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下層風俗嬢」3500円でカラダを売る女たち

2024年03月10日 03時03分50秒 | 女と男のこと
下層風俗嬢」3500円でカラダを売る女たち


かつて性風俗は借金や精神疾患など、何か「特別」な事情を抱えた一部の女性が稼ぐ最終手段の場であった。


2016.04.26

しかし現在は経済的に困窮した「普通」の女性が、生活費を確保するためにカラダを売っている。性風俗業界の動向から日本の格差と貧困を読み解く『図解 日本の性風俗』を著した中村淳彦氏の特別リポート。
 

カラダを売っても稼げない
「もう、風俗歴20年になるかな。10年くらい前までは稼げたけど、今は1日1本つけばいい方。持って帰れるお金は1万円にはならないわ」
鶯谷の熟女デリヘルで働く渡部美幸さん(仮名・50)はこう話した。埼玉県某市のベットタウンで夫と2人暮らし。ごく一般的な主婦だったという渡辺さんは、結婚11年目で夫が個人経営する喫茶店が廃業、住宅ローンが払えなくなった。諸々の事情から購入した一軒家を手放すことができず、首が回らなくなり悩んだ末に風俗で働くことにしたという。

風俗嬢として働き始めた最初の5年間は、月50万円以上は稼げたという。ところが1999年の風営法改正でその風向きが変わる。デリヘルが激増し、客が徐々に減ったのだ。風俗だけでは収入が足りず近所のスーパーマーケットでパートを始めた。今も週3日はデリヘル、他3日はスーパーで働いている。
この数年間、風俗業界は深刻な不況と、風俗嬢の収入の下落にあえいでいる。いまや風俗嬢の「超高収入でラクして稼いでいる、消費と遊び好きな女性」というイメージは、80〜90年代の全盛期を経て過去のものとなった。ブランド物で着飾った派手な風俗嬢はほんの一握り、大半はバーゲンやアウトレットで買った洋服を着て、格安居酒屋で割り勘で飲むという地味な生活を送っている。
その傾向は、風俗業界に大打撃を与えたリーマンショック以降から特に顕著で、現在の風俗嬢のほとんどは中小企業のサラリーマンと同レベルか、それ以下の賃金でカラダを売っている。カラダを売っても中小企業のサラリーマン以下の賃金とは夢も希望もない話だが、これが現実だ。

風俗の下落はなぜ起こったのか
風俗嬢のセカンドキャリアを応援する非営利法人「GrowAsPeople」やセックスワーカー自助団体「SWASH(Sex Work and Sexual Health)」などのアンケート調査によれば、風俗嬢の現在の平均賃金は月33万円~38万円程度で、2000年ごろの月70万円程度といわれていた頃と比べると半減している。世間の世帯収入の下落を大きく上回り、風俗嬢たちの収入は激減しているのだ。
風俗嬢が稼げなくなった原因は、性風俗のデフレ化によるものだ。00年代から社会全体がデフレに悩まされているが、「女性のハダカ」の価格はその実質経済を上回る勢いで下がり続けている。

デリヘルを中心に多くの風俗店が価格競争に巻き込まれ、サービスの単価を下げながら、集客も減らしている。社会と連動する形で、性風俗の世界でも格差が広がっているのだ。
 
性風俗のデフレ化の最大の要因は、従来であれば性風俗業とは無縁の一般の女性が続々とハダカになったこと、そしてデリヘルの激増によるものだ。
単身女性の3人に1人が相対的貧困に該当するという「女性の貧困」が深刻化したことで、一般女性の風俗志願者が増えた。さらに1999年の風営法でデリヘル(無店舗型)が実質合法化されたため、男性客が減り需要と供給のバランスが崩れたのだ。

それまでの店舗型性風俗は、違法か合法かわからないグレーゾーンの業種だったが、どんな業種でも合法化(規制緩和)されれば参入が増える。デリヘルも他に漏れず異業種参入が続き、現在警察への届出数は1万9000店舗超えた。
この数はセブン-イレブンの店舗数1万8572軒(平成28年2月現在)と同程度で明らかに供給過多といえる。限られた需要の中で店舗が増えれば、男性客が分散し稼動も下がる。その結果誰も稼げなくなってしまったのだ。

