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映画『東京家族』について

『ニーチェの馬』  第二日目の対話

2013年12月25日 | 映画『東京家族』


 「(クランク)イン前の参考試写。内容が似てるというだけで選ぶのではないんだ。もっと、大切なことをみんなで共有するためにやる。」 山田洋次                     

                                                  『ある晴れた日の東京家族』 犬童一心



「焼酎(バーリンカ)を分けてもらえないか」

 (中略)

―― なぜ町へ行かずに

「町は風にやられた」

―― どうして?

「めちゃくちゃだ」

―― そんなバカな

「すべて駄目になった
 何もかも堕落した
 人間が一切を駄目にし
 堕落させたのだ
 この激変をもたらしたのは
 無自覚な行いではない
 無自覚どころか
 人間自らが審判を下した
 人間が自分自身を裁いたのだ
 神も無関係ではない
 あえて言えば加担している
 神が関わったとなれば
 生み出されるものは
 この上なくおぞましい
 そうして世界は堕落した
 俺が騒いでも仕方ない
 人間がそうしてしまった
 陰で汚い手を使って闘い
 すべてを手に入れ

 (音楽 徐徐にin)

 堕落させてしまった
 ありとあらゆるものに触れ
 触れたものを全部
 堕落させた
 最後の勝利を収めるまで
 それは続いた
 手に入れては堕落させ
 堕落させ手に入れる
 こんな言い方もできる
 触れ 堕落させ 獲得する
 または ―
 触れ 獲得し 堕落させる
 それがずっと続いてきた
 何世紀もの間延々と
 時には人知れず 時には乱暴に
 時には優しく 時には残忍に
 それは行われてきた
 だがいつも不意討ちだ
 ずるいネズミのように
 完全な勝利を収めるには
 闘う相手が必要だった
 つまり優れたものすべて
 何か気高いもの…
 分かるだろう?
 相手にすべきではなかった
 闘いを生まぬよう
 それらは消え去るべきだった
 優秀で立派で気高い人間は
 姿を消すべきだったのだ
 不意討ちで勝利した者が
 世界を支配している
 彼らから何かを隠しておく ―
 ちっぽけな穴すらない
 彼らはすべてを奪い尽くす
 手が届くはずがないものでも
 奪われてしまう
 大空も我々の夢も奪われた
 今この瞬間も 自然界も
 無限の静寂も
 不死すら彼らの手の中だ
 すべてが永遠に奪われた
 優秀で立派な気高い人間は
 それを見ていただけだ
 その時 彼らは
 理解せざるを得なかった
 この世に神も神々もいないと
 優秀で立派な気高い人間は
 最初からそれを
 理解すべきだった
 だがその能力はなかった
 信じ 受け入れたが
 理解することまでは
 できなかった
 途方に暮れていただけだ
 ところが ―
 理性からの嵐では
 理解できなかったのに
 その時一瞬にして悟った
 神も神々もないことを
 この世に善も悪もないことを
 そして気づいた
 もしそうなら
 彼ら自身も存在しないと
 つまり言ってみれば
 その瞬間 ―
 彼らは燃え尽き 消えたのだ
 くすぶった末に ―
 消え失せる火のように
 片方は常に敗者で
 もう片方は常に勝者だ
 敗北か勝利か
 どちらかしかない
 だがある日
 この近くにいた時
 俺は気づいた
 それは間違いだったと
 俺はこう思っていたのだ
 “この世は決して変わらない
 これまでも これからも” と
 だが大間違いだった
 変化はすでに起きていたのだ」



―― いい加減にしろ くだらん










 “きょうも風がつめたい。”

 “さわやかな風が吹いている。”
                


                    『親鸞 完結篇』 五木寛之 (東京新聞)

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