ホルマリンのマンネリ感

札幌出身苫小牧在住、ホルマリンです。怪しいスポット訪問、廃墟潜入、道内ミステリー情報、一人旅、昭和レトロなどなど…。

三十路記念の旅 西と南の果てへ その14(最終回)

2024-03-16 00:39:37 | 旅行(道外)2020~
4日目 午後3時半 ~楽園~


帰りの船まで残り1時間を切ったので、自転車を返却し波照間港フェリーターミナルへと戻ってきた。
駐車場に「部落内徐行」の文字があり一瞬ギョッとしたが、よく考えてみるとこの単語自体は差別用語ではない。
ターミナルに貼ってあった町内会だよりにも「部落対抗ゲートボール大会」の表記があったので、ここの人には「集落」呼びよりも一般的なのかもしれない。

船を待つ間、ターミナルの売店で波照間島限定の黒糖ちんすこう(黒蜜付き)と黒糖チョコレートを購入した。可愛らしいパッケージはお土産にぴったり。
待合所では地元の女性たちが「今日は夏みたいな天気だったね」などと談笑していた。
今日は島民もびっくりの日差しの強さだったらしい。
冬で油断していたが、確かに1日中露出していた腕は日焼けで真っ赤になってしまった。
大満足の最南端日和であった。



午後4時7分、帰りの高速船が定刻通りに入船し一安心。
乗船待ちをしながら積み込まれる物品を見ていると「黒糖」と書かれた段ボール箱が多い。
さすが製糖所もある波照間島、名産品は他の八重山の島々へ渡っているようだ。

船内へ乗り込むと、乗組員が座席を回りながら「今日はかなり揺れますので酔いそうな人は後ろへ……」としきりに注意喚起しており思わず身構える。


船は定刻通りの午後4時20分に出港し、波照間港から出ると予告通りの揺れがすぐさま始まった。
主に上下にバウンドするような大きな動きが続き、乗り心地は行きの船の数倍悪い。しかも次第に酷くなっている。時おり船底に波がぶつかる低い音が響き、なかなか迫力がある。

船酔いを心配していたが、見た事のない波のうねりと窓いっぱいの豪快な水しぶきに夢中になってしまい全く問題なかった。
潮まみれの窓から外を眺めていると、相変わらずトビウオが何度も水面に現れ、魚を狙っているのかカツオドリがずっと並走して飛んでいた。
航路の中盤を過ぎると次第に揺れはおさまってきて、比較的快適な船旅を楽しめた。


午後6時、船は石垣港フェリーターミナルへと到着。無事に石垣島に帰ってくることが出来てよかった。
せっかく南の島にいるのだからと海鮮が食べたくなり、そのまま繁華街へ繰り出しひとり居酒屋へと入る。


日本4端制覇の記念とばかりに寿司9貫セット(1200円)とオリオンビールのジョッキ(390円)で乾杯。
沖縄ならではのイラブチャー(アオブダイ)の握りがあった。本来は鮮やかなエメラルドグリーンの魚で、寿司ネタでもその色合いがわずかに分かる。
くせのない白身魚だが、イカのようなコリコリとした食感があり初めての体験である。
イラブチャーの隣は大将によるとクロハマダイ(※うろ覚え)で、こちらも沖縄ならでは。

ジョッキ1杯のビールで終わらせたが、空腹に流し込んだためか多少酔ってしまった。
夜風を浴びながら宿に戻り、素晴らしい1日を振り返りながら就寝した。


2024年1月18日(最終日)

旅も5日目、とうとう最終日である。あとは北海道へ帰るだけだ。
午後0時15分発の飛行機で石垣島を発つが、まずはユーグレナモールで最後のお土産選びをしたいので午前8時に起床した。

