安倍総理の退陣表明により、総理大臣への道が拓けた菅義偉(よしひで)官房長官。戦いの幕が開くや、いきなりの王手となったが、背景には密かに総裁選出馬に向けて進めてきた“準備”があったのだ。 ***
9・10・2020
総理大臣の権力というものが持つ底知れぬ魔力を物語るエピソードがある。 「小渕内閣の官房長官として黒子に徹していた野中(広務)さんですら、最後の最後には自らが総理大臣になるかどうかで相当悩んだ。総理大臣が持つ絶大な権力を間近で見てしまうと、やはりどんな人でも“自分も”と思ってしまうわけです。野中さんは結局、あることを理由に総理大臣になるのは諦めましたが……」(閣僚経験者)
「叩き上げ」「策士」――。野中氏と共通項を持つ一人の政治家が今、野中氏が踏みとどまった最後の一線を越えようとしている。 菅義偉官房長官(71)。
安倍総理が退陣を表明した翌日の8月29日、早くも「自民党総裁選に出馬の意向」と報じられたのだ。これまで出馬の可能性について「考えたこともない」と一貫して否定していたにもかかわらず、総理が退陣を表明するや、いきなり豹変したわけである。もちろん、「考えたこともない」との菅氏の発言を額面通りに受け取っていた者は永田町にはいまい。何しろ、表面上は出馬を否定しながら、出馬に向けて着々と布石を打っていたのだから。
その布石にはすでに報じられているものとそうでないものがある。「ポスト安倍」のカギを握る自民党の二階俊博幹事長と、6月、7月、8月と3カ月連続で会食したことは既報だが、読売新聞の記事によると、そこでは次のようなやり取りがあったという。 二階氏「次の首相はどうか。やるなら応援するよ」 菅氏「ありがとうございます」
麻生氏に送った「メッセージ」
菅氏と親しい参院議員の鈴木宗男氏が言う。 「安倍総理の残念な記者会見があってから、菅さんには『必ず声がかかりますから頑張って下さい』と激励しました。菅さんはいつも何を言っても『ありがとうございます』。そこが菅さんの偉いところで、他には何も言いません」
全国紙の政治部デスクによると、 「退陣表明翌日の29日、二階さんは早速菅さんと会談し、改めて総裁選での支援を約束しています。また、二階さんは大島理森衆院議長や森山裕国対委員長とも会談。総裁選の形式を、党員投票なしで両院議員総会で選ぶ方式にすることを確認し、一気に“菅総理誕生”の流れを作ろうとしました」
こうした動きに、一部からは「密室政治」との批判が出ており、 「2000年に小渕総理が倒れた際、森喜朗さんを後継にすることを密室で決めた『五人組』になぞらえ、二階、菅、大島、森山の4人を『新四人組』と呼ぶ声もあります」(同) 批判の声は、耳が早い菅氏本人の元にも届いたに違いない。慎重な性格で知られる彼が、それでも出馬の意向を示したのはなぜだったのか。
「安倍総理の出身派閥である細田派は総裁選への対応を安倍総理に一任。長い間安倍総理を支えてきた菅さんとしては、安倍総理の支援は見込める、と踏んだはずです」 と、政治部記者。
「さらに29日には、自民党の岸田文雄政調会長を推すか菅さんを推すか迷っていると言われていた麻生派の麻生太郎副総理兼財務相が菅さんを支援する、との情報が流れた。こうした情勢を受け、菅さんは『大勝負』に打って出ることを決断したのでしょう」
本誌(「週刊新潮」)が8月27日号で暴いた菅氏の「策謀」も、総裁選に向けた布石の一つだったに違いない。中国による統制強化が進む香港から流出する金融機能の受け皿都市として彼が提案したのは、世界3位の金融センターである東京ではなく、なぜか大阪と、麻生氏の地元の福岡だった。記事ではそうした事実をお伝えしたが、その後、安倍総理が退陣表明。菅氏が麻生氏に送っていた「メッセージ」が生かされる機会が早くも訪れたのだ。
横浜のドン」と密会
安倍総理が退陣を考えていることを、いつ菅氏が察知したかは定かではない。ただし、8月17日に続いて安倍総理が慶応病院に入った24日、菅官房長官は極めて興味深い行動に出ている。その日、彼は密かに、大恩ある人物との手打ちを果たしていたのである
。 その人物とは、横浜にある港湾荷役業「藤木企業」会長の藤木幸夫氏。地元企業の役員も多数兼務する「横浜のドン」は、8月18日に90歳の誕生日を迎えたばかりである。
菅氏が横浜市議だった時代から選挙の支援をしてきたのが藤木氏。菅氏が藤木氏のことを「会長」と呼んで平伏する関係は長らく続いたが、横浜が誘致を目指すカジノに藤木氏が猛反対したことからすきま風が吹きだしたのは3年ほど前のこと。昨年、本誌の取材に応じた藤木氏は菅氏のことを「権力ボケ」「安倍の腰巾着」とコキおろしていた。
「8月24日、菅さんは藤木企業の会長室で藤木会長と会っています。当日朝、急に菅さん側からアポが入り、午後の早い時間に会った。二人が会ってきちんと話したのはおよそ3年ぶりです。前回会って以降、大勢の人がいる場所で顔を合わせることはあったものの、きちんと話をすることは一度もありませんでした」(藤木企業関係者)
気になるのは二人の会話の内容だが、 「それは分かりません。藤木会長は菅さんと会ったことについて余計なことは口にしないのです。菅さん側も『誕生日を祝いに行った』といった話をするだけのようです。ただ、このタイミングで藤木会長を訪ねてきたのは、総理になろうがなるまいが、今後の政局に備えて、自身の足元を固める必要があったから、としか考えられません」(同)
「ひとつの革命」
3年ぶりの会談で一体何が話し合われたのか。8月31日朝、自宅から出てきた藤木会長に聞いた。 ――3年ぶりに会った? 「あっちが言ってきたから。でもお互いの気持ちだけは年中ツーカーだったから」
――菅さんが総理候補と言われているが?
「もう決まりだもん。あの人は叩き上げの人だからね。日本では、世襲的な政治家と苦労して叩き上げた政治家と、真っ二つに分かれている。私は二階さんとは一応、兄弟分になっているから、いつでもどんな連絡でもするけど、よくあんなお坊ちゃんみたいな家の人の面倒を見ているなと。世襲の最たるものが安倍であり、反対側の最たるものが菅くんだからな」
――苦労人である菅さんが日本のトップになろうとしている。 「菅がね、日本のトップの座を射止めたことは、これはもう、ひとつの革命じゃないですか」
――去年の本誌のインタビューでは「(菅氏は)安倍の腰巾着」と言っていたが?
「いまでも腰巾着ですよ。腰巾着ってのは、すごい褒め言葉なんですよ。腰の巾着だよ。旅に出る時に持っていくんだよ。腰巾着が無くなったら旅は中止だよ」
――大事な存在、と。 「もちろん。腰巾着になれないんだよ、普通は」
――菅さんとはどんな話をしたのか?
「それは、(国会議員の秘書時代は)苦労したよなぁ、あいつがいたし、お前の上でうるさい秘書がいっぱいいたなぁ、と。いろんなヤツがいたけど君は最後まで我慢して、苦労したよなぁって。そういう話をする雰囲気になっちゃうんだよ。ヤツと二人でいるとね」
終始にこやかな表情で取材に応じた藤木会長。面倒を見てきた菅氏がついに総理大臣の座に手をかけたという喜びが言葉の端々から感じられた。 「週刊新潮」2020年9月10日号 掲載