中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

【対訳】老舎《出口成章》を読む: 人物、語言及其他(2)

2011年02月24日 | 中国文学
 この講演の前半では、小説や芝居で人物を描くことの重要性が述べられましたが、後半は、ことばの使い方、文章の書き方について述べられています。

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■ 語言的運用対文学是非常重要的。有的作品文字色彩不濃,首先是邏輯性的問題。我写作中有一个竅qiao4門,一個東西写完了,一定要再念再念再念,念給別人聴(聴不聴在他),看念得順不順?准確不?別扭不?邏輯性強不? …… 看看句子是否有不够gou4妥当之処。我們不能為了文字簡練而簡略。簡練不是簡略、意思含糊,而是看邏輯性強不強,准確不准確。只有准確邏輯性強而又簡単的語言才是真正的簡練。

 ことばの使い方は、文学ではたいへん重要です。ある作品で文字の色彩が濃くないとしたら、先ず論理性の問題です。私は創作で一つ秘訣があり、一つのものを書いたら、必ず何度か読み返してみます。他の人に聞いてもらいます。(その人が本当に聞いてくれているかは相手次第ですが。)読んでみて、すんなり耳に入るかを見てやります。内容が正しいか、くどくどと煩わしくないか、論理性は十分あるか……。文に妥当性が不十分なところが無いかどうかを見てみます。私たちは文字を簡潔にするために簡略にすることはできません。簡潔とは、簡略で意味があいまいであることではありません。論理性は十分あるかどうか、正確かどうかを見ることです。正確で論理性が十分あり、且つ簡単なことばで書かれているものこそ、真の簡潔と言えるのです。

■ 運用文字,首先是准確,然后才是出奇。文字修辞、比喩、聯想假如并不出奇,用了反而使人感到庸俗。講究修辞并不是濫用形容詞,而是要求語言准確而生動。文字鮮明不鮮明,不在于用一些有顔色的字句。一千字的文章,我往往写三天,第一天可能就写成,第二天、第三天加工修改,把那些陳詞濫調和廃話都刪掉。這様做是否会使色彩不鮮明呢?不,可能更鮮明些.文字不怕朴実,朴実也会生動,也会有色彩。斉白石先生画的小鶏,雖只那麼几筆,但墨分五彩,能使人看出来許多顔色。写作時堆砌形容詞不好。語言的創造,是用普通的文字巧妙地安排起来的,不要硬造字句,如“他們在思謀 ……”,“思謀”不常用,不如用“思索”倒好些,既現成也易懂。寧可写得老実些,也別生造。

・出奇 chu1qi2 普通でない。珍しい。変わっている
・濫調 lan4diao4 くだらない議論。たわごと
・刪掉 shan1diao4 削除する
・朴実 pu3shi2 =朴素pu3su4 質素である。(“朴実”は「うわべを飾らない」ことに重点がある。“朴素”は「華美でない」ことに重点があり、服装などの形容に用いる)
・堆砌 dui1qi4 れんがなどを積み重ねる。文章に美辞麗句を並べる
・生造 sheng1zao4 新語などを無理に作る

 ことばの活用は、第一に正確かどうかで、次いで新奇性です。文字の修辞、比喩、連想にもし新奇性が無いと、読む人に低俗な印象を与えてしまいます。修辞を追求することは決して形容詞を濫用することではなく、ことばの正確さと躍動感を追求することです。ことばが鮮明かどうかは、色彩のある文字を用いることではありません。一千字の文章でも、私はしばしば三日かけます。一日目におそらく書き終るでしょう。二日目、三日目は加工修正し、陳腐なことばやたわごと、よけいな話は削除してしまいます。このようにすると色彩が不鮮明にならないでしょうか。いや、おそらく更に鮮明になります。ことばは質素であることを恐れてはならず、質素でも躍動感が生まれ、色彩のあるものになります。斉白石先生が描いたひよこは、ほんの数筆で描かれたものでも、墨は五色の色彩を放ち、見る者が様々な色彩を見出すことができます。創作の時に形容詞を並べたてるのはよくありません。ことばの創造は、普通の文字を巧みに配置して出来上がるもので、無理やりことばや文を作り出すものではありません。例えば、“他們在思謀 ……”(「彼らは~に思いをめぐらせている」)の“思謀”という語は通常は使われません。ここは“思索”を使った方が、一般的だし分かりやすい。素直に書く方がよく、無理にことばを作ってはいけません。

