このテーマは、『東京家族』と直接の関連はないので、例によって「写経」カテゴリーにしようと思ったが、記事のつながりを考えて、この場所に書く。
あれは、20回目もほど近い「憂国忌」。ふたりの英霊に捧げる、厳粛な式が続く。途中司会者が、参加予定だった石原慎太郎氏が来られない旨を伝え、氏のメッセージが読まれた。その内容は、私の記憶には残っていない。
“Now a herd of many swine was feeding there on the mountain. So they begged Him that He would permit them to enter them. And He permitted them.
Then the demons went out of the man and entered the swine, and the herd ran violently down the steep place into the lake and drowned.
When those who fed them saw what had happened, they fled and told it in the city and in the country.
Then they went out to see what had happened, and came to Jesus, and found the man from whom the demons had departed, sitting at the feet of Jesus, clothed and in his right mind. And they were afraid.
They also who had seen it told them by what means he who had been demon-possessed was healed. ” 『New King James Version』
―― 本当に背の低い人でしたよ、これくらいの人間でした! 『新しい人よ眼ざめよ』大江健三郎
最後にひとりのわかものが、「檄」を絶叫して、式は終わった。
“聖典の民(『コーラン』ではユダヤ教徒、キリスト教徒、それに回教徒をふくめて「聖典の民」という。神の天啓を授けられた民の意味である。ここではユダヤ教徒およびキリスト教徒を指す)の中でも信仰なき者どもや、それから多神教信者たちは、汝らが神様から何か結構なものが下されるのを快く思わない。しかしアッラーは御心のままに誰にでも特別の御慈愛を授け給う。アッラーは大きな恩寵の持主におわします。” 『コーラン』 井筒俊彦 訳
三島の自決は、戦後日本にふたつあった、大きな歴史の分岐のひとつである。もうひとつは、この約20年後に起こる。これらを、考え抜かずに過ごしてしまった事が、現在の政治の惨状、これに直接つながっている。
あれは、20回目もほど近い「憂国忌」。ふたりの英霊に捧げる、厳粛な式が続く。途中司会者が、参加予定だった石原慎太郎氏が来られない旨を伝え、氏のメッセージが読まれた。その内容は、私の記憶には残っていない。
“Now a herd of many swine was feeding there on the mountain. So they begged Him that He would permit them to enter them. And He permitted them.
Then the demons went out of the man and entered the swine, and the herd ran violently down the steep place into the lake and drowned.
When those who fed them saw what had happened, they fled and told it in the city and in the country.
Then they went out to see what had happened, and came to Jesus, and found the man from whom the demons had departed, sitting at the feet of Jesus, clothed and in his right mind. And they were afraid.
They also who had seen it told them by what means he who had been demon-possessed was healed. ” 『New King James Version』
―― 本当に背の低い人でしたよ、これくらいの人間でした! 『新しい人よ眼ざめよ』大江健三郎
最後にひとりのわかものが、「檄」を絶叫して、式は終わった。
“聖典の民(『コーラン』ではユダヤ教徒、キリスト教徒、それに回教徒をふくめて「聖典の民」という。神の天啓を授けられた民の意味である。ここではユダヤ教徒およびキリスト教徒を指す)の中でも信仰なき者どもや、それから多神教信者たちは、汝らが神様から何か結構なものが下されるのを快く思わない。しかしアッラーは御心のままに誰にでも特別の御慈愛を授け給う。アッラーは大きな恩寵の持主におわします。” 『コーラン』 井筒俊彦 訳
三島の自決は、戦後日本にふたつあった、大きな歴史の分岐のひとつである。もうひとつは、この約20年後に起こる。これらを、考え抜かずに過ごしてしまった事が、現在の政治の惨状、これに直接つながっている。