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のみ込まれた海辺の病院…入院患者40人、1人も助からず #東日本大震災10年>12年

2024年03月12日 23時03分43秒 | 事件と事故
3・7・2021

まさか3階には…

 リアス式海岸の小さな入り江にあった宮城県石巻市の市立雄勝病院は、2005年に同市と合併した旧雄勝町の住民が主な利用者だった。本館と新館がL字形につながり、1、2階は外来フロア。3階の病室からは、穏やかな雄勝湾が一望できた。 

【写真特集】患者40人が犠牲になった病院、何が起きていたのか 

 あの日、3階の病室には40人の入院患者がいた。医師や看護師、市職員を含む事務職ら30人が忙しくしていた。午後2時46分、震度6強の地震が発生し、直後に発令された大津波警報の予想高さは6メートル。3階なら安全だ。駐車場の車を高台に移動した方がいいかな。そんな雰囲気がすぐに一変した。  医師や看護師らは入院患者を屋上に上げようとしたが、到達した津波は16メートルを超え、建物ごとのみ込んだ。医師、看護師、職員らで生き残ったのはわずか6人。入院患者40人は1人も助からなかった。


「どうすれば良かったのか」

 入院患者40人の多くは寝たきりで、全員避難が不可能なことは明白だった。医師、看護師らを含め、64人が犠牲になった宮城県石巻市の市立雄勝病院。事務職の男性は患者を助けようとしたが、自身も津波にのまれ、翌朝に救助されるまで、運良く乗り込んだボートで海上を漂流した。「どうしようもなかった。どうすれば良かったのか……」。あの日、助かった関係者が重い口を開いた。

シーツに患者のせ屋上へ

「ごめんね、ごめんね」のつぶやき

 男性職員は地震発生時、本館1階の事務室にいた。大津波警報が発令されたが、実際に津波が来るか、どこか半信半疑でいた。その2日前にも地震があり、石巻には約50センチの津波が到達したが、海面から高さ5・9メートルの防潮堤があるため、「津波が来た」という認識はなかった。まさか3階や屋上にまで達するとは想像もしていなかった。  

念のため、海抜3メートルにある病院の駐車場から、少し離れた高台の総合支所に車を移動させた。歩いて病院へ戻る途中、側溝から「ゴボゴボ」という音が聞こえた。「地震で水道管が破裂したのかな」。その数秒後、病院前の防潮堤を津波が乗り越えるのが見えた。 

 急いで病院に戻り、2階に人がいないかどうか確認して3階へ。このとき、既に1階は水没し、2階も浸水し始めていた。 

 3階で合流した薬剤科部長(当時57歳)ら4人で、患者1人を広げたシーツにのせ、屋上へ避難させることになった。火災を想定した避難訓練で、シーツで包んだ患者を引きずったことはあったが、持ち上げたのはこの時が初めて。「4人でやっと」というほどの重さで、患者は「どこに連れて行かれんだべ」と不安げだった。

  何とか屋上に上がった頃には3階も浸水し、屋上まで達するのは時間の問題だった。なす術すべなく、シーツごと患者を屋上に下ろしたとき、薬剤科部長が「ごめんね、ごめんね……」とつぶやくのが聞こえた。海水が屋上に流れ込み、腰の高さになったとき、男性職員は建物にしがみついたが、結局、海中に放り出された。

海面が屋上越える

 女性看護助手(40)は、新館3階の病室で入院患者の手足浴を介助していた。大きな揺れが収まると、他の看護師と「すごかったね」と話しながら、床にこぼれた水を拭いたり、ベッドやテレビを元の位置に戻したりした。 

 しばらくして、窓から外を見ると、防潮堤から波があふれ、駐車場では車同士がぶつかりながら流されていくのが見えた。「屋上に上がれ」。副院長(当時58歳)の叫ぶ声が聞こえた。 

 屋上からは、本館3階の病室の窓越しにベッドで寝ている患者の姿が見えたが、それを海水が遮った。海面が屋上を越えると、目の前に流れてきた民家の屋根に向かって泳いだ。

生死分けた「それぞれ逃げて」の一言


無我夢中で裏山へ

 派遣の女性事務員は、本館1階の事務室にいた。どうしていいか戸惑っていると、先輩の女性市職員(当時40歳)から「それぞれ逃げてください」と言われ、上履きのまま外に出た。 

