近い過去と、すこし遠い過去、現在の政治の惨状を理解するために。
①「田中秀征(序)」
直接の始まりは、「政治改革」と「選挙制度改革」を混同した言葉のゆるさに起因するのではないか?
“政治改革法の成立とともに、細川政権の「政治改革政権」としての一義的使命は終わり、それによる求心力はほぼ消滅した。(中略)
また、細川政権は、会期末の土壇場で、自民党と妥協して政治改革法案の成立を図った。これは瞬間的にせよ、反自民の枠を越え、大連立、挙国一致体制が現出したことを意味している。それまでかたくなに自民党に背を向けていた連立与党も、ここで初めて自民党と向き合い固い握手をかわすことになる。かくして細川政権の非自民、反自民の性格が一気に薄められ、それによる求心力も急速に弱まることになった。”
『さきがけと政権交代』 田中秀征 (東洋経済新報社 1994年4月14日 発行)
ここでまず、政治的課題がある度に言及される、「公債残高の累増」の表を見ると、
http://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/004.htm
平成5年(1993年)の細川政権の後に、グラフの性格が一変している。
「田中秀征(序)」 2013.12.6記,転記
② 2013/01/24 院内集会「102年後に大逆事件を問う」 (IWJ)
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/54856
“私たちの流儀を温めつつ、反撃の相談を始めよう。” 『2013.12.6 東京新聞』(牧)氏