老舎が、芝居の脚本を書くに当たり、ことばの選択の重要性について語った講演の2回目です。何も難しいことばを使う必要はない。日常のありふれたことばでよいのですが、ただ何気なく使うのではなく、そこには作者の深い意図が込められていなければならない、そんな主張だと思います。それでは、内容を見ていきましょう。
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■ 戯劇語言還要富于哲理。含有哲理的語言,往往是作者的思想通過人物的口説出来的。当然,不能毎句話都如此,但在一幕戯中有那麼三五句,這幕戯就会有些光彩。若不然,人物尽説一些平平常常的話,聴衆便昏昏欲睡。就是儿童劇也需要這種語言。当然写出一両句至理名言,不是軽而易挙的。離開人物、情節,孤立地説出来,不行。我們対人物要想得多想得深,要従人物、情節出発去想。離開人物与情節,雖有好話而擱不到戯里来。這種閃爍着真理光芒的語言,并非只是文化水平高的人才能説的。一般人都能説。読読《水滸》、《紅楼夢》,很有好処。特別是《水滸》,許多人物是没有文化的,但説出的一些語言却富有哲理。這種語言一定是作者想了又想,改了又改,使其鮮明,既富有哲理,又表現性格,人物也就站起来了。一個平常的人説了一句看来是平常的話,而道出了一個真理,這個人物便会給観衆留下個難忘的印象。
・哲理 zhe2li3 人生や世界の本質にかかわる深い道理
・三五(句) あまり大きくない概数を表す。
・昏昏欲睡 hun1hun1yu4shui4 うとうと眠気を催す
・至理名言 zhi4li3ming2yan2 [成語]至理名言。もっともな道理を説いたすぐれたことば。
・軽而易挙 qing1er2yi4ju3 [成語]たやすくできる
・情節 qing2jie2 事情、いきさつ。話の筋。
・擱 ge1 =放:置く。入れる
・閃爍 shan3shuo4 (光が)きらめく。またたく
・光芒 guang1mang2 光芒。光。
芝居のことばは人生の道理に富んでいなければなりません。人生の道理を含んだことばは、しばしば作者の思想が登場人物の口を通して話されたものです。もちろん、すべてのことばをそうはできませんが、一幕の芝居の中にそんなせりふがいくつかあると、この芝居は輝きを持ったものになります。そうでないと、登場人物が如何に日常のことを、ことばを尽くして言ったところで、聴衆はうとうと眠気を催すだけです。児童劇についても、このようなことばが必要です。もちろんたとえ一言であっても至理名言を書くなど、たやすくできることではありません。人物や話のいきさつを離れ、独立して言おうとしてもだめです。私たちは登場人物についてたくさん考え、深く考え、人物や話のいきさつから出発して考えるべきです。人物や話の事情から離れてしまうと、良い話があっても、芝居の中に入れることができません。このようなきらきらきらめく真理の光のことばは、決して文化レベルの高い人だけが言えるのではありません。一般の人も言うことができます。《水滸伝》や《紅楼夢》を読んでみることは、たいへん有益です。特に《水滸伝》では、多くの登場人物は教養がありませんが、口に出ることばは人生の道理に富んでいます。こうしたことばはきっと作者が考えに考え、何度も改めたものでしょう。一つのせりふを十分に考え、何度も改めることは、せりふを鮮明で、人生の道理に富んだものにし、その人の性格を表し、ここに一人の人物が形成されます。一人の普通の人が一言日常のありふれた話をして、しかも一つの真理を言うことができれば、この人物は観衆に忘れ難い印象を残すことができるでしょう。
■ 以上説的語言性格化、地方性、哲理性,三者是統一的,都是為了塑造鮮明的人物形象。
以上お話したのは、ことばの性格化(個性)、地方性(方言の活用)、哲理性(人生の道理を込めること)についてですが、この三つが統一され、鮮明なイメージの登場人物を形作るために使われています。
■ 平易近人的語言,往往是作家費了心血写出来的。如剛才談的《紅楼夢》中那段対話,自然平易,抹去棱角,表面没有剣拔弩張的斗争,只是写一個想吃鮮菜,一個想吃肉食的両位老太太的話,但内中却表現了階級的対立。這種語言看着平易,而是用尽力气写出来的。杜甫、白居易、陸放翁的詩也有時如此,看来越似乎是信手拈来,越見功夫。写一句劇句,要像写詩那様,千錘百煉。当然,小説中的語言還可以容人去細細揣摩、体会,而舞台上的語言是要立竿見影,発生效果,就更不容易。所以戯劇語言要既俗(通俗易懂)而又富于詩意,才是好語言。