 近くで工事をしていた人が「山へ逃げろ」と叫んでいた。病院を振り返らず、無我夢中で裏山を駆け上った。夜になって、病院が見えるところまで下りてくると、真っ黒な水が車を浮かべ、渦を巻いていた。避難していた近隣の人から「屋上で先生たちが津波にのまれるのを見た。全滅だろう」と聞かされた。  

「手伝って」とか「上に行こう」と言われていたら従っていたと思う。今も「患者を助けずに自分は逃げてしまった」という負い目を感じているが、「『それぞれ逃げて』という、あの一言が私の生死を分けた」。

自問続ける職員


雄勝病院の慰霊碑

 雄勝病院の跡地には、犠牲者の名前が刻まれた慰霊碑だけが立っている。50~100歳代の患者40人のうち、35人は3階で遺体として見つかり、3人は今も行方不明のままだ。当時、病院にいた医師、看護師、職員30人のうち、生き残ったのは6人だけだった。 

 ヘリで救助された男性職員は今もこう自問する。 

 「雄勝病院のように海が目の前にある病院では、津波から逃げようがない。患者の人数分のストレッチャー付きの車を用意するというのも現実的ではない。でも、患者を放って逃げるわけにはいかないという思いは、今も変わらない」





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プリンス通周辺の夜景です

2024年03月12日 20時03分16秒 | 日々の出来事
プリンス通りの右手が旧プリンスホテル、左手は、区立の麹町中です。自民党本部方面を望みます



3/8/2024

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「トイレットペーパーを替えない人」と結婚してはダメ? Xで話題の尽きない「結婚相手の条件」「NGの条件」

2024年03月12日 18時03分00秒 | 女と男のこと


「トイレットペーパーを替えない人」と結婚してはダメ? Xで話題の尽きない「結婚相手の条件」「NGの条件」(J-CASTニュース) - Yahoo!ニュース 




「トイレットペーパーを替えない人」と結婚してはダメ? Xで話題の尽きない「結婚相手の条件」「NGの条件」
3/11(月) 10:00配信



J-CASTニュース
「結婚相手の条件」「NGの条件」は?


 2024年2月29日、MLBで活躍中の大谷翔平選手が結婚を発表し、日本中で瞬く間に話題となりました。


【画像】トイレットペーパー、誰が替える?


 X(Twitter)では大谷選手が犬を飼っている点に着目し結婚を予兆していたという投稿が拡散されるなど、おおいに盛り上がりました。


 大谷選手の話に限らず、Xでは結婚関連の話題の中でも「結婚相手の条件」についての話が良く拡散される傾向にあります。


 ツイートまとめサービスのTogetter(トゥギャッター)が解説する「3分くらいで分かる週刊X(Twitter)トレンド【J-CAST出張版】」、今回は「結婚相手の条件」について掘り下げます。


■「顔が好み」は夫婦円満の秘訣?


 一口に「結婚相手の条件」といっても、人によって相手に求める条件は千差万別。あるユーザーが「私の母は、父の顔が好きで結婚を決めたんだって」と明かし、注目を集めました。


 ユーザーの母親は理由として「どんなにギャンブルでお金使われても、どんなに家事育児しなくても、顔だけで結婚相手を選んだ自分が悪いって思えるから」と答えたそうです。


 母親からのこの言葉に対し、「だいぶヤケクソ理論だった」という印象を持ったようですが、他のユーザーからは「顔が好みで許せることイッパイあるな」などと共感のコメントが多数。たとえば、