おととい夜ご飯に連れて行ってくれた長期滞在のおじさんに最後のあいさつをし、ロビーへ行くと、オーナーのおじぃが併設の厨房にいらっしゃった。
勉強合宿で高校生のグループが滞在しているそうで、お得意の八重山そばを振舞っていたようだ。
「波照間は楽しめた?夏の石垣島も楽しいから、またおいでよ」。寝泊まりスタッフのおじさんと共に、相変わらず人のよさそうな笑顔で送り出してくれた。
地元での評判や口コミを拝見するに、この宿泊施設はおじぃの人柄で広く愛され支えられているようだった。
愉快な旅の思い出をくれたことに感謝しよう。



宿を出るときに北海道の寒さの話になり、スタッフと談笑していた地元民のおじぃに「恐ろしい場所へ帰るなぁ」と言われた。
こっちの人々は、島を出ない限りマイナスの気温はまず体験しないだろうな。
大変羨ましいが、暑がりの私には沖縄の湿度が辛いだろうな……などと考えながら繁華街まで歩いた。
この日は朝からどんより曇り空。観光する日じゃなくてよかった。


開店直後のユーグレナモールで酒類を買い込んだ後、石垣港のバスターミナルから空港行きバスに乗り午前10時15分に石垣空港着。
空港内のファミマで沖縄限定のポークおにぎりとさんぴん茶を買い、最後の沖縄めしを楽しんだ。

待ち時間に荷物の重量を確認すると、ピーチにて無料で持ち込める7キロをわずかにオーバーしていたが、かばんに仕舞っていた上着を着込むと700グラム差でギリギリOK。
危なかった。お土産の酒をあと1本買っていたらアウトだったかも。


午後0時15分発のピーチMM532便で成田空港へ。
午後3時に成田着、空港内で時間をつぶし、すっかり暗くなった午後5時35分発のピーチMM577便で北海道・新千歳へ。


午後7時半、ようやく帰ってきた新千歳空港は出発時と変わらず雪が舞っており、発着がやや乱れていた。前日は寒波の影響で大混乱だったようだから、1日違いで回避できたのは運が良かった。



雪だ……。
久々に見る気がする冬景色に、年甲斐も無く感動してしまった。
波照間島のヒマワリ畑やニシ浜の風景を思い出しながら、南北でここまで風景が違うのかと改めて驚く。
バスで苫小牧市内へ帰ると、よりによってこの街では珍しいくらいの積雪量で現実へと引き戻される。
沖縄は間違いなく別世界で、楽園のようだった。



という事で、三十路記念の旅と称した与那国島、波照間島への旅は無事に終了した。
歴代最長の移動距離に「最果ての離島」というロマンあふれる目的地。刺激的な旅になるのは予め約束されていたが、それに加え今回は道中での出会いに恵まれたと思う。
予想外の展開や思わぬ交流でのわくわく感は学生に戻ったかのような瑞々しさで、30歳のおじさんでもまだこんな感情になれるのだなぁと嬉しくなった。
やはり旅は良い。これからも時間を見つけて行きたいところへ行こう。


2014年8月 最北端・稚内 宗谷岬(自転車)


2022年5月 最東端・根室 納沙布岬(自家用車)


2024年1月 最西端・与那国島 西崎(飛行機と自転車)


2024年1月 最南端・波照間島 高那崎(飛行機と船と自転車)


2024年冬、
三十路記念の旅 西と南の果てへ


完。
※旅費合計:103,826円(お土産代を除く)
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三十路記念の旅 西と南の果てへ その13

2024-03-06 00:27:07 | 旅行(道外)2020~
4日目 正午 ~宝石~


最南端広場にあった東屋とベンチで、朝にフェリーターミナルで購入したポークたまごおにぎりを頂く。
お値段は300円ほどだったがズッシリと重く食べごたえがある。そしてやはりスパムは美味しかった。
最南端のカラスたちに見つめられながら一緒に飲むのは沖縄限定のさんぴん茶。ジャスミン茶に近いようで、今回の旅ですっかりハマってしまい飲料水はこれしか買っていない。
果ての景色と共に昼食を満喫し、少し汗ばむ陽気のなか再び出発した。



