第1回の九州遠征は僅か2枚の収穫を得ただけの、無惨な失敗に終わったが、
その時聞いた宇治群島の名前はいつまでも耳にや焼きついて離れなかった。
竿釣りの宝庫として、1日85枚も釣れたという宇治群島、今度行くときはなんとしても
そこへ行ってやるゾという思いは、次第に私の心の中で熟度を増し憑かれたような執念となって凝り固まっていった。
目を閉じると、まだ見ぬ宇治群島が、一望千里の大海原に、点々と浮かんでいるのが、
網膜の裏に見えるようだった。
4月25日、二木島の石鯛釣りにアブレ帰宅すると、手打ちH氏から速達が届いていた。
鷹島で、50枚釣れたから、ぼちぼちシーズンに入ったと思う、お越し下さい、という文面
桁外れに景気の良い情報である。
さあ、そんな情報を目にしては、もう矢も楯もたまらない。
早速長距離電話で浜里氏を呼び出し、船の準備を依頼する一方、大童に荷物を整えた。
生憎、同行の大井氏が都合悪く、佐古田氏またスケジュールあって行けないとのこと、
それでも私は行くとばかり、私一人が27日の夜行に飛び乗った。
連休をひかえた汽車の中は、立スイの余地もない超満員、私は阿久根まで殆ど一睡も
出来ないでいた。
浜里氏の幸親丸が阿久根まで迎えに来たが、バッテリーの充電やら、氷の補給に2日も
かかり折角の好天続きを、イライラしながら無為に過ごした。ただこの間、阿久根の
市場で1貫足らずのサザエをやっとみつけ、それを宝物のように大切に抱えて船に積み込んだのがせめてもの収穫だった。
宇治に向けて出発したのは、だから5月1日、この地方では珍しいほどの晴天無風の日だった。そのせいか船足は意外に早く、5時間ほどで、目指す宇治群島の遠景が見え、正午には島に辿り着いた。
島は夢に見たそれとそっくりだった。 紺碧の空とエメラルドの海の真っ只中に、ポッカリと
浮かんだその島は、さながら別天地に見えた。ビロー樹が生え茂り、それが南国の強い陽光に映えて、しみいるような緑の影を一そう濃くしている様は、異国情調も満点で、遥けくも、来つるものかな、の感を、いよいよ深くした。
その上磯の様相がまた、魚の宝庫の称号もさこそと肯かせるほどの素晴らしさ、全島
皆これ好ポイントに見える。
ところで何はともあれ先ず餌だ。1貫足らずのサザエでは、これからの長期戦に、何としても余りに心細い。早速伝馬を下ろして磯に渡り、まず餌の採集にとりかかった。
時給自足という戦法だ。
此の島には穴子(ナガレコの一種)が多いということだが、磯に上がってみると、成る程
あるワあるワ、忽ちのうちに3貫目ばかりも採集した。
それを海水でザブザブ洗って、その一つを口に入れると、実に美味い。
これならヒサも飛びつくだろうと思って、時計を見ると午後3時半。石鯛にはちょっと時間が遅いので、楽しみは明日ということにし船に戻って今度は夜釣りの準備にかかった。
夕食後、いよいよクエ釣り、磯に渡って竿を出したが、潮でも悪いのか、コトリトともアタリのないままに夜が更けた、船頭氏が小さいフカと巨大なウツボを上げただけだった。続く