■ 文学是語言的藝術,我們是語言的運用者,要想辧法把“話”説好,不光是要注意“説什麼”,而且要注意“怎麼説”。注意“怎麼説”才能表現出自己的語言風格。各人的“説法”不同,各人的風格也就不一様。“怎麼説”是思考的結果,侯宝林的相声之所以逗人笑,并不只因他的嘴有功夫,而是因為他的想法合乎笑的規律。写東西一定要善于運用文字,苦苦思索,要譲人家看見你的思想風貌。

・逗 dou4 (ある感情を)起こさせる(“逗”はこれ自身、笑わせるという意味があり、“這話真逗”この話は本当にユーモラスだ、という使い方もできるが、ここでは首記の意味で、“逗人笑”で人を笑わせる、という意味となる)
・合乎 he2hu1 ~に合う。~にかなう。[用例]合乎規律:法則に合う

 文学はことばの芸術であり、私たちはことばの活用者です。「お話」をうまく語ろうと思ったら、「何を言うか」に注意するだけでなく、「どう言うか」に注意しなければなりません。「どう言うか」に注意してはじめて自分のことばのスタイルを表現することができます。一人一人「言い方」は異なり、スタイルも異なります。「どう言うか」は思考の結果であり、侯宝林の漫才が人を笑わせるのは、決して彼の話術がすばらしいからだけでなく、彼の考え方が笑いの法則に合っているからです。ものを書くにはことばの活用が上手でなければならず、懸命に思索を行い、他人に自分の考え方のスタイルをわかってもらわなければなりません。

■ 用什麼語言好呢?過去我很喜歓用方言,《龍須溝》里就有許多北京方言。在北京演出還好,観衆能懂,但到広州就不行了,広州没有這種方言。連翻訳也没法翻訳。這次写《女店員》我就注意用普通話。推広普通話,文学工作者都有責任。用一些富有表現力的方言,加強郷土気息,不是不可以,但不要貪多;没多少意義的,不易看懂的方言,干脆去掉為是。

・気息 qi4xi1 息吹
・貪 tan1 欲張る

 どんなことばを使えばよいでしょうか。嘗て私は方言を使うのがたいへん好きで、《龍須溝》の中では多くの北京の方言を使いました。北京で上演する時はまだ良く、観衆も理解できるのですが、広州に行くとだめです。広州にはこんなことばは無いのです。翻訳しようにも翻訳しようがありません。今度《女店員》を書くに際して、私は普通話(標準語)を用いることに注意しました。普通話を広めることには、文学関係者は皆責任があります。表現力に富んだ方言を用い、郷土の息吹を強めることは、だめではないのですが、あまり欲張ってはいけません。それほど意味がないのであれば、理解しづらい方言は、きっぱり消し去るのが正しいと思います。

■ 小説中人物対話很重要。対話是人物性格的索引,也就是什麼様的人説什麼様的話。一個人物的性格掌握住了,再看他在什麼時間、什麼地点,就可以琢磨出他将会説什麼与怎麼説。写対話的目的是為了使人物性格更鮮明,而不只是為了交代情節。《紅楼夢》的対話写得很好,通過対話可以使人看見活生生的人物。

・索引 suo3yin3 索引。インデックス
・琢磨 zuo2mo よくよく考える。思案する、熟慮する。(“琢磨”はzhuo2mo2と発音すると、磨きをかける、彫刻する、鍛え上げる、という意味になる)
・活生生 huo2shengsheng1 生き生きとした

 小説の中の人物の対話はたいへん重要です。対話は登場人物の性格の索引のようなもので、どのような人だったらどのような話をするというものがあります。一人の人物の性格をしっかり把握して、そのうえで彼がどんな時間に、どんな場所にいるかによって、彼がどんなことを、どのように言うかを考えだすことができます。対話を書く目的は、人物の性格をより鮮明にするためで、ただ単に話のいきさつのやりとりをするためではありません。《紅楼夢》の対話はたいへんよく書けており、対話を通じて読者に生き生きとした人物を見せてくれます。

