「東京帝大におけるアインシュタイン教授特別講演(1922年〔大正11年〕11月) 聴講者 『アインシュタインの東京大学講義録』杉本賢治 編著
京都帝大理学博士 西内貞吉
横濱商工教授 池内本
〃 中西勝治
東京帝大工科講師 谷 安正
東京帝大理学博士 竹内端三
東京高工教授 竹内時男
第一高等学校教授 竹内潔
東京帝大理学博士 寺田寅彦
と、寺田寅彦の名前も見える。以下、学生まで含めて、聴講者135名。ただ、名簿の配列が、微妙にアイウエオ順のような、そうでないような奇妙な感じ(笑)。まんなか位に、東京帝大理科学長 長岡半太郎の名前がある。
ここでこの本を紹介したのは、同じく講義を聴講した荒木俊馬(砲工学校教授)の残した講義録に、「アインシュタインは∫を下から書いた」 と載っていたからである。
“広田先生が、こんな事を云う。「どうも物理学者は自然派じゃ駄目の様だね」
物理学者と自然派の二字は少なからず満場の興味を刺激した。
「それはどう云う意味ですか」と本人の野々宮さんが聞き出した。広田先生は説明しなければならなくなった。” 『三四郎』夏目漱石 1908年(明治41年)9~12月、「朝日新聞」に連載。
「第2章 積分の計算 (扉)」宇沢弘文
京都帝大理学博士 西内貞吉
横濱商工教授 池内本
〃 中西勝治
東京帝大工科講師 谷 安正
東京帝大理学博士 竹内端三
東京高工教授 竹内時男
第一高等学校教授 竹内潔
東京帝大理学博士 寺田寅彦
と、寺田寅彦の名前も見える。以下、学生まで含めて、聴講者135名。ただ、名簿の配列が、微妙にアイウエオ順のような、そうでないような奇妙な感じ(笑)。まんなか位に、東京帝大理科学長 長岡半太郎の名前がある。
ここでこの本を紹介したのは、同じく講義を聴講した荒木俊馬(砲工学校教授)の残した講義録に、「アインシュタインは∫を下から書いた」 と載っていたからである。
“広田先生が、こんな事を云う。「どうも物理学者は自然派じゃ駄目の様だね」
物理学者と自然派の二字は少なからず満場の興味を刺激した。
「それはどう云う意味ですか」と本人の野々宮さんが聞き出した。広田先生は説明しなければならなくなった。” 『三四郎』夏目漱石 1908年(明治41年)9~12月、「朝日新聞」に連載。
「第2章 積分の計算 (扉)」宇沢弘文