「私はリアルにマジでコレだった」


「夫はとにかく私の顔が好きらしい。性格クソとか生活力がないとかどうでも良いらしい」


などと、投稿主の母親と同じように「顔」で選んだという人の実体験も少なからず寄せられています。


お父さんの「顔が好き」で結婚を決めたお母さん、だいぶヤケクソ理論だった→「うちもこれ」という人が続出 - Togetter


 結婚して共同生活が始まれば、ささいなことを機に、いさかいは起こるものです。が、「顔が好きだから許す」で円満に解決できるなら、それはそれでいいのかもしれません。


 「結婚相手を顔だけで選んではいけない」とはよく耳にしますが、とはいえ「決め手が顔だった」という視点もあながち軽視はできないようです。

結婚相手に絶対選んではいけない3条件とは
 結婚相手を探す際に、「NGの条件」を考えておくことも必要かもしれません。


 Xでも、あるユーザーが「こういう人とは絶対に結婚しちゃダメ」と伝える母親からのLINEを紹介し、その内容に共感が集まりました。


 母親が挙げた条件とは、


「トイレットペーパーがなくなったのに替えない人」


「シャンプー・コンディショナーを最後に使ったのに詰め替えない人」


「お風呂に入った後に、お風呂場に残っている泡などを流さない人」


 の3つ。


 いずれも家事にまつわる内容で、LINEを受け取ったユーザーも「ママにかなしいできごとがあったっぽいな」と察したようです。


悲しいことがあった母から「トイレットペーパーで人の全てはわかるから」と結婚しちゃ駄目な三条件を伝えてきた話 - Togetter


 これに対して、母親への理解を示す投稿が続出。他のユーザーからも


「麦茶を1センチ残して冷蔵庫に放置」


「納豆3パックを包装してあるビニールを捨てない」


といった実例があがりました。どれも「次に使う人のことを考えられる思いやり」が問われるという点で共通しています。


 さらに、トイレットペーパーを替えない家族に対しては、「自分の仕事と思ってないんだよね。替えられてることすら気づいてない」という辛辣なコメントもありました。


 一方で、「(相手のために)協力しようという姿勢ややる気があれば、こっちだって優しくなれるし、2人で頑張ってこうと思える」とコメントする人がいるなど、家族との共同生活において心当たりがある方は、自身の行動を省みるのも良いかもしれません。


「一生遊べる友人」は結婚相手として理想的か
 ほかにも結婚相手を選ぶ視点として、「結婚は一生遊べる友人を探すこと」という言葉に多くの共感が集まりました。


 投稿者は2023年に結婚したばかりの男性で、前述の言葉を紹介するかたちで「よくいったもんだ。すごくよくわかる」とコメントしています。


 こちらの投稿に対しても、


「わかる。私も夫としか遊んでない」


「夫に私が最近面白かった漫画を貸した。反応が楽しみ」


と、結婚相手と友人のように遊んでいるユーザーからの声が寄せられました。趣味や価値観が似ている気の置けない相手なら、結婚後の人生も楽しいものになりそうです。


『結婚は一生遊べる友人を探すこと』とは、よく言ったもんだ。すごくよくわかる→共感の声多数「結婚めちゃくちゃ楽しい」 - Togetter


 一方で、「結婚相手は友達とも違う唯一の伴侶、半身、魂と呼べる人だと思うわ。一生遊べる友人は『友人』だよ」など、「遊べる友達」と伴侶とは別の存在であるとする声も複数出ています。


 友人のような結婚相手との関係性については肯定しつつも、「恋愛感情は忘れずにな!」と呼びかけるユーザーも見られました。人生の苦楽を共にしていく相手として、やはり友達とは異なる特別な要素を求めたいという意見も理解できます。


 結婚は人生において特に大きなイベントのひとつ。重要な決断を迫られるだけに悩みを一人で抱えてしまいがちですが、X上のこうした話題を参考にしてみるのもいいかもしれません。


 以上、Togetterがお送りする「3分くらいで分かる週刊X(Twitter)トレンド【J-CAST出張版】」でした。今回紹介したTogetterまとめを振り返りたい方はこちらからどうぞ。次回もお楽しみに。


【まとめ一覧】


お父さんの「顔が好き」で結婚を決めたお母さん、だいぶヤケクソ理論だった→「うちもこれ」という人が続出 - Togetter


悲しいことがあった母から「トイレットペーパーで人の全てはわかるから」と結婚しちゃ駄目な三条件を伝えてきた話 - Togetter


『結婚は一生遊べる友人を探すこと』とは、よく言ったもんだ。すごくよくわかる→共感の声多数「結婚めちゃくちゃ楽しい」 - Togetter








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トランプ氏、独裁者を称賛「ヒトラー『良いことをした』、金正恩『OKガイ』」

2024年03月12日 17時05分36秒 | 国際情勢のことなど

トランプ氏、独裁者を称賛「ヒトラー『良いことをした』、金正恩『OKガイ』」(中央日報日本語版) - Yahoo!ニュース 







トランプ氏、独裁者を称賛「ヒトラー『良いことをした』、金正恩『OKガイ』」
3/12(火) 15:01配信




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中央日報日本語版
トランプ前大統領


米国大統領選挙で再選を狙うトランプ前大統領がドイツのアドルフ・ヒトラーやロシアのプーチン大統領、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長ら独裁者に分類される人物を称賛する発言を多数していたという暴露があった。トランプ政府で高位参謀を務めていた人物からだ。