・抹 mo3 ぬぐい去る。消し去る
・棱角 leng2jiao3 角々しさ。鋭さ。
・剣拔弩張 jian4ba2nu3zhang1 [成語]剣は抜かれ、弓は引き絞られた。一触即発の状態にある、ということの譬え。
・陸放翁 陸遊のこと。
・信手拈来 xin4shou3nian1lai2 [成語]手当たり次第に取り出す。
/文章を書く時、語彙や話題が豊富で、すらすら書けること。“拈”は指先でつまむ動作。
[例]拈鬮儿jiur:くじを引く。従盤子里拈了一塊小点心:皿から小さな菓子をひとつつまんだ。
・千錘百煉 qian1chui2bai3lian4 [成語]①鍛えに鍛える。闘争の中で試練を重ねること。②詩文などで推敲に推敲を重ねること。
・立竿見影 li4gan1jian4ying3 [成語]効果が直ちに現れること
平易で身近な人のことば程、しばしば作者が心血を注いで書いたものです。例えば先程お話した《紅楼夢》の対話は、自然で平易で、鋭さが拭い去られ、表面的には一触即発の危機は存在せず、一方は新鮮な野菜を食べたいと思い、一方は肉を食べたいと思っている二人の老婦人の話ですが、その中に階級的な対立を表現しています。このようなことばは平易そうに見えますが、実は全力を尽くして書かれています。杜甫や白居易、陸遊の詩も時にそのようであることがあり、見たところ、すらすら書かれたように見えるもの程、作者の工夫が見てとれます。芝居のせりふを一つ書くのも、詩を書くのと同様、推敲に推敲を重ねたものです。小説の中のことばは、読者がこと細かく推察し、理解することができますが、舞台でのことばは、釣竿を立てればすぐに魚影が見えるかのように、すぐに効果が出なければならず、尚更容易ではありません。ですから芝居のことばは、分かり易くて(通俗的で理解し易い)しかも詩趣に富んでいてこそ、良いことばと言えます。
■ 儿童劇的語言也要富于詩意。因為在孩子們的眼里,什麼都是詩。一個小瓜子皮放在水杯中,孩子們就会想到船行万里,乗風破浪。我在《宝船》中写到,孩子們不知道“駙馬”是什麼,因而猜想是“驢”。這是符合儿童心理的。這当中寓有作家的風刺。如果在清朝末年我這様写,就要挨四十大板。儿童劇要写出孩子們心里的詩意,且含有作家対事物的褒貶。
・乗風破浪 cheng2feng1po4lang4 [成語]追い風に乗り、波をけって進む。
・駙馬 fu4ma3 皇女の夫。皇帝の女婿
(漢代に“附馬都尉”(侍従武官)という官職があり、当初は皇族や外戚の若者を任じていたが、後に皇女の女婿にこの官職を授けたことから)
・寓 yu4 (意味を)含ませる。寓する。
・挨 ai2 ~を受ける/[例]挨打:ぶたれる。挨罵ai2ma4:ののしられる。どなられる
・挨四十大板:“各打五十大板”という成語をもじっている。これは、双方に尻叩き50回の罰を与えることで、喧嘩両成敗の意味。
児童劇のことばも詩趣に富んでいなければなりません。なぜなら子供たちの眼には、見るもの全てが詩であるからです。一粒のヒマワリの種の殻を水の入ったコップに入れると、子供達はそれを見て、船が遥かに船出し、波をけって進む様を連想します。私は《宝船》の中で書いたのですが、子供達は“駙馬”が何であるか知らず、文字から「ロバ」ではないかと当て推量します。そう想像するのが子供の心理に合っています。ここに作者の風刺が含まれています。もし清朝末期にこんな風に書いたら、尻叩き四十回の刑にされたでしょう。児童劇は子供達の心の中の詩趣を描かねばならず、しかもその中に作家の事物に対する毀誉褒貶を込めなければなりません。
■ 要多想,創造性地想;還要多学,各方面都学。見多識広,只是豊富,写起来就従容。学習不是生搬硬套,生活中的語言也不能原封不動地運用,需要提煉。如今天写劉胡蘭、黄継光這些英雄人物,她們生活中説了些什麼,我們知道的不太多,這需要作家創造性地去想像,写出符合英雄性格的語言。
・見多識広 jian4duo1shi2guang3 [成語]経験が豊富で知識が広い
・従容 cong2rong 落ち着いている。ここでは、見た感じが落ち着いていて、収まりが良いこと。
