「先生、なんか万能細胞ができてます」「99.9%、これは何かの間違いだ…」山中伸弥教授による《iPS細胞の作製成功》はいかに実現したのか?「今日は何が起こるんだろうと毎日が楽しみでした」「20代の若者が集まるとすごい力が出るんだ」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
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1日先さえ予想できない、毎日が楽しみな研究の日々
―20年前、山中さんはどんな研究をされていましたか?
20年前はアメリカから帰ってきて、自分の研究室を初めて持ち、若い学生さんたちと、iPS細胞を作るための準備のような研究をしていましたので、大変でしたが、今から思い返すと、一番楽しい時期だったようにも思います。
自分たちの研究も3年後、5年後が全然読めないどころか、1日先さえ予想できないんですね。学生さんは夜も実験していますから、朝起きて電車に乗って、大阪の家から奈良先端大に通う1時間の間も、どんな結果を出してくれているのかなとワクワクでした。今日はいったい何が起こるんだろうと、1日1日が楽しみでした。
一方で、なかなか実験をやっても思うような結果が出ずに、モチベーションを維持するのが大変なこともあったんですね。マラソンでいうと、スタートしてまだ5キロぐらいで、今日はいったい調子がいいのか悪いのか、どういうタイムでゴールできるのか、さっぱり分からない、そういう時期でした。
でもそのときに失敗だと思った実験が結局、iPS細胞を作るための鍵になっているんです。研究だけでなく、人生もそうかも知れませんが、最初から全部がうまくいくっていうことはあんまりなくて、「もう駄目だ、これ失敗だ、やめたほうがいいかな」という中に実はものすごいヒントというか、宝の山があったというのを思い出します。
―当時、すでに万能細胞に関わる遺伝子は見つかっていたんですか?
見つけつつありました。まさに当時やっていた研究で、万能細胞を作るのに必要な遺伝子候補として、24個の遺伝子を選んでいて、2004年ごろから候補を絞り込むという大切な作業をしていました。
4つの遺伝子が最終的に必要で、そのうちの3つはもう非常に有名な遺伝子でした。もう1つの「Klf4」というのが万能細胞で大切だろうというのに気付いたのは私たちが最初の1つのグループだったんですが、それを見つけてくれたのは学生さんです。あのころのメンバー誰1人欠けてもiPS細胞はできていません。僕もまだ若かったですし、学生さんたちは20代前半の、研究者としては本当にまだ初心者ですよね。でもそういう人たちが集まるとすごい力が出るんだということを実感した何年間かでもあります。
「99.9%何かの間違い」と思ったiPS細胞ができた瞬間
iPS細胞(画像提供:京都大学 山中伸弥教授)
―iPS細胞ができたときの気持ちはいかがでしたか?
最初ネズミのiPS細胞ができて、学生の1人が「先生、なんか万能細胞ができてます」と持ってきてくれたんですが、僕は「99.9%、これは何かの間違いだ」と思いました。なぜなら研究室の中でES細胞という、天然型の万能細胞をたくさん使っているんですね。細胞というのは、少しでも混ざるとそれが増えたりしますから、研究室でも気をつけてはいますが、きっとどこかからES細胞が混じり込んだんだろうと思いました。
だから「喜ぶな」と、とりあえずやり直そうということで同じ実験を何度も何度もその学生にやってもらいましたし、数名のベテランの研究者に少しやり方を変えてiPS細胞を作る実験をしてもらったんですね。
そしたら、何度やっても万能細胞が出てくるし、ほかの研究者が少しやり方を変えてやってもやっぱりできるし、できるどころかもっといいのができるというのが分かってきて、あ、これはもう間違いないということで論文を出しました。
疑っていたので、喜び損ねたといいますか、乾杯という瞬間はなかったですね。それで、ネズミの論文が発表される前に、査読といって分野のトップの研究者数名に論文を見てもらう必要があるんですが、その段階で秘密が広まっていますから。それまでは僕たちだけの秘密だったんですけれども、論文になる何か月も前から、それが世界中に広まっているというのが分かりますから、人間のiPS細胞を作る競争の方に対するプレッシャーのほうが大きくなりました。
iPS細胞の作製は「世界中のものすごい競争だった」
サイエンスZERO(2006年12月23日放送)「2006年 科学10大ニュース特集」より
―『サイエンスZERO』に初めてVTRでご出演いただいたのが2006年ですが、覚えていらっしゃいますか?
iPS細胞ができた頃だったので、いろんな取材もいただいて。それまでテレビとかメディアってほとんど出たことがなかったですから、一気に世界が変わってしまったので1つ1つはなかなか思い出せないんですけども、でも全部ビデオが残っています。
2006年は、iPS細胞はネズミではもうできていて、人間でも理論的にはできるはずだと一生懸命研究していました。この年は僕たちにとってはおそらく人生で一番忙しかった1年で、本当にずっと働いていたという感じでしたね。
ネズミのiPS細胞を国際学会で発表したり、夏には論文に発表していますから、世界中の人が、たった4つの遺伝子で体の皮膚の細胞を万能細胞に戻せるんだということに驚いて、でも非常に簡単な方法なので、世界中の人がうわーっと実験に取り掛かって。当然、ネズミでできたら次は人間ですから、ものすごい競争だったんです。
ラボのメンバーと時にはお酒を飲みに行ったりしますけれども、そのあとも彼らは実験をし、僕はコンピューターに向かって論文を書いたり海外の研究者とやりとりしたりしていました。
―このときの番組では「マウスは4つの因子だけど、人間はもっと複雑だろう」とおっしゃていました。
遺伝子を幾つか入れて細胞をがん化させるという研究を僕たちの前にたくさんの人がしていて、ネズミの細胞は1個、2個の遺伝子でがん化することが分かったのですが、人間の細胞は1個、2個ではだめで、3個、4個とネズミに必要な遺伝子にプラス2つくらい入れないと変化しないんです。寿命も長いですから、細胞を守るいろんなメカニズムがあることが分かっていました。だからきっとiPS細胞も、ネズミが4つだったら人間は6つ、7つ、8つ要るんじゃないかなと。ほぼそうだろうと思ってましたが、結果としてはネズミと同じ4つでできたので、それは本当に意外でしたね。
急ぐ気持ちと慎重さを担保するギリギリのバランス
NHK提供
―2007年にヒトのiPS細胞作製を発表されたので、それからわずか1年で完成したということですね。
実はもっと早くできていました。論文にするには1年ぐらいかかりましたけれども。かなり早い段階で、「あ、人間でもできる」という感触は得ていましたが、もし間違いだったりしたら大変ですから、もう相当慎重になりましたね。ネズミのときもものすごく慎重になりましたが、人間のときは、競争があるから早く出したいけれども、なんかの間違いがあってもいけないから慎重さも求められますし、そのバランスが本当に大変でしたね。
世紀の発見やプロジェクトの緊張感がひしひしと伝わってくるインタビューとなりました。iPS細胞の作製成功、そしてその後のゲノム編集などの発展によって、「健康寿命を延ばすこと」や「若返り」などの医療革命がもはや夢物語ではないと山中教授は言います。詳しくはどういうことなのでしょうか。
中編『iPS細胞の山中伸弥教授が語る「『細胞の老化』に根本的に作用する再生医療が次の5年、10年と確実に近づいている」…その時日本が最先端研究から脱落しないために必要なこととは』に続きます。
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「サイエンスZERO」20周年スペシャル 3月26日(日)夜11:30~午前0:30 NHK Eテレ《再放送:2023年4月1日(土)午後2:30~3:30 Eテレ》