最南端広場の駐車場から、波照間島随一の景勝地という「ニシ浜」を目指し西へと進む。
ヤギの歩く畑や草原の中を進む一本道は交通量が全くない。
お昼時のためか、畑仕事の休憩中であろう島人が木陰で昼寝していた。


午後0時50分、島一周道路と合流し島の西部をぐるりと半周すると、すぐに「ニシ浜」の小さな案内看板が現れ左折する。
下り坂の向こうにすぐさま美しい「波照間ブルー」の海が見えた。
行き止まりの小さな広場に自転車を停め、高まる気持ちと共に砂浜へと降りてゆく。





今まで見た事のない水色の海が、目の前に広がった。
あまりの絶景に言葉を失う。


ちょうどよく小さな岩陰を見つけたので、砂の上に座り涼ませてもらう。
日本にこんなに美しい場所があったとは。
日陰から眺めた快晴の海はより一層輝きを増し、エメラルドブルーを超えもはや透明である。
何と贅沢な風景だろうか。ここは間違いなく一人、ましてや冬靴で来るところではない。

心地の良い波音に時間を思わず忘れてしまう。
海外にバカンスに来たみたいだ。
足元で見事な巻貝を背負ったヤドカリが、砂から出たり潜ったりしていた。



ここニシ浜は沖縄で最も美しいビーチとも言われているそうだ。
欠航の多い航路に外洋の激しい揺れなど到達難易度は高く、苦難を乗り越えた者しか見られない特別な絶景であろう。
はるか遠く離れた道民の私にとっては、人生で最初で最後の風景かもしれない。
まるで宝石のようなビーチを存分に楽しんだ。
なお、ニシ浜の「ニシ」は波照間の言葉で「北」を意味しているそう。ややこしいな。





午後2時、ニシ浜を後にし、島の中央の集落へ再び戻ってきた。
帰りの船まではまだ2時間以上ある。集落周辺の散策をのんびり楽しむことにしよう。


集落の中にある日本最南端の酒造「波照間酒造所」。
家族経営で泡盛の「泡波」という1銘柄のみ製造しており、生産数が限られているので島内でも出回らず「幻の酒」と言われている。島外ではプレミア価格が付くとも。
今回の波照間滞在中は見つけられなかった。



波照間小中学校の前まで再び来ると、先ほどは気付かなかった「日本最南端の碑」と「蛇の道」のオブジェが描かれた壁画があった。つい先ほど見た風景ながらも感慨深い。
波照間ブルーの海面からはトビウオが跳ね「島を守るのは私たちです 自然を大切に」と力強く書かれていた。


午後3時、集落から島一周道路へと再び出て、まだ通っていなかったフェリーターミナル~最南端広場間を走ってみた。
平坦な道なので、ものの10分程度で最南端広場への一本道に合流。先ほど通った道なので、波照間島一周を一応は成し遂げた事としすぐ引き返した。
戻り際、海の向こうには水平線の代わりに西表の島影が続いていた。あんなに大きな島だったんだな。


次回、最終回。
戻りの船は凄い揺れ。そして北へと帰る。
続く。
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三十路記念の旅 西と南の果てへ その12

2024-02-28 00:43:43 | 旅行(道外)2020~
4日目 午前11時10分 ~果てのうるま~



波照間島には至るところにヤギがいる。
島の静かな風に乗って、時折あちこちから鳴き声が聞こえてくる。
畑の中で紐に繋がれているのもいれば、道端の草を気ままに食べているのもいる。
放し飼いなのか野良なのか。


沖縄ではヤギを「ヒージャー」と呼び、波照間島では郷土料理のヤギ汁や刺身など食用として利用されている。
また島内のヒージャーの数は島民(450人)よりも多いと言われており、噂では台風などで物資輸送が途絶えた場合の備え(非常食)でもあるとか。真偽は定かではないが離島ならではの事情だ。
ヤギの肉は栄養価が高く雑草で育つため安価な一方、独特の臭いがあり沖縄の人でも苦手な人が多いそう。