デフレが進んだ現在のデリヘルは、過半数以上が60分1万円以下という破格の価格帯で性的サービスを提供している。この価格帯は安すぎだ。そんな格安風俗店を支えるのは、若さでは勝負できない30歳以上の熟女たちである。
近年の人妻熟女の流行で風俗嬢の上限年齢はなくなったものの、労働者派遣法を代表とする格差に拍車をかける政策によって、現在、生活のために風俗を志願する一般の女性の増加が後を絶たない。風俗業界全体で需要と供給のバランスを完全に崩壊させたことで、単価は下落の一途を辿っている。
さらに、カラダを売っても貧困レベルの低賃金しか稼げないという女性も存在する。経済的な苦境に陥りハダカになった風俗嬢の中で、さらにその下層にいる稼げない女性たちの多くは40歳以上の熟女だ。
下層風俗嬢の多くは、未婚、バツイチ、シングルマザーなどの単身女性たちだ。彼女たちは自分の稼ぎで生活を支えなくてはならず、風俗店の増加による供給過多のため厳しい競争にさらされている。競争に負けた風俗嬢たちの収入は生活保護水準を下回り、「食べるのもやっと」といった危険な状態となっている。
ハダカの女性は社会を映す鏡
カラダを売って貧困レベルの低賃金しか稼げないという現実を信じられない読者のために、デフレの象徴である、激安デリヘルで働く女性を想定して収入を試算してみよう。
 
続々と競合店が増え続ける中、性的魅力が普通レベルの女性が働ける店は限られている。都市部デリヘルの値下げ競争の象徴とされている某老舗チェーンでは30分3900円、45分5900円という価格帯でサービスを提供しており、そのうち女性の取り分は2400円、3500円と異常なほどの低賃金だ。単価が安すぎるこの店には各種性風俗を断られた女性が集まってくる。

デリヘルはとにかく男性客が少なく、低価格の格安店でも女性1人あたりの客数は平均で3人、人気のある上位の女性でも多くて6人程度だ。3500円(1人あたりの単価)×3人で、日給は1万500円、週4日勤務でも16万8000円しか稼げない。東京都の最低賃金は900円なので、待機時間を含めれば、コンビニのアルバイト同等か、交通費なども入れればそれよりも低い賃金となる。

生活にお金のかかる東京で暮らすにはこの金額では最低限の生活もできないだろう。早朝に時給1000円程度の清掃のアルバイトをしてプラス月3万程度を確保し、なんとか凌いでいる女性もいるほどだ。

地方のピンクサロンも同様に厳しく、回転なしの30分5000円の店で時給は2000円、週4日勤務で日給1万2000円だ。雑費1000円と源泉徴収を引かれると、日給は9800円、月16日働いても15万6800円にしかならない。この収入は低賃金が社会問題となっている介護職と大して変わらない金額だ。


カラダを売ることは、性風俗が誕生した400年以上前から女性が稼ぐ最終手段であった。

日本が貧しかった戦後や昭和期に風俗や売春を覚悟した女性たちの月収は大卒初任給の数倍と大きなリターンを受けていたが、90年代後半の新自由主義政策以降は一般女性の大量参入によって「簡単に価値が認められる」という大前提が崩れてしまった。

社会のマジョリティに属する一般女性が風俗や売春をする覚悟を決めても、貧困から逃れられない層を生む社会は異常としかいいようがない。
多くの女性たちは月5〜6万円のお金が足りないがゆえに「ハダカの世界」に足を踏み入れている。これ以上「普通の女性」が風俗嬢にならないためには、最低賃金の上昇が不可欠だ。
 
現在と物価が変わらないことを前提として、その層の女性たちの収入が月5〜6万円アップすれば、おそらく風俗嬢志願者は激減する。時給に換算して最低賃金を約300円上げるだけで、カラダを売らなくても生活できる一般女性が大幅に増えるのだ。

東京都では時給1200円、大阪は1150円、沖縄は1000円。しかしシングルマザーら常勤が難しい層を加味すれば、500円程度まで上げるのが妥当だろう。
格差が広がり女性の貧困が進むほど、風俗志願者が増え女性が生き延びるための最終手段が崩壊してゆく。格差社会の煽りを受けた女性たちが性風俗の世界に足を踏み入れても、立ちはだかる「貧困」からは逃れられないでいる。ハダカの女性は、今の日本の姿を映す鏡なのだ。



