Blog 81

映画『東京家族』について

写経(笑) 1.ルカによる福音書 第8章 「悪霊に取りつかれたゲラサの人をいやす」

2013年04月21日 | 写経(笑)
 一行は、ガリラヤの向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。イエスが陸に上がられると、この町の者で、悪霊に取りつかれている男がやって来た。この男は長い間、衣服を身に着けず、家に住まないで墓場を住まいとしていた。イエスを見ると、わめきながらひれ伏し、大声で言った。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい。」
 イエスが、汚れた霊に男から出るように命じられたからである。この人は何回も汚れた霊に取りつかれたので、鎖でつながれ、足枷をはめられて監視されていたが、それを引きちぎっては、悪霊によって荒れ野へと駆り立てられていた。イエスが、「名は何というか」とお尋ねになると、「レギオン」と言った。たくさんの悪霊がこの男に入っていたからである。そして悪霊どもは、底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないようにと、イエスに願った。
 ところで、その辺りの山で、たくさんの豚の群れがえさをあさっていた。悪霊どもが豚の中に入る許しを願うと、イエスはお許しになった。悪霊どもはその人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れは崖を下って湖になだれ込み、おぼれ死んだ。この出来事を見た豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。そこで、人々はその出来事を見ようとしてやって来た。彼らはイエスのところに来ると、悪霊どもを追い出してもらった人が、服を着、正気になってイエスの足もとに座っているのを見て、恐ろしくなった。成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれていた人の救われた次第を人々に知らせた。
 そこで、ゲラサ地方の人々は皆、自分たちのところから出て行ってもらいたいと、イエスに願った。彼らはすっかり恐れに取りつかれていたのである。そこでイエスは舟に乗って帰ろうとされた。悪霊どもを追い出してもらった人が、お供したいとしきりに願ったが、イエスはこう言ってお帰しになった。「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい。」その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとく町中に言い広めた。



                                                          『聖書』 新共同訳





  →(関連)  『悪霊』 ドストエフスキー

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

写経(笑) ・序

2013年04月19日 | 写経(笑)
 新しいカテゴリーを追加する事にした。この、「写経(笑)」を思い立ったのは、「映画.com」サイトの『東京家族』レビュー欄に、どなたかが、「大きな仏壇」に言及されていた事からの連想である。写経は、仏典をより深く精神に感応するために行うものだろうと思うが、私はそれを、仏典に加えて、対象を広くとる。予定では、数式を伴う科学の「写経」もする。なぜなら、仏典も数式も、私にとって、よくわからない「お経」のようなものだからである。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『東京家族』 (その14)  長江古義人と塙吾良の対話 (まわり道5)

2013年04月18日 | 映画『東京家族』
 “―きみはいま、自分の小説が誰に読まれると思ってるんだろう?新進作家となってからある年齢まで、きわめて大きい読者というのではないが、まあ、純文学としては例外的な部数の作家がきみだった。いまも、こうして生活できるだけの本の売れ行きは維持している。そうきみはいいたいだろう?むしろそれがあるために、きみには、自分がいまどういう読者に読まれているか、先行きはどうか、という配慮と、どのようにして新しい読者を獲得するか、という企業努力が欠落しているよ。
 映画だと、そういう悠長なことは誰もやってはいられないぜ。おれの場合、映画会社に所属しているわけじゃないし_といっても、そういう所も軒並赤字だがな_興行不振が二度続けば、もう次の作品を撮る見込みはない。それを千樫が話すと、いや吾良ならそうじゃないだろう、ときみはいったそうだが、こういう点でもきみの時代認識はズレているんだ。こちらの作るものは「寅さん」じゃないから、観客は変わり続けるしね、いかに新しい観客を開拓するかが、緊急の課題なんだ。だからといって、自分に面白い主題を、自分の作り方で撮る、その大枠を外すわけではないんだぜ……”




                                                             『取り替え子 チェンジリング』 大江健三郎




 「まわり道」も、「寅さん」まで戻ってきた。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『東京家族』 (その13)  IWJ (まわり道4)

2013年04月18日 | 映画『東京家族』
 IWJとは、ジャーナリストの岩上安身氏が責任編集する、Independent Web Journal のことである。このブログの、映画『東京家族』(その1)に引用した、『シナリオ構造論』野田高梧 の言葉でいう、「事実」を追求する、現代考え得る、最上のメディアでもある。
 最近の配信では、「2013/04/12 イラク戦争はまだ終わってない 現地の映像と共にイラクの被害実態を明かす ~ 高遠菜穂子インタビュー」 で、イラク開戦当初から現在まで、現地で活動を続けていられる高遠氏に、3時間を越えるインタビューをした映像がある。これは、この戦いで亡くなられたイラクの方々のご遺体の映像に対する配慮があり、IWJ会員のみへの配信になっているが、この問題で、このインタビューの内容の事実を出発点としない、すべての議論は、空論である。



 もうひとつ言及したいのが、「2013/01/10 さようなら原発記者会見」の事だ。鎌田慧氏、澤地久枝氏、落合恵子氏のお三方と、大江健三郎氏も会見している。その大江氏の発言の最初の方に、私がもし記者だったら質問をするだろう部分がある。
 このように、IWJは、毎日何本もの配信が行われているので、まだ会員になられていない方は、ぜひ会員になって、ご自分に必要な一次情報を取得し、考える出発点としてほしいと、影響力のほとんどない、このブログでお願いする次第である(笑)。





 “Do not go gentle into that good night” DYLAN THOMAS


 

 “私はあなたがそのようにして、吾良のいる向こう側に行く準備をしているのだ、とは思いませんけど……” 『取り替え子 チェンジリング』大江健三郎

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『東京家族』 (その12) T.S .ELIOT (寄り道 改め まわり道3)

2013年04月17日 | 映画『東京家族』
 予定を変更して、記事の連続性を考えて、前回の続きを書く。
 理由は、後に参照する際(珈琲時光に言及する時)に、まとまっていた方が、わかりやすいと考えたから。
 寄り道よりは、ちょっと遠くまで行くから、まわり道と改題した。



 “And the pool was filled with water out of sunlight,

 And the lotos rose, quietly, quietly,

 The surface glittered out of heart of light,

 And they were behind us, reflected in the pool.

 Then a cloud passed, and the pool was empty.

 Go, said the bird, for the leaves were full of children,

  Hidden excitedly, containing laughter.”




                                                   ―『FOUR QUARTETS』 「Burnt Norton」 T.S.Eliot

『さようなら、私の本よ!』 大江健三郎 (単行本版 p.97 参照)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする