WHOの見解に我が国の政府関係者は思案投げ首のようですが、まあこれも予想されたことであって、今頃慌てても世界から取り残されるだけですね。
世界は既にコロナをなかったかのような状態に追いやって日常を完全に取り戻しています。いまだに5類認定されていない我が国ではメディアの時たまの煽りにも恐れている人がいるようです。既に忘れている人も多いのでしょうが。
※以下、引用です。
最近、WHOが健康な子どもはコロナワクチンを必ずしも接種する必要はないと声明を発表しました。
非推奨、ということで、ようやくのこと世界の保健行政の中心が叫んだわけです。
僕らが、子どもへのコロナワクチン接種の停止を求める署名を始めたのが、2021年の7月2日でした。
およそ1年9ヶ月で、ようやくです。
世界中でそうですが、特に日本では、接種を推奨し続けた結果、感染者数の抑制にはつながらず、圧倒的な超過死亡者が出ています。
こちらもようやくのことですが、接種後に亡くなられてしまった方への死亡一時金が支払われるようになってきました。
コロナの感染不安による盲目的な状況も、春の雪解けのように少しずつとけてきているのかもしれません。
それは、待ち望んだことでもあるのですが、このままただただ事務的に社会が進み、コロナの狂乱が風化していくに任せているわけにもいきません。
というのも、この3年間の感染対策や政策の是非をあらためて振り返り、今後同じようなことが起こらないようにしなければならないからです。
それと同時に、今回の過ちから、人が健康に暮らすのにより望ましい環境を作っていくための礎(いしずえ)を築いていくべきでしょう。
特に、この3年間、僕ら大人が子どもたちに押し付けてしまった諸々の事柄、黙食、ソーシャルディスタンス、マスクなどなどの影響を改めて考えていくことが必要です。
特にマスクは、着用率の高い日本では、日常風景を一変してしまうほどのものです。
青少年では、自分の顔を相手に見せることに心理的な障害を感じてしまう子も多いでしょう。
また、乳幼児に至っては、親や保育者の表情を見ることなく過ごすことになった子もいるはずです。
言語や感情表現、また相手の気持ちを読み取る力などが今までと同じように培われているのかどうか、心配になります。
3月13日にマスクが改めて任意になりましたが、春の陽気の中でもまだ大半の人が着けています。
4月になったら変わるのか、子どもたちも新年度を迎える今、コロナの感染対策が子どもたちに与えた影響を知り、健やかに育っていくために、より望ましい環境をつくるきっかけが欲しいと思っています。
4月23日(日)岡山ですが、オンライン同時配信で、「マスク社会が危ない」の著書である京都大学大学院教育学教授の明和政子先生を迎えて、ポストコロナの子育てシンポジウムを開催することになりました。
共著者である鳥集さん、中学校の現場で子どもたちの体験を重視されていた原口先生もお招きして開催します。
詳細は下のリンクからご確認ください。
https://0423edu-okayama.peatix.com/view
今回の過ちを、より良い子育て環境をつくるきっけにしていきましょう。
コロナの弊害は色んなところで顔を出します。文中にもある通り、この狂気の時期を忘れてはいけないのです。世の中が狂った情報に左右され、特に日本国内での同調圧力は恐ろしいものがありました。もし、職場でワクチン接種が就業の条件とされたなら、自らの意志に反してワクチンを打つか、或いは不本意ながら退職するか、の二者択一を迫られたわけです。そういう不条理が許されるほど人々を狂気の沙汰に追い込んだ政治家たちとその手先のメディアの人々が、これからWHOの手のひら返しにどう反応するのか、見ものですが大きな期待はできません。そもそも効果のわからない(ないと断言すると風当たりが強くなるので)ワクチンに国家の年間予算に匹敵する支出をした責任は誰も負わないのでしょうね。(そういえば、厚労省の職員はワクチン接種率が20%台だという話も有耶無耶にされたままですね)
大人は建前で生きていけますが、子供たちはそうはいきません。マスクにしても、適当な自己責任論で丸投げでは事態を収拾できないでしょう。大人ならしばらくは花粉を理由に言い逃れできますが、そうはいかない人々は困惑しています。
そういうところですら、はっきりと決断できない人が政治のかじ取りをしているのも恐ろしい話ですね。
おっと、ここでもWebの禁止エリアに踏み込みそうなのでこの辺にしておきましょう(笑)
まあ、皆さんご安全に日々をお過ごしくださいね。