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甲府市殺人放火事件でも控訴取り下げ…座間9人殺害事件の弁護士が語る「死刑を選んだ死刑囚」の心理

2024年03月10日 00時03分27秒 | 天候のこと

甲府市殺人放火事件でも控訴取り下げ…座間9人殺害事件の弁護士が語る「死刑を選んだ死刑囚」の心理

3/5(火) 11:31配信2024



AERA dot.
報道機関に公開された東京拘置所の「刑場」の「ボタン室」から見た「執行室」(2010年)


 甲府市で好意を寄せていた女性の両親を殺害し、住宅に放火したなどの罪に問われていた、犯行当時19歳だった遠藤裕喜死刑囚(21)の死刑が2月2日に確定した。遠藤死刑囚は弁護士が行った控訴を自ら取り下げたことで死刑が確定したが、その理由として「生きることを諦めている」などと語ったと報じられている。死刑判決が下った本人が控訴を取り下げたケースは、大阪教育大付属池田小事件や相模原障害者殺傷事件などいくつかあるが、「死刑を選んだ死刑囚」の心理とはいかなるものなのか。死刑囚と対話を重ねてきた教誨(きょうかい)師や、神奈川・座間9人殺害事件を担当した弁護士を取材した。


【写真】白石死刑囚の主任弁護人を務めた大森顕さん


*  *  *


 座間9人殺害事件の白石隆浩死刑囚(33)は、SNSで知り合った女性たちを「一緒に自殺しよう」などと自宅アパートに誘い込み、性的暴行を加えたり金品を奪ったりした後に殺害した。2020年12月、東京地裁が下した判決は死刑。弁護人は控訴したものの、白石死刑囚がそれを取り下げたことから、翌21年1月に死刑が確定した。


 白石死刑囚の主任弁護人だった大森顕さん(52)によると、白石死刑囚の意向は当初から一貫していたという。


「『裁判では検察と争わないでほしい、証拠関係はすべて同意してほしい、死刑になっても構わない』と言われました。私は知恵を絞って、『日本では他人の自殺を手助けすることは犯罪とされている。依頼人が死刑になっても構わないという弁護活動をするのは、どうしてもしたくないんです』などと何度も説得を試みましたが、白石さんの考えは1ミリも変わりませんでした」


■白石死刑囚との「対立」


 実は白石死刑囚についた弁護士は、大森さんで3人目。前任の2人は、裁判で不利にならないよう取り調べでの黙秘を勧めた結果、白石死刑囚に「自分の意に沿わない」とみなされて解任されていた。そこで大森さんは、いったんは白石死刑囚の要求をのんだふりをして、法廷では死刑回避に向けて争うことにした。数々の開示証拠を確認した結果、被害者の同意の上で殺害した「承諾殺人罪」を主張する方針を決めた。


 本来弁護士は、依頼人の主張に沿った弁護をすることが大原則だ。依頼人が無実を訴えていれば無罪になるよう、罪を認めていれば少しでも刑が軽くなるよう、手を尽くす。


 だが大森さんは、「死刑判決が予想される事件は、究極の例外だと考えている」と話す。


「もし判決後に新たな真実が発覚したとしても、死刑が執行されていたら取り返しがつきません。また、弁護人が『争ったところでどうせ有罪になる』と諦めたことで、冤罪が生み出されてきた例もある。人の命を奪う死刑判決は、高裁と最高裁でも慎重な審理が尽くされるべきです」


 公判前整理手続きで大森さんの弁護方針を知った白石死刑囚は、「どういうことですか!」と怒りをあらわにした。これまで冷静沈着で紳士的な態度を崩さなかった白石死刑囚が、初めて感情を高ぶらせた瞬間だった。以降、大森さんの接見には応じなくなっていった。


 対立を解消できぬまま公判が始まると、白石死刑囚は弁護側からの質問には黙秘し、代わりに検察側からの質問には素直に応じた。そして初公判から2カ月半後の20年12月15日、死刑判決が言い渡された。弁護人の控訴申し立てを3日後に取り下げた白石死刑囚は、控訴期限1日前に接見した大森さんの「本当にいいんですか?」という問いかけに、迷いなく「いいです」と即答したという。



