神威岬「念仏トンネル」探索(後編)
2021年8月30日 午前7時40分。
岩場を抜けると、明らかに人工的に削られた平らな岩礁に出ました。
ここまで旧ルートから外れていたのか消滅してしまったのか、道の痕跡はほぼ確認できませんでしたが、遊歩道であった証をようやく見つけることができ、気分が高まります。
すぐ近くの浅瀬で漁をしていた人と目が合いましたが、探検装備の私を見て納得したのかスルーしてくれたので一安心。
所々に足首程度まで海水がたまり、小さな生き物が泳いでいます。
これは長靴にして正解、バシャバシャと堂々突っ切ると、わずかに残る階段と崖が窪んだ箇所に到着。
探検開始から約30分。ついに辿り着いたか……。
念仏トンネル―。
念仏トンネルの開通は1916(大正7)年11月8日といわれていますが、掘られたのは神威岬にまつわるある悲劇がきっかけでした。
岬の突端付近に立つ神威岬灯台。現在は無人ですが、1888(明治21)年の初点灯から1960(昭和35)年に建て替えられるまでの70年あまりは、職員が居住勤務する有人灯台でした。
灯台に辿り着くには、一番近い余別と呼ばれる集落から約4キロもの険しい道を歩かなくてはなりませんでした。
岬が近づくと波打ち際を歩く断崖絶壁が続き、灯台を目指す人は海岸の石を飛び跳ねながら伝って歩いたといいます。
1912(大正元)年10月の天皇誕生日、灯台長夫人と3歳の長男、補助員夫人の3人がお祝いの食材を買うため余別に向かう途中に高波に飲まれ、そのまま行方不明になるという痛ましい事故が起きてしまいました。
村人たちは心を痛め、二度と悲劇が起こらないよう、岩場にトンネルを掘ることを決意。
1915(大正3)年から7年の歳月をかけて手掘りの隧道を完成させ、以降、灯台職員らの安全は守られたということです。
さっそくトンネル内部へ足を踏み入れます。
人がひとり通るのにちょうど良い大きさの内部は、思ったよりも状態よく残っており、難なく進めます。
…しかし、20メートルほど進むと右方向に直角に折れ曲がっており、先は真っ暗で何も見えず。
これが「念仏トンネル」と呼ばれるゆえん。
掘削作業は崖の両側から同時に進められたものの、測量ミスにより中央で大きなズレが生じてしまいました。
村人たちが犠牲者の供養の意味も込めて、双方から念仏を唱えて鐘を鳴らしたところ掘り進む方向が分かり、結果、全長60メートルの特殊なかたちのトンネルが完成したというわけです。
ライトで照らしてみると波が運んできたであろう流木や、プラスチックのごみ類などが散乱。
その向こう側も大きく折れ曲がっているのか、トンネルの長さの割に日光が全く差し込まず、なかなか不気味です。
「真の暗闇であるため、念仏を唱えながら通ると安心」とも言われています。
流木類を乗り越えながら、さらに20メートルほど慎重に進んで振り返った様子です。
天井がだんだん低くなっており、足元に気を付けていたら飛び出た岩に思い切り当たりました……。
ヘルメットで良かった。
突き当たりは再び直角に、今度は左方向へ折れ曲がっています。
つまりトンネル内部はクランク状になっており、日光が入り込まないのも頷けます。
これまで念仏トンネルの構造がいまいち良く分かっていなかったので、実地調査で判明できて良かったです。
ここからは更に20メートルほど直線が続き、外部に出ることができました。
天井が低いうえに大きな石でゴロゴロしているので、最後は常に中腰で歩かなければなりませんでした。
高波の日はトンネル内部まで、それなりの浸水があると推測されます。
暗く狭いトンネルを出た先に広がる風景です。
遠くに神威岬と、直立する神威岩を望める絶景ですが風が強い!
トンネルを見下ろす崖上の遊歩道が岬へ続いているのが見えますが、海沿いを歩いて急斜面を登ってゆく旧ルートの痕跡も確認できました。
現在の遊歩道ができるまでは、ここ念仏トンネルを通るのが岬に辿り着く唯一のルートでした。
そして、トンネルを出たすぐ近くには奇岩「立岩」がそびえ立っています。
崖の上から見たときは普通の岩だったのに、横から見たらこんなに薄かったんですね。
神威岬の古い土産物には、ここの風景をプリントしたものも見られるので、かつては積丹を代表する名所だったのでしょうね。
今では危険を冒した者しか見られない幻の絶景になってしまったのが残念です。
はるか遠くの遊歩道上から確認できたトンネル出口、大きく回り道をしてようやく目の前で見ることができて達成感でいっぱいです。
開通から100年近く経つにも関わらず、その姿をしっかり留めていることに驚きましたが、つまり岩盤がそれほど頑丈であることを物語っており、手掘りの作業は難航したことが想像できます。
高波の犠牲者を二度と出させまいという、工事に携わった地元民の強い願いが伝わってきました。
神威岬「念仏トンネル」探索
完。
※旧ルートは閉鎖されており落石の危険があるため、訪問は自己責任でお願いします。