午前11時20分、海へ向かう林の中の一本道を抜けて、いよいよ目指す日本最南端広場へと到着した。
もっと時間が掛かると思っていたが、島内は予想以上にコンパクトで移動もあっという間だ。
林から草原になり視界が開け、気分が高まってきた。


そして……海を望む草原の隅に、ついに目指す場所があった。





2024年1月17日、午前11時25分―。
北緯24度02分44秒、東経123度47分18秒の日本最南端の碑へ到達した。
今回の三十路記念の旅の二つめの目的が無事に達成された。

ついに生涯の目標であった日本最北端、最東端、最西端、最南端の4端制覇を果たしたのだ。

草木の揺れる音と、断崖に打ち付ける波の音しか聞こえない場所。
いつの間にか雲がほとんどない真っ青な快晴が広がっていた。
私の思い描いていた南の果ての風景そのものだ。素晴らしい日にここに来られた幸運に感謝したい。


最南端の碑の隣には、1972(昭和47)年に沖縄祖国復帰記念で建立された「波照間の碑」があり、石碑に向かって石灰岩やサンゴ化石を積み上げた「蛇の道」が延びている。



その名の通り、くねくねと曲がりくねった細い遊歩道には「島が本土と離ればなれにならぬよう」という願いが込められ、全国47都道府県から集めた石のオブジェがある。



もちろん我がふるさと北海道の石もあった。
まさか日本最南端の場所に「北海道」の文字があるとは思わなかった。
数千キロ離れた地に思いをはせ嬉しくなる。ずいぶんと遠く離れた場所へ来てしまった。




最南端広場からは日本最南端の景勝地「高那崎」の断崖が続き、なかなか壮観。
内陸の草原の向こうへ目をやると、先ほどマンホールにイラストが描かれていた「星空観測タワー」がポツンと見えた。
波照間島は全88星座のうち84星座が見られるという星空の島。緯度の関係で本土では見られない南十字星は、ちょうど今の時期(12月~6月)が観測のチャンス。
今日は快晴なので宿泊する人がうらやましい。


波照間島で特に楽しみにしていた高那崎の絶景を望むべく、断崖の突端を目指す。
この辺りは琉球石灰岩の地形が南東に1キロほど続いているそうで、ざらざらした岩肌は凹凸が激しくなかなか歩きにくい。そして南の島の日差しをいっそう強く照り返している。



高さ数十メートルの断崖と激しい波音に怯みながらも、出来る限りの崖のきわまで辿り着く。
どこまでも続く絶壁に、青々と輝く太平洋の荒々しい波が打ち付け圧巻である。
外洋のはるか向こうはフィリピンである。
北国在住の私にはもう一生見られない風景かもしれない。

波照間島の名前は沖縄でサンゴを表す「果てのうるま」から来ているという。
波照間島はまさしく「果て」なのだ。
ダイナミックな風景を眺めながら、ここまで辿り着いた達成感に浸った。

次回、人生で最も美しい砂浜。
続く。
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三十路記念の旅 西と南の果てへ その11

2024-02-25 23:59:01 | 旅行(道外)2020~
4日目 午前10時15分 ~島の歴史~

ヒマワリ畑のすぐ近くに、ぜひ立ち寄りたかった場所があった。
国指定史跡の「コート盛(先島諸島火番盛)」である。




琉球王国時代の17世紀中ごろに異国船の監視・通報のために建てられた遠見番所群のひとつ。
琉球石灰岩を渦巻き状に積み上げて造られており、有事の際はのろしを上げて他の島々へと伝えていたそうだ。
高さ4メートル、直径10メートルほどとそれほど大きくないが、この辺りは標高60メートルあるそうで、階段を上ってみると遮るものが無く、番所があったという海の向こうの西表島まで見渡すことができた。


