山田映画の根底にあるものは、希望、それも、「ほんのかすかな、遠い山の肩にかかる残雪のような希望」。
これは、「資料1」にある、チャップリン映画を評した山田監督の言葉であるが、監督自身の映画観、映画をつくる人、観る人への信頼であり、信念のそれでもある。
『小津安二郎全集 別巻』に、これに関連した座談会の発言があったので、「資料3」として、引用する。
「佐藤忠男」 それに、昔のほうが今ほど大衆映画とアート系映画との区別が極端ではなかったですね。今ならアート系に分類される大監督の映画でも、大スターが出てましたから。だから一般観客も見に行くし、大監督のほうもスターのファンをがっかりさせるようなことはしないですからね。だから芸術性が高いと言っても、観客が喜ぶようにちゃんと作っていました。そういう意味で小津さんは、職人としての修行をきちんと積んだ監督なんですよ。今の我々がアート系監督として分類するのがむしろおかしい。「もっと自己をはっきり出すべきだ」と作家主義の洗礼を受けた我々は言いがちです。「自己の戦争体験をもう少し表現すべきだったのではないか」というのもそのひとつ。でも小津の時代の監督たちは、作家主義とはちょっと違う次元で仕事をしていた。それはたしかなことじゃないでしょうか。
「井上和男」 今の佐藤さんの言葉で、『浮草』(一九五九年)のころのある出来事を思い出しました。この作品を小津さんは大映のスタジオで撮ったんですよ。このころ、僕はもう監督になっていましたが、陣中見舞いを持って行ったんです。小津さんお気に入りの銀座の東興園のシューマイですね。そうしたら夜になって吉村公三郎さんも来て、みんなでシューマイを肴に酒を酌み交わし始めた。そのとき小津さんがひょいと言ったんです。「おい、ラストで砂利かますなよ」って。これにはびっくりしました。
「川本三郎」 それはどういう意味ですか。
「井上」 砂利は我々のジャーゴン(業界用語)では子供のこと。ところがこれは本物の砂利なんです。
「川本」 え?
「佐藤」 私が説明しましょう。ご飯の中に小石が混じっているということなんです。例えば小津が批判した木下(恵介)の『日本の悲劇』ならば、最後の悲惨さは「砂利をかます」ことだとなる。その場に同席していたという吉村公三郎作品で言えば『夜の河』(一九五六年)のラスト、メーデーの場面にフランス革命の三色旗のようにして背景に染物の布が出て来るんですが、これは本編と何の関係もない。これこそ「砂利」です。美味しいご飯を食べていたら小石が歯に挟まった、そんな不快感がある。そういうことですね。
「川本」 なるほど。たしかにそれは職人のやることではない。
『小津安二郎全集〔別巻〕』座談会 「いま、なぜ小津安二郎か_小津映画の受容史」(2003.4.10 第一刷発行)
神田神保町のいくつもの古書店には、佐藤忠男氏の『小津安二郎の芸術』が並んでいた。名著である証拠だが、私はまだ読んでいない。このブログが、私なりに、ひとつ区切りがついたら読みたいが、私にとっての、佐藤忠男氏の著作の最高峰は、『教育における自由』だ。 (国土社 1969.12.10 初版発行 1972.3.20 再版発行。)このテーマに関心のある方は、古書店か図書館で探して読んでほしいが、新聞社、それも、A新聞の図書室にあるなら、ぜひとも今、読んでほしい。これは、冗談ではなく、そう思っている。
これは、「資料1」にある、チャップリン映画を評した山田監督の言葉であるが、監督自身の映画観、映画をつくる人、観る人への信頼であり、信念のそれでもある。
『小津安二郎全集 別巻』に、これに関連した座談会の発言があったので、「資料3」として、引用する。
「佐藤忠男」 それに、昔のほうが今ほど大衆映画とアート系映画との区別が極端ではなかったですね。今ならアート系に分類される大監督の映画でも、大スターが出てましたから。だから一般観客も見に行くし、大監督のほうもスターのファンをがっかりさせるようなことはしないですからね。だから芸術性が高いと言っても、観客が喜ぶようにちゃんと作っていました。そういう意味で小津さんは、職人としての修行をきちんと積んだ監督なんですよ。今の我々がアート系監督として分類するのがむしろおかしい。「もっと自己をはっきり出すべきだ」と作家主義の洗礼を受けた我々は言いがちです。「自己の戦争体験をもう少し表現すべきだったのではないか」というのもそのひとつ。でも小津の時代の監督たちは、作家主義とはちょっと違う次元で仕事をしていた。それはたしかなことじゃないでしょうか。
「井上和男」 今の佐藤さんの言葉で、『浮草』(一九五九年)のころのある出来事を思い出しました。この作品を小津さんは大映のスタジオで撮ったんですよ。このころ、僕はもう監督になっていましたが、陣中見舞いを持って行ったんです。小津さんお気に入りの銀座の東興園のシューマイですね。そうしたら夜になって吉村公三郎さんも来て、みんなでシューマイを肴に酒を酌み交わし始めた。そのとき小津さんがひょいと言ったんです。「おい、ラストで砂利かますなよ」って。これにはびっくりしました。
「川本三郎」 それはどういう意味ですか。
「井上」 砂利は我々のジャーゴン(業界用語)では子供のこと。ところがこれは本物の砂利なんです。
「川本」 え?
「佐藤」 私が説明しましょう。ご飯の中に小石が混じっているということなんです。例えば小津が批判した木下(恵介)の『日本の悲劇』ならば、最後の悲惨さは「砂利をかます」ことだとなる。その場に同席していたという吉村公三郎作品で言えば『夜の河』(一九五六年)のラスト、メーデーの場面にフランス革命の三色旗のようにして背景に染物の布が出て来るんですが、これは本編と何の関係もない。これこそ「砂利」です。美味しいご飯を食べていたら小石が歯に挟まった、そんな不快感がある。そういうことですね。
「川本」 なるほど。たしかにそれは職人のやることではない。
『小津安二郎全集〔別巻〕』座談会 「いま、なぜ小津安二郎か_小津映画の受容史」(2003.4.10 第一刷発行)
神田神保町のいくつもの古書店には、佐藤忠男氏の『小津安二郎の芸術』が並んでいた。名著である証拠だが、私はまだ読んでいない。このブログが、私なりに、ひとつ区切りがついたら読みたいが、私にとっての、佐藤忠男氏の著作の最高峰は、『教育における自由』だ。 (国土社 1969.12.10 初版発行 1972.3.20 再版発行。)このテーマに関心のある方は、古書店か図書館で探して読んでほしいが、新聞社、それも、A新聞の図書室にあるなら、ぜひとも今、読んでほしい。これは、冗談ではなく、そう思っている。