不写。貪図表現自己知識豊富,力求故事多,那就容易壊事。
・結巴 jie1ba [口語]どもる。“口吃”とも言う。
・肤浅 fu1qian3 (学識や理解が)浅い。不十分である
・賦予 fu4yu3 (任務や使命を)授ける。与える
・胆識 dan3shi2 [書面語]胆力(度胸)と見識
・走様 zou3yang4 もとの形を失う。型が崩れる
・貪多 tan1duo1 欲張る
/貪多嚼不爛 tan1duo1jiao2bulan4 (一度にたくさん頬張っても十分に噛めないことから)一度にたくさんのものを習っても深く理解できない、或いは覚えられないという意味。
・貪図 tan1tu2 (欲張ってたくさんの利益を)ねらう。
創作の時には登場人物のことを多く考え、常に考えていなければなりません。一つの特徴を選んで人物を書く、例えば口がどもるというようなのは、不十分な表現方法です。主にその人物に与えた性格の特徴に基づくべきです。その人物は何ができるのか、どのようなやり方で、どのような胆力や見識があるのかを先ず考え、それから巻き起こる出来事によってその人物を表現し、その人物の性格を明らかにします。始めから終わりまでしっかり一人か二人の主要人物のことを見定め、それらの人物が書いているうちに元の形を失うことのないようにします。欲張ると、しばしば人物は型が崩れてしまいます。《三国志演義》を見ると、内容はたいへん盛り沢山ですが、一つ一つの出来事が人物から出発しています。諸葛孔明が死んだ後も司馬仲達を驚かすのは、もちろん作者が意識して形作ったものですが、目的は諸葛孔明という人物を際立たせるためです。《紅日》の中の大多数の人物はよく書けていますが、何人かの人物はあまりうまく書けていません。その原因は、人物が多過ぎて、何人かの人物は作者があまり理解できておらず、十分把握できていないためです。《林海雪原》の中の白茹もあまり良く書けていませんが、これはおそらく曲波が女性のことをよく知らないせいでしょう。ですから、必要のない、良く知らないものは書かない、人物の性格を表すに足りないものは書かないことです。自分の知識が豊富であることを示そうと思って、色々な話を書こうと思うと、失敗しやすいです。
■ 写小説和写戯一様,要善于支配人物,支配環境(写出典型環境,典型人物),如要表現炊事員,光把他放在厨房里焼鍋煮飯,就不易出戯,很難写出吸引人的場面:如果写部隊在大沙漠里舗軌,或者在激戦中同志們正需要喝水吃飯、非常困難的時候,把炊事員安排進去,作用就大了。
小説を書くのは芝居を書くのと同様、人物の支配や、環境の支配(典型的な環境や、典型的な人物を描き出すこと)が上手でなければなりません。炊事員のことを書くとして、ただ単にその人物を厨房で煮炊きをさせているだけでは、芝居にならず、人を惹きつける場面を書くことはできません。もし部隊が大砂漠で鉄道のレールを敷設していたり、激戦の中で同志達が水を飲み飯を食うという、たいへん困難な場面で、炊事員を配置してやったら、その効果は絶大です。
■ 無論什麼文学形式,一写事情的或運動的過程就不易写好,如有個作品写高射炮兵作戦,又是講炮的性能、炮的口径,又是紅緑信号灯如何調炮……就很難使人愛看。文学作品主要是写人,写人的思想活動,遇到什麼困難,怎様克服,怎様斗争……写写技術也可以,但不能貪多,因為這不是文学主要的任務。学技術,那有技術教科書嘛!
どんな文学形式でも、事情や運動の過程を書くのは容易くない。例えばある作品で高射砲兵の作品を書くとして、大砲の性能や、大砲の口径を説明しつつ、赤青の信号灯で如何に大砲を動かすか……というような話は誰も読みたがりません。文学作品は主に人を書きます。人の思想や活動を書きます。どんな困難にぶつかり、どのように克服し、どのように闘ったか……技術について書いてもよいのですが、欲張ってはいけません。なぜならこれは文学の主要な任務ではないからです。技術を学ぶなら、技術の教科書があります。
■ 刻画人物要注意従多方面来写人物性格。如写地主,不要光写他凶残的一面,把他写得像個野獣,也要写他偽善的一面。写他的生活、嗜好、習慣、対不同的人不同的態度 …… 多方面写人物的性格,不要小胡同里猪 ―― 直来直去。
・小胡同里猪 歇后語(かけことば)。小胡同、細い路地で豚を追う、ということは、同じところを行ったり来たりするしかないので、“直来直去”を言うための枕ことばとなります。“直来直去”はストレートに思ったことを言う、あけすけにものを言う、という意味。
人物を描写するには、多くの面から人物の性格を描くよう注意しなければなりません。地主を書くなら、彼の凶暴で残忍な面だけをみて、彼を野獣のように描いてはならず、彼の偽善的な一面も描かなければなりません。その人物の生活、嗜好、習慣、他人に対して人によって異なる態度……多方面から人物の性格を描くには、路地で豚を追いかけるように、ただストレートに表現するだけではだめです。
■ 当你写到戯劇性強的地方,最好不要写他的心理活動,而叫他用行動説話,来表現他的精神面貌。如果在這時候加上心理描写,故事的緊張就馬上弛緩下来。《水滸》上的魯智深、石秀、李逵、武松等人物的形象,往往用行動説話行来表現他們的性格和精神面貌,這個写法是很高明的。《水滸》上武松打虎的一段,写武松見虎時的心理是怕的,但王少堂先生説評書又作了一番加工:武松看見了老虎,便説:“啊!我不打死它,它会傷人喲!好!打!”這様一説,把武松這個英雄人物的性格表現得更有声色了。這種藝術的誇張,是有助于塑造英雄人物的形象的!我們写新英雄人物,要大胆些,対英雄人物的行動,為什麼不可以作適当的藝術誇張呢?