■ 関于文字表現技巧,不要光従一方面来練習,一棵樹吊死人,要多方面練習。一篇小説写完后,可試着再把它写成話劇(当然不一定発表),這会有好処的。話劇主要是以対話来表達故事情節,展示人物性格,毎句話都要求很精煉,很有作用。我們也応当学学写詩,旧体詩也可以学学,不摸摸旧体詩,就没法摸到中国語言的特点和奥妙。這当然不是要大家去写旧体詩詞,而是説要学習我們民族語言的特色,学会表現、運用語言的本領,使作品中的文字千錘百煉。這是要下一番苦功夫的。

・一棵樹吊死人 通常は“不要一棵樹吊死人”ということばで比喩的に用いられます。意味は、同じ方法をずっと続けるのでなく、状況に応じて融通を利かさないといけない、という意味です。[用例]老舍 《勤有功》:“這一本写失敗了,即去另写一本。新事物是取之不竭的,何必一棵樹上吊死人?”
・摸 mo1 手で触る、手探りでつかみ取る、という意味から派生して、模索する、模索して理解する、という意味に使う。
・本領 ben3ling3 腕前。才能。能力。技能。(学習することによって得られるかなり高度な技術)
・千錘百煉 qian1chui2bai3lian4 [成語]鍛えに鍛える。詩文などで推敲に推敲を重ねること。

 ことばの表現のテクニックは、一面からのみ練習してはなりません。同じやり方にばかり固執するのでなく、多くの面から練習をしなければなりません。一篇の小説が書き終ったら、試しにそれを芝居に書き直してみる(もちろん必ずしも発表はしませんが)のも、良いかもしれません。芝居は主に対話により物語の内容を表現し、人物の性格を表します。一つ一つのことばが練れていて、意味を持たないといけません。私たちは詩を書くことも学んでみなければなりません。旧体詩も学んでみなければなりません。旧体詩に触れてみないと、中国語の特徴や奥深さを理解することができません。これはもちろん皆が旧体詩のことばを書かなければいけないと言っているのではなく、私たち民族のことばの特色を学び、ことばを表現、活用する技能を習得し、作品の中のことばを鍛えなければならないと言っているのです。これには一定の修業が必要です。

■ 写東西一定要求精煉、含蓄。俗語説:“寧吃鮮桃一口,不吃爛杏一筐”,這話是很値得深思的。不要使人家読了作品以后,有“吃膩了”的感覚,要給人留出回味的余地,譲人看了覚得:這両口還不錯呀!我們現在有不少作品不太含蓄,直来直去,什麼都説尽了,没有余味可嚼。過去我接触過很多拳師,也曾跟他們学過両手,材料很多。可是不能把這些都写上。我就撿最精彩的一段来写:有一個老先生槍法很好,最拿手的是“断魂槍”,這是几輩祖伝的。外地有個老人学的槍法不少,就不会他這一套,于是千里迢迢来求教槍法,可是他不教,説了很多好話,還是不行。老人就走了,他見那老人走后,就把門鎖起来,把自己関在院内,一个人練他那套槍法。写到這里,我只写了両個字:“不伝”,就結束了。還有很多東西没説,譲読者去想。想什麼呢?就譲他們想想小説的“底”―― 許多好技術,就因各人的保守,而失伝了。

・筐 kuang1 かご
・回味 hui2wei4 [名詞]後味。(用例) 回味無窮。[動詞]後味を味わう。(用例) 回味他説的話。
・両口、両手 “一両口”、或いは“両三口”、“一両手”、或いは“両三手”の意味で、数の少ないことを表す。
・直来直去 思ったことをはっきり言うこと。包み隠さず、あけすけにものを言うこと。
・槍法 qiang1fa3 長槍を使う技能。
・迢迢 tiao1tiao1 道が遠いさま。[用例]千里迢迢:千里はるばる
・底 di3 事の仔細。真相。(漫才などの)話の落ち。[用例]謎底:なぞなぞの答。摸底:内情を探る。露底:(しかけなどの)種がばれる。