■“常識”がまったく通じなかった


 死刑が確定した瞬間の胸の内を、大森さんはこう振り返る。


「3年間死力を尽くして、やるべきことはすべてやったので、後悔はありませんでした。ただ、真実解明の道が途絶えたことには、なんとも言えない気持ちになりました」


 白石死刑囚には、“常識”がまったく通じなかった。9人を手にかけた理由は、「楽をしてお金を稼いで、性欲も満たしたかったから」。大森さんが「普通そんな理由で人を殺しますか?」と尋ねても、「(警察に)見つからないと思ったので」と、どうにもかみ合わない。


 裁判で争わない理由を「起訴内容はすべて事実なので」としか説明しない白石死刑囚の姿に、死刑制度を使った自殺が目的の可能性を考えたこともあった。しかし本人は、「死刑で構わない」とは言っても、「死刑になりたい」という言葉は一度も口にしなかったといい、「白石さんの心の奥に何があったのか、今も分からないままです」(大森さん)。


 一方、東京拘置所や府中刑務所で教誨師を務めるハビエル・ガラルダ神父(92)によると、死刑囚が死刑に抵抗感を抱かないというのは非常に珍しいケースだという。ガラルダさんは、これまで担当した6人の死刑囚の姿をこう振り返る。


「死刑囚になるとずっと一人で、誰かと話すことはほとんどできない。とてもつらい状況です。でも、みなさん少しでも希望を見つけて、生きようとしていた。ある人は、『ガラルダ神父と月に1回話せることが今の希望』と言っていました。ある人は、『私は感謝しながら生きることにしたよ。だって歩けるし寝られるし、新聞を読んでラジオだって聞けるし、できることはたくさんある』と言っていました。ある人は、『私は灯台です。私の姿を知った若者たちに、悪いことをしてはいけない、こういう生き方に近づいてはいけないと思ってもらうことが、私の生きる意味です』と話していましたが、執行前に病気で亡くなりました」



■頭に布をかぶせられ連れて行かれた


 死刑への恐怖を口にする人はいなかったが、ガラルダさんはかつて刑務官から、「朝に人が来ると、執行されるのかと死刑囚たちが緊張するので、面会は午後にして下さい」と言われたという。


 担当している死刑囚の死刑が執行される前日には、拘置所から「明日の朝、来ていただけませんか?」と電話がかかってくる。ガラルダさんは、10年以上前、中年の男性死刑囚と執行直前に面会した時の様子を話してくれた。


「彼はすごく落ち着いていました。まずミサをして彼自身が聖書を朗読した後、5分間だけ話ができた。私が『死は永遠の命への門で、死ぬ時はキリストのところに迎えてもらえる』と伝えると、彼はうなずいて聞いていました。そして『ありがとうございます。赦してください』と言いました。その後メガネを後ろから取られて、頭に布をかぶせられて、ドアの向こうへ連れて行かれた。しばらくして彼の遺体が運ばれてきて、簡単な葬儀をしたのですが、申し訳ない気持ちからか、遺体に近寄ろうとしない職員もいました。法務大臣が死刑執行のハンコを押すのは簡単かもしれませんが、刑務官で、自ら望んで死刑囚を手にかける人はいません。私は、死刑制度がなくなる日が来ればいいと思っています」


 座間9人殺害事件の白石死刑囚は今、東京拘置所で執行までの日々を過ごしている。前出の大森さんは、担当弁護士という立場でなくなってからも半年に1度、面会に足を運んでいるという。


「面会では、白石さんが最近読んだ画集の話とか、他愛もない話をします。でも20分間の会話も難しいほど体力が落ちているようで、途中で机に伏せてしまうこともあります。白石さんが、今更自分の本心を話してくれるとは思っていません。でも、面会できる民間人が5人に制限されている中で、なぜか自分の名前をリストに入れてくれた以上、会いに行かなきゃという気持ちになるんですよね」(大森さん)


“死刑を選んだ死刑囚”という特殊な存在に、大森さんは今も向き合い続けている。


(AERA dot.編集部・大谷百合絵)



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