米国CNN放送のキャスター、ジム・スキアット(Jim Sciutto)氏は、新刊『The Return of Great Powers』というタイトルの著書出版を翌日に控えた11日(現地時間)、本に収録されたトランプ政府官僚とのインタビュー内容をCNNを通じて公開した。トランプ政府前半期の中核的参謀を担っていた四つ星将軍出身のジョン・ケリー元ホワイトハウス秘書室長によると、トランプ氏はヒトラーに対して賞賛を惜しまなかったという。


ケリー氏は「彼(トランプ)は『うむ、だが、ヒトラーは良いことも少しやった』と話した」とし「私が『今なんと?』と聞くと、彼は『(ヒトラーは)経済を再建した』と言った」と回顧した。ケリー氏は「彼がホロコーストがあった事実を見過ごしているとは信じがたいが、欧州の戦場で犠牲になった40万人の米軍兵士をどうしたらそのように見過ごすことができるのか理解できない」と強調した。


あわせてトランプ氏が中国の習近平国家主席を「立派だ(brilliant)」、金正恩国務委員長は「まあまあの人間(OK guy)」、ハンガリーのオルバーン・ビクトル首相は「幻想的だ(fantastic)」と評価し、プーチン大統領も一貫して称賛していたと参謀は回顧した。ケリー氏は「トランプはむしろ我々がプーチンらを刺激していて、北朝鮮を窮地に追い込んでいると考えていた」と伝えた。また「トランプが独裁者を好きな理由に対する私の理論は、トランプがまさにそういう人間であるということ」としながら「彼の場合、米軍をどこかに送ったり予算内でお金を動かしたりすることができる独裁者のような権限がないという事実に対して衝撃を受けていた。そして彼はプーチンと習近平、そして北朝鮮のその狂人をタフガイという面で自身と同じ人間だと考えていた」と批判した。


トランプ政府で大統領補佐官(国家安全保障担当)を務めたジョン・ボルトン氏も「トランプは自分のことを大物だと考えている」と話した。ボルトン氏は「トルコのエルドアンのような大物は人々を刑務所に入れることができ、誰の許しも乞う必要がない。彼はそういうことが好きだ」と直撃した。


トランプ氏は最近展開中の再選キャンペーンでもビクトル首相や習主席などに対して肯定的な評価をしている。


最近共和党候補の指名を確定した後、ビクトル首相を招待した席で「オルバーンよりも立派でスマートな指導者はいない」と語り、昨年7月タウンホールの行事では「習主席はスマートで立派で、すべてが完ぺきだ」と言いながら絶賛した。






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被災されたご本人のブログから>東日本大震災から13年。「とても長かった道だったけど、もう10年なのか」という矛盾の心とは>被災されたブログ友のブログからです

2024年03月12日 15時03分30秒 | 事件と事故


Ameba blog のきんちゃんさんからの転載です。
ご本人の許可を得て、転載いたしました。

きんちゃんは、岩手県三陸地方の田野畑村の漁師さんです。
311では大きな被害にあわれた経験を震災10周年にまとめられた力作です。ぜひ、ご一読ください。

3/11/2020

【3.11東日本大震災から今日で10年。「とても長かった道だったけど、もう10年なのか」という矛盾した感想になる訳とは 直後は戦禍のような悲惨な現実に唖然とした➠残してくれたのは「自分の人生の価値」を上げた多くの友だち達が大きな財産です】

「3.11東日本大震災から今日で10年」です。「10年といえば一昔」と良くいわれています。もう、ほんとに一昔なのかなあ。
罹災した自分の思い、2011年3月11日からこれまでを振り返るとひとことで言えば「とても長かった道だったけど、もう10年なのか」という、矛盾した感想になってしまう。

 誰かに聴かれればそう答えるしかない。
これはきっと、自分の脳の中で、津波が来た時の衝撃が大きく、その時が鮮明に記憶の残っていて、それ以降の生活再建で大きな負債返済しなけばならないためにがむしゃらに働いて来たが、そっちの記憶が10年間であるから分散された記憶として残っているからかもしれません。



【震災前にまさか、自分の人生の中で津波で苦労するとは思っていなかったのです】

 子供の頃から、親や周囲の人から「津波の恐ろしさ」については、ズッと聞かされて育ちました。でも、何故か自分が生きてる間には、津波が来るとは思っていなかったのです。
 実際に、自分のお婆さんや叔父、叔母などが実際に津波でなくなっているのにです。私は小学生の頃から、昭和三陸地震の命日の3月3日を「津波記念日」として、毎年「津波非難訓練」をしてきていました。
 しかも、先人達は、高い台にいろいろな石碑を建てており「地震があったら、津波が来ると思え」とか「津波の時はこれより高いところに上がれ」などと刻印されているのです。
  このため、岩手県沿岸には海抜DL=8Mの津波防波堤があったのですが簡単の崩壊しました。