 書かれたものはよく練られ、含蓄がなければなりません。ことわざにも「一籠の腐った杏より、ひと口の新鮮な桃」と言いますが、このことは深く考えてみるべきです。人に作品を読んでもらった後、「食傷感」を感じさせてはならず、余韻を味わう余地を残さないといけません。読んだ後に、「この一節は悪くない」と思ってもらわないといけません。現在は、多くの作品にあまり含蓄が無く、あけすけにものを言い、全てを言い尽くし、味わうべき余韻がありません。嘗て私は多くの拳法家と接触があり、彼らから多少の型も学び、話のネタもたくさんあります。けれども、これらを皆書いてしまうことはできません。私なら最も精彩を放つ部分を選んで書きます。一人の老拳法家の槍の技がすばらしく、最も得意とするのが“断魂槍”で、これは何代にもわたり伝えられてきたものとします。外地に一人の老人がいて学んだ槍の技は数多いが、彼のこの技はできないので、千里の道をはるばるこの槍の技を学ぶためにやって来ましたが、彼は教えないと言い、いろいろ説明したのですが、それでもだめでした。老人はそれで帰って行ったのですが、彼は老人が行ってしまうと、門に鍵をかけ、自分で中庭の中に閉じこもり、一人であの槍の技術を練習しました。ここまで書いてきて、私はただ二文字のこと、つまり“不伝”(伝承しない)と書いただけですが、これでおしまいです。まだたくさんのことを言っていませんが、読者に考えさせるのです。何を考えさせるのか。読者に小説の「眼目」――多くのすばらしい技が、個人の保守的な考えのために伝承されなかったことを考えさせるのです。

■ 小説的“底”,在写之前你就要找到。有些作者還没想好了“底”就写,往往写到一半就写不下去,結果只好放棄了。光想開頭,不想結尾,不知道“底”落在哪里,是很難写好的。“底”往往結尾時才表現出来,“底”也可以説是你写這小説的目的。如果你一上来把什麼都講了,那就是漏了“底”。比如,前面所説的学槍法的故事,就是叫你想想由于這類的“不伝”,我們祖国従古到今有多少宝貴的遺産都被埋葬掉啦!写相声最怕没有“底”,没有“底”就下不了台,有了“底”,就知道前面怎麼安排的。

 小説の「落ち」は、書き始める前に見つけておかないといけません。作者の中には、「落ち」を考えずに書き始めるものですから、しばしば半分くらいまで書き進めると、後が続かなくなり、結局書くのをやめざるを得なくなります。書き出しのことばかり考え、結末を考えていないと、「話の眼目」をどこに置いたらよいか分からなくなり、うまく書けなくなります。「落ち(眼目)」はしばしば話の最後のところでようやく出てきますが、「落ち」は小説を書く目的だと言うこともできます。もし書き出すや何でもかんでも話してしまうと、それは「種(落ち)」をばらしてしまうことになります。例えば、前で言った槍の技を学ぶ話で言うと、このように「伝承しない」ことで、私たち祖国が過去から現在までどれだけの貴重な遺産を埋もれさせてしまったかを読者に考えてもらうのです。漫才の脚本を書いていて最も怖いのは「落ち」が無いことです。「落ち」が無いと、舞台から降りることができません。「落ち」があってこそ、その前をどう組み立てたらよいかが分かるのです。

■ 小説所要表達的東西是多種多様的。由于我国社会主義建設的需要,当前着重于写建設,這是正確的。当然,也可以写其他方面的生活。在写作時,若只凭有過這麼回事,湊合着写下来,就不容易写好;光知道一個故事,而不知道与這故事有関的社会生活,也很難写好。

・湊合 cou4he2 寄せ集める、という意味から派生して、我慢する、間に合わせる、いいかげんにお茶を濁す、ということ。

 小説で表現したいものは多種多様です。我が国の社会主義建設の必要から、当面は建設に重点を置くというのは、正しいです。もちろん、その他の面の生活を書いても構いません。創作の時に、こんなことがあったという事実だけに基づいて、いいかげんに書くと、うまく書けません。一つのことだけ知っていて、その話と関係のある社会生活を知らないと、うまく書けません。

■ 小説的形式也是多種多様的,有書信体,日記体,還有 …… 資本主義国家有些作品,思想性并不強,可是写得那麼抒情,那麼有色彩,能給人以藝術上的享受。這種作品雖然没有什麼教育意義,我們不一定去学,但多看一看,也有好処。現在我們講百花斉放,我看放得不够gou4的原因之一,就是知道得不多,特別是世界名著和我国的優秀伝統知道得不多。