自転車を漕いでものの5分ほどで、島の中央にある集落へと到着した。
石灰岩やサンゴの塀に囲まれた平屋の家々の他、小さな民宿などもある。人が少なく静かな時間が流れている。


日本最南端の波照間駐在所と、同じく日本最南端の波照間小中学校。
船で到着した時に港にスイフトのミニパトがいたが、まだパトロール中か。
小中学校は思ったよりも校舎が新しく立派だったが、4年ほど前に建て替えられた小中併設校舎なのだそうだ。なお全校児童生徒は50人ほど(2023年現在)。



小中学校の塀は児童生徒によるカラフルな絵で彩られていたが、青々とした空と海に浮かぶ波照間島の作品が印象深かった。
「平成5年度 卒業制作 平和学習記念」とある。偶然にも私の生まれた年だ。

「星になった子どもたち」という歌詞が雲のように描かれており
「ガタガタふるえるマラリアで 一人二人と星になる
 くるしいよ さむいよお母さん 帰りたい 帰りたい 波照間へ」
などという言葉がある。

調べてみると、波照間島には第2次世界大戦中に「戦争マラリア」の悲しい歴史があった。
軍命で西表島南部へ強制疎開となった島民たちの間に、マラリアが大流行し死者が続出したのだ。
有病地であった西表での劣悪な生活環境によるもので、残った島民は沖縄戦の後に島へ戻ることができたものの、田畑が荒れ果て家畜が処分された島内では食料が尽き、そしてここでもマラリアが猛威を振るった。
結果、島民1590人のうち1587人がマラリアに感染し、当時の島民の3割である477人が死亡した。
波照間小中学校の前身である国民学校の児童も66人が死亡。

波照間を思いながら星になった子どもたち。
忘れてはならぬ歴史が歌い継がれているようだ。


小中学校のほぼ向かい、集落の中心部にある波照間郵便局はかなり新しいなと思ったら、昨年2023年7月末に建て替えられたばかりのようだ。
そして集落のはずれ、少し迷いながら到着したのは竹富町役場・波照間出張所。
2人しかいない小さな窓口で「日本最南端証明書」を購入した(500円)。島内の一部の土産物店でも扱っているそうだが、やはりこういった証明書は公的機関で入手したいという個人的なこだわり。



島内には食料品や生活物資を販売する共同売店が数店ある。
島民の生活リスムに合わせているのだろう、お昼すぎから午後3時ごろまで「休憩時間」の店舗もあるようだ。
店内のカップめんやお菓子などの値段を見てみたが、意外と本土のコンビニ価格と同じくらい。



地図に神社の表記があり、沖縄の神社とはどういうものか見てみたかったのだが、何やら雰囲気が違うぞというエリアの周囲に「立入禁止」の真っ赤なブロックがあった。
どうやら神を祀る「御嶽」や祭祀を行う聖域として禁足地とされているらしい。
波照間島にはこのような場所があちこちにあることから「神々の島」と呼ばれ、探索中は油断してはならない。


こちらも集落内のあちこちにある、島言葉による交通安全の手書き看板と島のマンホール。
看板は隣に訳が書いてあり「ウタマンドゥ トゥンジピコハン」は「あぶない 子どもの飛び出し注意」という意味らしい。
このほか「ヤマシヤマシ パリヨ~(ゆっくりゆっくり走ってね)」というものもあった。





午前11時、集落を抜け「日本最南端の碑」目指して島を南下する。
集落から外れるとほとんど畑と農道のようで、見晴らしがよく緑豊かな景色が続く。




平坦な道に沿って背の高いサトウキビ畑が広がっており、思わず「ざわわ……ざわわ……」などと口ずさむ。
立派に育ったサトウキビはちょうど今の時期の1月~3月にかけてが最盛期らしく、真っ黒に日焼けした島人たちが収穫作業をしている光景も見られた。
あと1~2か月来るのが遅かったら、全て刈り取られて少し寂しい風景だったかも。