・生搬硬套 sheng1ban1ying4tao4 [成語](他人の方法や経験を)無理に適用する。機械的に当てはめる。
・原封不動 yuan2feng1bu4dong4 もとのまま手をつけない
/“原封”もとのままの。封を切っていない。[例]原封退回:封も開けずにそのまま返す。
・提煉 ti2lian4 (化学的、物理的方法で、化合物、または混合物から)取り出す。抽出する。ここではことばに手を加えること。
・劉胡蘭、黄継光 劉胡蘭(女性)は国民党との内戦中、山西省で活躍するが、1947年に閻錫山が派遣した軍隊に逮捕され、殺害された。黄継光は朝鮮戦争に中国が派遣した人民志願軍の一員として活躍するも戦死。
たくさんのことを想像しようと思ったら、創造的にものを考えなければなりません。たくさんのことを学ぼうと思ったら、いろいろな分野の勉強をしなければなりません。経験が豊かで知識が豊富であるというのは、文字で書くときれいなのですが、学習というのは人のしたことを無理に当てはめるのではなく、生活の中で使うことばをそのまま使うのではなく、手を加えてやらなければなりません。今、劉胡蘭や黄継光といった英雄のことを書くとしたら、彼らが生活の中でどんなことを言ったのか、私たちが知っていることはあまり多くありません。ここで作家が創造的に考え、英雄の性格に合ったことばを書き出さなければなりません。
■ 語言要准確、生動、鮮明,即使像“的、了、嗎、呢……”這些詞的運用也不能忽視。日本朋友已擬用我的《宝船》作為漢語課本,要求我在語法上作一些注解。其中摘出“開船嘍lou!”這句話,問我為什麼不用“啦”,而用“嘍lou”。我写的時候只是覚得要用“嘍lou”,道理却説不清,這就整得我够gou4受。我朗読的時候,発現大概“嘍lou”字是対大伙説的,如一个人喊“開船嘍lou!”是表示招呼大家。如果説“開船啦”便只是対一個人説的,没有許多人在場。区別也許就在這里。
・整 zheng3 =搞gao3 [方言]やる。する。つくる。
/[例]這東西我見人整過,并不難。(人がこれを作るのを見たことがあるが、そう難しいものではない。)
・受 shou4 [方言]~するに足る。
/[例]受吃(おいしい);受看(見て気持がよい);受聴(聞いて気持がよい)
ことばは正確で、躍動感がなければならず、たとえ“的、了、嗎、呢……”のような詞(虚詞)の活用であっても、無視することはできません。日本の友人が私の《宝船》を中国語のテキストにしようと思い、私に文法上の注釈を作るよう要求しました。その中で“開船嘍lou!”という語句を取り上げ、どうして“啦”を使わずに“嘍lou”を用いたのかと問われました。私がこれを書いた時にはただ“嘍lou”を用いなければならないと感じただけで、道理ははっきりとは言えませんが、このように書いたら、聞いて気持がぴったりすると感じたのです。声に出して読んでみると、おそらく“嘍lou”の字はみんなに対して言っているのではないかと気がつきました。もし一人が“開船嘍lou!”(船が出るぞぅ!)と叫んだら、それは皆に対して呼びかけています。もし“開船啦”(船が出ますよ)と言ったら、一人の客に対してだけ言っているのであって、現場にはあまり人がいない。違いはたぶんこんなところでしょう。
■ 語言是人物思想、感情的反映,要把人物説話時的神色都表現出来,需要給語言以音楽和色彩,才能使其美麗、活溌、生動。
我的話説完了,浪費了大家的時間,対不起!
ことばは人物の思想、感情の反映ですから、登場人物が話をする時の表情を皆表現しようと思ったら、ことばをメロディーや色彩にしてこそ、それを美しく、活発で、躍動感のあるものにすることができます。
私の話はこれで終わります。皆さんのお時間を無駄にしたのではないかと思います、申し訳ありませんでした。
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講演自体はこれで終わりなのですが、実は聴衆の質問への回答、という形でもう少し続きがあります。それは次回で。
【出典】老舎《出口成章》上海・復旦大学出版社 2004年7月
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