・高明 gao1ming2 (見識や技能が)優れている。卓越している。
・声色 sheng1se4 (話をするときの)声と顔色
・評書 ping2shu1 大衆演芸の一種で、日本の講談に当たる。
皆さんが芝居がかった場面を書く時は、できれば登場人物の心の動きは書かずに、その人物の行動によって物語らせ、精神的な状態を表現した方がよいと思います。そういう場面で心理描写をすると、物語の緊張はあっという間に緩んでしまいます。《水滸伝》での魯智深、石秀、李逵、武松などの人物のイメージは、しばしば彼らの行動によって彼らの性格と精神状態を表現しており、こうした描写方法はたいへん優れています。《水滸伝》の武松が虎退治をする場面で、武松が虎を目にした時の気持ちは恐れですが、王少堂先生によれば、評書ではちょっと手が加えられていて、武松は虎を目にしてこう言います。「ああ!私が虎を殺さなかったら、あいつは人を傷つけるだろう!よし!やっつけるぞ!」このように言うことで、武松という英雄の性格をより生き生きと表現しています。こうした芸術の誇張は、英雄たる人物のイメージを形作る手助けになります。私たちは英雄的人物を描く際には、大胆にならないといけません。英雄的人物の行動に、どうして適度な芸術的誇張をしてはいけないのでしょうか。
■ 為了写好人物,可以把五十万字的材料只写二十万字;心要狠一些。過去日本鬼子焼了商務印書館的図書館,把我一部十万多字的小説原稿也焼掉了。后来,我把這十万字的材料写成了一個中篇《月牙儿》。当然,這是其中的精華。這好比割肉一様,肉皮肉膘全不要,光要肉核(最好的肉)。魯迅的作品,文字十分精煉,人物都非常成功,而有些作家就不然,写到事往往就無節制地大写特写,把人蓋住了。最近,我看到一幅描絵密雲水庫上的人們干勁衝天的画,画中把山画得很高很大很雄偉,人呢?却小得很,這怎能表現出人們的干勁呢?看都看不到啊!事件的詳細描写総在其次;人,才是主要的。因為有永存価値的是人,而不是事。
・狠 hen3 断固として。思い切って。
・好比 hao3bi3 ちょうど~のようなものだ
・膘 biao1 (肉の)脂身
・精煉 jing1lian4 =精練 (文章が)よく練れている。簡潔だが、無駄が無く、きびきびしていること。
・節制 jie2zhi4 制限する
・干勁衝天 gan4jin4chong1tian1 “干勁”gan4jin4 は(物事に対する)意気込み。“衝天”は天を衝くほど、すさまじいこと。
人物をうまく書くには、五十万字の材料で二十万字だけ書くようにすべきです。気持ちをしっかり持つべきです。嘗て、日本の侵略者が商務印書館の図書館を燃やしましたが、私の十万字余りの小説の原稿も焼けてしまいました。後に、私はこの十万字の材料で一篇の中編小説《月牙儿》を書きました。当然、これはその中の精華です。これはちょうど肉を捌くのと同じで、肉の皮や脂身は全部不要で、ただ肉の中心のところ、もっとも良い部分だけが必要なのです。魯迅の作品は、文字がたいへん練れていて、人物描写に成功していますが、多くの作家はそうではなく、事物を書くのはしばしば自由に伸び伸びと書いているのに、人物には蓋をしてしまっています。最近、私は密雲ダムの上で人々の意気込み天を衝くという絵を見ましたが、絵の中で山が高く大きく雄大に描かれているのに、人はどうでしょう?たいへん小さく、これでどうして人々の意気込みを表現できるでしょうか?見ようとしても見ることができません。事件の詳細の描写は二の次で、人こそ第一です。なぜなら永遠に価値があるのは人で、事物ではないからです。
【出典】老舎《出口成章》上海・復旦大学出版社 2004年7月
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