次回、いよいよ南の果ての風景へ。
続く。
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三十路記念の旅 西と南の果てへ その10

2024-02-22 21:05:55 | 旅行(道外)2020~
2024年1月17日(4日目) ~マボロシ島~

本日はいよいよ日本最南端の有人島・波照間島へ渡る日だ。
狭い個室内で起床早々、船の運航状況を調べてみると―。

欠航は無し、全便「通常運航」。

ついに憧れのあの島へ渡れる。
心躍らせながら身支度をし、まだ消灯されている宿を静かに出発した。
なお旅行計画の段階で、航路が荒れやすい波照間島で一泊するのはリスクが高いと判断し、今回の訪問は日帰りとしている。
夜にはまたこの宿に戻ってくるので、着替えや与那国で買ったお土産は宿に置かせてもらった。
身軽になれるのが連泊の良いところだ。


午前7時すこし前だというのに、まだ日が昇っておらず薄暗い。さすが南の島だ。
昨夜語り合ったおじさんに教えてもらった近道を歩き、20分ほどで石垣港フェリーターミナルに到着した。


2024年現在、波照間島へ渡る唯一のフェリー航路は、同港に本社を置く安栄観光が受け持ち1日3便の運航。本日は午前8時の第1便で島へ渡り、波照間を午後4時20分発の最終便で石垣島に戻ってくる予定だ。
ターミナルの一番端の乗り場へ向かうと、乗船する高速船「ぱいじま2」が待機していた。
昨日見た小型船よりは数十倍大きく、揺れは幾分か軽減されることを期待する。

他の島々からポツンと離れた波照間航路は外洋に出るため荒れやすく、波照間島で検索すると「冬の欠航率は5割以上」「運が良くなければ渡れない幻の島」などという説明が目に入るが、詳しく調べてみると近年はそうでもないらしい。
確かに、かつては小型船のみの運航であったのに加え、2008年にはそのあまりの揺れで客が腰椎圧迫骨折を起こす事故が発生、以降、出航基準がかなり厳しくなったという話もある。
しかし今回乗る大きめの双胴船が導入されて以降は欠航が格段に減り、利便性は向上しているようだ。
(※かつての波照間航路の乗船記や事故についてはめえめえさんのブログが詳しい。)


午前7時50分、ターミナルの売店で念のため酔い止めを購入し、準備万端で乗船する。
思ったよりも座席数が多く広くて快適だが、船のサイズに対して利用者が少ないのだろうか、揺れが大きいと思われる船前方の数列は立ち入りが禁止されていた。
ターミナル内は朝から予想以上の人の多さだったが、ほとんどが観光地の竹富島・小浜島航路などへ向かったらしく、マニアックな波照間航路の利用者は少なめだ。

午前8時、船は意外にも大人しいエンジン音を響かせて定刻通りに出港した。
波照間島着は午前9時40分。約1時間40分ほどの船旅だ。



早いとも遅いとも言えない速度の船は、八重山の島々を望みながら大海原へ。
本日は天気が良いのでマシな方だと思われるが、確かに上下左右にゆっくりと大きな揺れが連続し、乗り物酔いする人には厳しそうだ。
船内のテレビを見ていると気持ち悪くなる予感がしたので、目をつぶったり外を見たりして過ごした。これだと意外と快適だ。

私は乗り物で酔ったことは無いが、船は乗船経験が少ないので未知数。
揺れる公園遊具で気持ち悪くなったことがあるため三半規管は弱めと思われる。修学旅行で乗船した竹富や西表航路では大丈夫だったが。
実は先ほど、ターミナルで酔い止めと一緒にポークおにぎりを買っているのだが、念のため今は食べないでおこう。



