夏目漱石の『三四郎』を読むと、どうしても、ここに目が行く。
“次に本場の寄席へ連れて行ってやると云って、又細い横町へ這入って、木原店(きわらだな)と云う寄席へ上がった。此処で小さんという落語家(はなしか)を聞いた。
〔石川注 三代目柳家小さん 安政4-昭和5 1857-1930〕
十時過ぎ通りへ出た与次郎は、又「どうだ」と聞いた。
三四郎は物足りたとは答えなかった。然し満更物足りない心持もしなかった。すると与次郎は大いに小さん論を始めた。
小さんは天才である。あんな芸術家は滅多に出るものじゃない。何時でも聞けると思うから安っぽい感じがして、甚だ気の毒だ。実は彼と時を同じゅうして生きている我々は大変な仕合せである。今から少し前に生れても小さんは聞けない。少し後れても同様だ。――円遊も旨い。
〔石川注 (俗に)初代三遊亭圓遊 嘉永3-明治40 1850-1907〕
然し小さんとは趣が違っている。円遊の粉した太鼓持は、太鼓持になった円遊だから面白いので、小さんの遣る太鼓持は、小さんを離れた太鼓持だから面白い。円遊の演ずる人物から円遊を隠せば、人物がまるで消滅してしまう。小さんの演ずる人物からいくら小さんを隠したって、人物は活潑潑地(はっち)に躍動するばかりだ。そこがえらい。
〔石川注 『三四郎』の朝日新聞への連載は、明治41(1908)。つまり、圓遊死去の翌年。ああ、ほんとうに「少し後れても同様だ」。〕”
『東京家族 劇場用プログラム』には、林家正蔵師のインタビューも載っている。「出演依頼を受けた時はどう思いましたか?」という問いに、
“はい、私でよろしいんでしょうか?って。でも監督は「金井庫造という役はあなたに当てて書いたものだから、どうぞ安心して引き受けてください」っておっしゃったんです。”
と答えている。あの人物の、静かな「躍動」は、こうして造形されていた!役に生命を吹き込んだ正蔵師の演技は、圧巻で、素晴らしかった。
プログラムには、正蔵師のモップで床を掃除する写真も載っていて、師の若い時にはあまり感じなかったが、先代三平師のお顔によく似て来ている。親子であるから当たりまえであるが、古今亭志ん朝師も若い時は志ん生師に似ているとは思わなかったが、その晩年、寄席で聴くはなしは勿論志ん朝師だが、お顔の奥から志ん生師が浮き出てくる瞬間もあり、はなしにたゆたいながらも、強く「血」を感じていたのも思い出す。
今、『落語家事典』を読んで思う事もあるが、俗に「長生きも芸のうち」だと云うし、いずれこのブログでお母上についても言及するので、またゆっくり寄席へ上がって、正蔵師のはなしを聴きに行く。
“次に本場の寄席へ連れて行ってやると云って、又細い横町へ這入って、木原店(きわらだな)と云う寄席へ上がった。此処で小さんという落語家(はなしか)を聞いた。
〔石川注 三代目柳家小さん 安政4-昭和5 1857-1930〕
十時過ぎ通りへ出た与次郎は、又「どうだ」と聞いた。
三四郎は物足りたとは答えなかった。然し満更物足りない心持もしなかった。すると与次郎は大いに小さん論を始めた。
小さんは天才である。あんな芸術家は滅多に出るものじゃない。何時でも聞けると思うから安っぽい感じがして、甚だ気の毒だ。実は彼と時を同じゅうして生きている我々は大変な仕合せである。今から少し前に生れても小さんは聞けない。少し後れても同様だ。――円遊も旨い。
〔石川注 (俗に)初代三遊亭圓遊 嘉永3-明治40 1850-1907〕
然し小さんとは趣が違っている。円遊の粉した太鼓持は、太鼓持になった円遊だから面白いので、小さんの遣る太鼓持は、小さんを離れた太鼓持だから面白い。円遊の演ずる人物から円遊を隠せば、人物がまるで消滅してしまう。小さんの演ずる人物からいくら小さんを隠したって、人物は活潑潑地(はっち)に躍動するばかりだ。そこがえらい。
〔石川注 『三四郎』の朝日新聞への連載は、明治41(1908)。つまり、圓遊死去の翌年。ああ、ほんとうに「少し後れても同様だ」。〕”
『東京家族 劇場用プログラム』には、林家正蔵師のインタビューも載っている。「出演依頼を受けた時はどう思いましたか?」という問いに、
“はい、私でよろしいんでしょうか?って。でも監督は「金井庫造という役はあなたに当てて書いたものだから、どうぞ安心して引き受けてください」っておっしゃったんです。”
と答えている。あの人物の、静かな「躍動」は、こうして造形されていた!役に生命を吹き込んだ正蔵師の演技は、圧巻で、素晴らしかった。
プログラムには、正蔵師のモップで床を掃除する写真も載っていて、師の若い時にはあまり感じなかったが、先代三平師のお顔によく似て来ている。親子であるから当たりまえであるが、古今亭志ん朝師も若い時は志ん生師に似ているとは思わなかったが、その晩年、寄席で聴くはなしは勿論志ん朝師だが、お顔の奥から志ん生師が浮き出てくる瞬間もあり、はなしにたゆたいながらも、強く「血」を感じていたのも思い出す。
今、『落語家事典』を読んで思う事もあるが、俗に「長生きも芸のうち」だと云うし、いずれこのブログでお母上についても言及するので、またゆっくり寄席へ上がって、正蔵師のはなしを聴きに行く。