FNNニュース:
Tsunami surging to Kamaishi city office and surrounding area (Footage provided by viewer) The Japanese text is followed by an English translation. 岩手県釜石市を襲う津波の様子を捉えた映像。釜石市在住の山口貴廣氏が撮影。 地震から約40分後の午後3時25分ごろ、津波到達の知らせに騒然とする、釜石市役所(釜石市只越町3丁目)第二庁舎前の通り。避難を急ぐ人々に混じり、撮影者も、わずかに海抜の高い市役所の敷地内へ駆け上がり、カメラを南側遠方へ向ける。

 すでに、150メートルほど離れた県道4号線付近で、波しぶきと噴霧が立ちのぼっていた。激しい水流に押し込まれたがれきや自動車が、あっという間に道路を埋め尽くす。港側(画面左・東方向)からの水流は、いつのまにか市役所に近い、辻(つじ)という辻から次々と出て、見る見るうちに勢いを増し、内陸部(画面右・西方向)へ流れていく。 やがて、市役所のつい目前まで激流が押し寄せ、人々の「逃げろ!」という声が飛び交う。撮影者も、さらに一段高い、市役所第一庁舎の入り口付近(当時工事中)まで駆け上がり、ここで撮影を中断した...。ーー以下略ーー

私の住んでいる三陸沿岸は、津波常習地域です。約80年に1回のペースで大きな津波が襲来しています。

【「三陸津波」の主な津波は以下の通】
・1611年12月2日に発生した慶長三陸地震による津波(慶長三陸津波)
・1896年6月15日に発生した明治三陸地震による津波(明治三陸津波)
  (※岩手県にとってはこの津波が一番大きな津波です)


1933年3月3日に発生した昭和三陸地震による津波(昭和三陸津波)。
  この3つの津波の震源地はいずれも岩手県沖です。
<img alt="" contenteditable="inherit" height="283" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210311/09/kin322000/3e/48/j/o0297020014908581504.jpg?caw=800" width="420" class="PhotoSwipeImage" data-entry-id="12661662892" data-image-id="14908581504" data-image-order="4" data-amb-layout="fill-width">

そして、宮城県沖を震源とするM9の大地震で発生したのが10年前の
●2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による津波(東日本大震災、平成三陸津波)です。
 つまり、丁度、自分が生きてるタイミンの中で津波が来たわけです。
1933年3月3日に発生した昭和三陸津波から78年目で、今思えばいつ来てもおかしくない次期だったのです。

この3月6日に、ニュージーランドと三陸津波の法則を書きました
【「要注意」ニュージーランドのM8.1巨大地震➠「NZと日本の法則」いつどこで起きてもおかしく日本】
過去の決まって、ニュージーランドの地震があれば、その後必ず日本でも大きな地震や津波が襲来しています。
この前、ニュージーランドで大きな地震がありました。だから、周期は関係なく、これで終わりという保証はなにもありません。
地震や津波は太平洋沿岸ならいつおきてもおかしくないのです。
<img alt="" height="296" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210311/09/kin322000/1e/c1/j/o0600042314908576931.jpg?caw=800" width="420" class="PhotoSwipeImage" data-entry-id="12661662892" data-image-id="14908576931" data-image-order="5" data-amb-layout="fill-width">
  
【津波が来た直後。私は戦争は知りませんが、「戦禍のごとく」と表現しました】

 瓦礫で、道も何もなくどうにか1本道ができて、デジカメを持ってできるところまで写真撮影してきました。 

 実際に、ネット上ではとても悲惨過ぎて公開できない写真が沢山あります。もう、首とか足とか腕とかないご遺体が瓦礫と一緒にありました。警察や自衛隊が入って来ていて、「遺体にはさわるな!」でしたので、親戚や知人であっても、そもままにしておくしかありませんでした。

 ところが、夜になると黒い服の連中現れて、遺体の指や腕を切断して、貴金属を盗む、非常に悍ましい連中も現れました。

 また、鉄骨など業者を装おって切断して盗む連中もいました。 
マスコミは報道をほとんどしていないでしょうが、実際にそういうことがあったのです。火事場泥棒ではなく、津波泥棒です。