船後方のトイレに行くついでに船内を見物。
食料や配達物、新聞など石垣島からの便が一緒に積まれていた。離島ならではの光景が新鮮だ。
危険なのでデッキには出ることができないが、船後方の座席は横向きのベンチシートで、横になっている人も(船酔いでダウン中?)。大きな窓から一面の海を楽しむことができた。
船が立てる波に驚いているのか、時おり水面からトビウオと思しき魚がジャンプしていくのが見える。

次第に進行方向左側に、平べったい緑色の陸地がポツンと見えてきた。
あれが波照間島か。



船は大海原から一直線に波照間港へ進入。
防波堤に書かれた「ようこそ最南端の島へ」「南十字星が輝くぺぇ~ぬ島」などの歓迎の文字が見え、気分が高まる。天気も最高だ。


午前9時40分、定刻通りに港へ着岸。いよいよ波照間島へ念願の上陸となった。
小さなタラップの横で、すぐさまバケツリレー方式で物資の積み下ろし作業が行われていた。




だだっ広い波照間港には、来島者を歓迎する民宿やレンタカー/サイクル店の送迎車がずらりと並び、各自お手製のパネルを掲げてアピールしていた。
今日も自転車を借りて島内を巡る予定で、すぐにお店に行こうと思っていたのでこれはありがたい。
「レンタサイクル 西浜荘」とデカデカと書かれた古いエルグランドが一番わかりやすかったので乗せてもらう。確か港から2番目に近いレンタサイクルで、ちょうど利用しようと思っていた場所だ。

「ようこそ波照間島へ。ここは人口450人ほどの日本最南端の島です」
車に乗ったのは結局私ひとりだったのだが、スタッフの女性は丁寧な案内で、わずか数分の「民宿 西浜荘」へと送迎してくれた。
島生まれ、島育ちのおじぃが一人でこつこつ建てた宿泊施設なのだとか。

簡単な手続きで1日1500円のママチャリを貸してもらう。
電動自転車をお勧めされたが「与那国島を一周できたので大丈夫です」と断らせてもらった。
ちなみに今月は北海道からの利用者が既に私で3人目だといい、女性は驚いておられた。
みな台風シーズンを避けて来るからだろうか。


午前9時50分。最南端の日差しですっかり退色したママチャリを受け取り、まずは先ほど見れなかった波照間港のフェリーターミナルへ。
既に折り返しの船が出港後で人はまばら。ずらりと並んでいた来島者目当ての車たちは、先ほど私の送迎車が出発するのと同じタイミングで散り散りに消えて行った。なかなか面白い光景だった。



ターミナルの中は時刻表などの案内板も少なく簡素だ。
乗船手続きのカウンターと小さな食事処、お土産店があるのみ。
畳の休憩スペースはいかにものんびり南の島らしい。

さて、波照間島は面積13平方キロメートルほどで、ほぼ平坦な島のようなので自転車移動は楽勝だ。
今日の一番のお目当ては、何と言っても島の反対側にある「日本最南端」の碑。
その他、絶景という噂の「高那崎」「ニシ浜」なども押さえておきたい。島一周はどうしようか迷っているところ。
ともかく、帰りの船までは6時間以上ある。行きたい場所を気ままに巡ろう。


まずは島の真ん中にある集落を目指す。
先ほどレンタサイクルのスタッフも教えてくれたが、波照間島は中央が少し盛り上がっている地形のようで、集落へ向かうにはなだらかな坂を上らなくてはならない。
サトウキビ畑を横目に見ながら、海を背に坂道を漕いでいると驚いた。



ヒマワリが咲いている。
今まで見た事のない1月の風景に思わず笑ってしまった。しかも満開だ。
札幌では前日、寒波の影響で4~50センチの降雪があり、交通の便は大混乱だったようである。
「別世界」という言葉がぴったりだ。
今日も北海道民の日常とまるっきり掛け離れた風景が見れそうでワクワクする。


次回、島のあちこちに●●。
続く。
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