・書信 shu1xin4 書簡。手紙
・百花斉放 bai3hua1qi2fang4 [成語]百花一時に咲き出す。様式や風格の異なる芸術作品が自由奔放に発展する譬え。

 小説の形式も多種多様で、書簡体や日記体などがあります。資本主義国家のいくつかの作品は、思想性はあまり強くありませんが、たいへん叙情的に書かれ、色彩があり、読む者に芸術的な味わいを味あわせてくれます。こうした作品はあまり教育的な意義はないので、必ずしも学ぶ必要はありませんが、そういうものを読んでみるのも、役に立ちます。現在私たちは百花斉放を唱えていますが、私の考えでは実施が不十分な原因の一つは、知識が不十分であること、特に世界の名著や我が国の優秀な伝統作品をあまりよく知らないことにあると思います。

■ 生活知識也是一様,越博越好,了解得越深越透徹越好。因此,対生活要多体験、多観察,培養多方面的興趣,尽可能去多接触一些事物。就是花木鳥獣、油塩醤醋也都応注意一下,什麼時候用着它很難預料,但知道多了,用起来就很方便。在生活中看到的,随時記下来,看一点,記一点,日積月累,日后大有用処。

・透徹 tou4che4 事情の把握や事理の分析が詳しくてはっきりしていること
・日積月累 ri4ji1yue4lei3 長い期間にわたって少しずつ積み重ねること。

 生活の知識も同様で、知識が広ければ広いほどよく、理解がより深く明確であればある程よいのです。したがって、生活をより多く体験し、多く観察し、多方面への興味を養ない、いくつかの事物にはできるだけ多く接触するべきです。つまり花鳥風月や、料理の各種調味料にまで注意を払うべきです。調味料はどんな時に使うか予測するのは難しいですが、多くのことを知っていれば、使う時にたいへん便利です。生活の中で見たものは、随時記録しておきます。一つ見たら、一つ記録し、それが少しずつ積み重なり、将来大いに役立ちます。

■ 在表現形式上不要落旧套,要大胆創造,因為生活是千変万化的,不能按老套子来写。任何一種文学藝術形式一旦一成不変,便会衰落下去。因此,我們要想各種各様的法子衝破旧的套子,這就要敢想、敢説、敢干。“五四”時期打破了旧体詩、文言文的格式,這是個了不起的文化革命!文学藝術,要不断革新,一定要創造出新東西,新的様式。如果大家都写得一様,那還互相交流什麼?正因為各有不同,才互相観摩,取長補短,共同提高。新創造的東西,可能有些人看着不大習慣,但大家可以辧論呀!希望大家在文学形式上能有所突破,有新的創造!

・千変万化 qian1bian4wan4hua4[成語]千変万化。めまぐるしく変化すること。
・一旦 yi1dan4 ひとたび~すると。いったん。
・一成不変 yi1cheng2bu4bian4 [成語]一旦できあがってしまうと、もはや変更できないこと。永久に変わらないこと。
・観摩 guan1mo2 互いに見習う

 表現形式で、古いやり方にとどまってはなりません。大胆に創造し、生活はめまぐるしく移り変わるものですから、古い決まり文句で書いてはなりません。如何なる文学形式でも、一旦できあがってしまうと、もはや変更ができず、衰退してきます。したがって私たちは様々な方法で古いやり方を打ち破らなければなりません。これはつまり、勇気を持って考え、話をし、実行することです。「五四運動」の時期に、旧体詩や文言文の形式を打ち破りましたが、これはすばらしい文化革命でした。文学芸術は、絶えず革新し、新たなもの、新たな様式を創造しなければなりません。皆が同じようなことを書くなら、お互いに何を交流するのでしょうか。正に各々が異なっているからこそ、互いに見習い、優れた点を吸収して欠点を補い、共に向上することができるのです。新たに創造したものは、何人かの人は見慣れないと感じるかもしれませんが、皆が議論すればよいのです。みんなで文学形式の上で殻を破り、新たな創造ができることを希望します。

【出典】老舎《出口成章》上海・復旦大学出版社 2004年7月

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