【辛かった、友人の遺体探しと、記憶に残るあの遺体仮置場の匂い】
 友人の一人が行方不明となり、隣町まで探しに行きましたがあの広い体育館での、おびただしいご遺体の数で無造作に棺桶ではなく、ブルーシートにくるまれあったのです。
 遺体と対面した、その遺族の泣き叫ぶ声やそれを諌める声。そこから離れようとしない姿がありました。
 そして、線香を炊いてるために、遺体の匂いが混ざり独特な匂いがありました。 今でもその匂いが完璧に記憶に残っていて、たまにフラッシュバック(記憶の再現)する時があります。




【とにかく午前中はこれまでの日常と何も変わらぬ光景は、一瞬にして戦禍のようになったのです】

 3月としては、とても寒い日で雪がちらつき、3センチ程度は積もっていました。無残な光景をまるで隠すかのような雪だったとおもいます。
 みんなが、ただただ呆然として、あの時は不安とか先の事は考えなかったのです。 頭真っ白ってかんじですかね。

 頭の中ではそういう、衝撃が大きく、その時が鮮明に記憶の残っていて、つい先日のように感じます。だから、短く感じるのでしょう。


【先の不安感はそのあとで、「自分たちはがどうやって生きていくのか?」方向を決めるかたに大きな決断が沢山ありました】

 そういう「ショックはさておき」、前を見なけばと思ったのはいつだったのか?記憶がないですが、とにかく生きていてどうやって生きていくか? 
 大きな「不安のストレス」は半端ではなかったと記憶していますが、どうやって方向性を見出して、決断したのか定かではありません。
 おそらく、外の被災者も同じような感じではなかったのかなあ。と思います。 

 自分の場合、幸い家族は無事非難し家も大規模半壊で二階で当面は生活しました。
  自宅を失った人は避難所や親戚などの家に行きました。


「千年に一度の大きな災害」と言ってる割には、被災者への「国の支援策」などはなかなか決まらずでした。

この原因は前投稿したように野党自民党が民主党の足を引張り、政権復帰だけを優先させた国会戦略を立てていたからだったのです。
避難所でテレビを見ていて、被災者はみんな怒ったのです。


3ヶ月めの頃で、被災地では身元不明の遺体を土葬していた頃ですーー。
2011-06-10

【「被災地の生の声」ー非人道的な野党自民党国会議員のみなさんへ。復興関係の予算、法案に全て反対。果ては審議拒否、内閣不信任案まで、今そんなことをやってる場合か!】
https://ameblo.jp/kin322000/entry-12513654403.html



(内容は割愛しますが、見出しの通りです。詳細はリンク先をご覧ください

【最高にありがたく嬉しかった。世界や全国の国民も方々の「思いやりの愛情ある心」いつしか「頑張れ東北」が「頑張れ日本」になり「絆」という言葉】
 もう、直後からアメリカは「トモダチ作戦」で米軍が遺体捜査したり、瓦礫撤去をしました。

 そして、全国から警察官も集まり、遺体安置と身元調査を邁進しました。
一番早かったのは自衛隊です。自衛隊は、不明者捜索をして、遺体収容から被災者への炊き出し、風呂などやってくれました。あの時はまるで、ヒーローに思い感激感謝し、とても頼もしかったことを鮮明に覚えています。


 それと同時に、全国の国民の方々から支援物資が早く届きしました。世界からもです。ほんとに、政治はダメなのに国民は優しいと強く感じたことを覚えています。

 そして、多くのボランティアさんが入ってきました。もう、感謝感激でした。今でも、残っているボランティアはます。中には被災地に永住した人もいます。 今も地域を引っ張るリーダー的な存在になっています。


【わたしにとって、失ったものはあるけれど、それよりももっと大きな財産ができました。それは、震災を通じて知り合った友です】
 それは、みんな、いい人ばかりで今もその交流は続いています。
「災い転じて福となす」です。


 私は、人生においての価値は、「どういう人間と知り合って友なるのか」で決まると、震災前から思っていました。
 それを思うと、東日本大震災は人生でいろいろな経験もしたし、多くのっ素晴らしい友ができたことです。



これは、とてもありがたいことですし、心を寄せてくださった全ての人に感謝の言葉をいいたいです。
それは 「ありがとうございます!」です。




注>久しぶりに、きんちゃんブログをたずねると、

御病気でたいへんな状態のようです。
御平癒をお祈りするばかりです。




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