ホルマリンのマンネリ感

北海道在住、ホルマリンです。旅行、怪しい珍スポット訪問、廃墟潜入、道内ミステリー情報、昭和レトロなどなど…。

札幌ミステリー調査局 第13回

2016-07-30 18:12:17 | 好きです札幌
※今回は短いので小ネタとしてお楽しみください…(^_^;)。

前回の更新より復活した「札幌ミステリー調査局」シリーズ。
開始当初はいきなり「ネタ切れで消滅」の危機でしたが、皆様の情報のおかげでなんとか13回目を迎える事ができました!!
不吉な13回目……ぐふふふふ(といっても特に何も起こりませんが。)


謎の看板「ピタラ18」って一体…?


今回の情報は、昨年の11月にきまぐれさんに頂いたものです。
「ミステリー調査局 第1回」のコメント欄に書きこんで頂きました。
札幌のR230沿い手書きでピタラ18と書かれた建物がありますが、何故ピタラ18なのか気になります^_^
とのこと。

詳しい住所が分からなかったので、しばらく謎のまま解明できていなかったのですが…。
とある日に車で230号線を通っていた時、
ついに見つけてしまった……。

6月某日。

場所は札幌市南区とだけ。
幹線道路沿いにあるので、目を凝らしていたらすぐ見つかると思います。



これかーーー!
赤とも茶色とも言えない建物の壁に、ヘタウマなふにゃふにゃ文字で「ピタラ18」。
…久々のミステリー看板キターーー♪



…ご覧のように、何の変哲もない商店に堂々と張り付けられています。
これは完全に通行人に向けてアピールしてますな。
でも何のために?

何かあるようには見えないが…。


看板の目の前には細い砂利道が伸びていますが、すぐに行き止まりっぽい雰囲気。
謎は深まるばかり…。

とりあえず、失礼して砂利道を進んでみましょうか。


…案の定、道の先には個人宅が一軒と、赤い建物の駐車場と思しき小さな空間だけ。
行き止まりになっていました。


どうやらこの建物、商店の上はアパートになっているらしく、建物の裏にひっそりと階段が付けられていました。
うむ。アパートか…。

待てよ。
アパートには大抵名前が付いている


さっそく「ピタラ18」で検索してみました。



結論:アパートの名前だった。

…ちなみに「ピタラ」って何ぞや?と調べてみると、アイヌ語で「河原」の意味だそうです。
建物の近くにT川が流れてるので、この名前を付けたのでしょう(^_^)。
なお、18は「18条●丁目」にあるために付けられたものだと思われます。


やはりアイヌ語由来でしたね。
…ちなみにピタラはマオリ語で「テントウムシ」も意味するそうです(^_^;)。
(山梨県に「ぴたらファーム」という施設があります)

完。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

札幌ミステリー調査局 第12回

2016-07-24 00:34:27 | 好きです札幌
皆さんこんにちは。
すっかり更新頻度が低くなってしまって申し訳ありません。
ネタは溜まりに溜まっているので、決してネタ切れというわけではないのですが…。
皆さん、どうか気長にお付き合いくださいますよう…。

さて、今回から、あのミステリー調査局シリーズが再び始まります!!(^-^)
各方面からネタをいくつか頂いており、また私自身も濃いめのネタを仕入れているので、本年も不定期で続いていきそうです(笑)。
では、復活第1回目、どうぞ。


北海道秘宝館の剥製は今、
ホテルのロビーにある!?


皆さん、北海道秘宝館を覚えているでしょうか…。
1980年に開館して以来、定山渓温泉街の入り口で異様なオーラを放ち続けていた伝説の珍スポットです。
2010年に閉館、現在は解体されてキレイさっぱり消えてしまいましたが、つい最近まで廃墟のまま放置され続けていたので、中に入った事のない人も存在ぐらいは知っていたのではないでしょうか。
(参考:北海道秘宝館跡 ~戦慄の迷宮廃墟~前編

敷地が完全に更地となってしまった今、展示物などは完全に処分されたと思いこんでいたのですが、私はとある怪情報を入手していました。
「館内に展示されていた動物の剥製が、とあるホテルのロビーに展示されて第二の人生を送っている」、と……。

北海道秘宝館のイチバンの売りであったのは、膨大な数の剥製が展示されたパラダイスでした。
シマウマやライオン、トラにウミガメ、エゾシカにヒグマ、イノシシやヘラジカなど、秘宝館だけあってすべて交尾中。
そんなヤバい剥製が、観光客や家族連れで賑わうホテルのロビーに置かれているだと!?
ちょっ、さすがにそれはダメじゃないか??

調べてみると、剥製が置かれているのは定山渓ホテルとのこと。
これは…確かめるしかあるまい。


6月某日。

え~、この日はマイカーの納車翌日でした(*^_^*)。家族を某所に送り届けてから、そのまま一人で定山渓温泉にやってきました。
温泉街に着くや否や、さっそくお目当ての定山渓ホテルへ。
駐車場にはレアなレビンが居たので、いやらしく横づけ(笑)。


緊張しつつも、ロビーへと足を踏み入れます。
こんなお上品な雰囲気漂う館内に交尾中の剥製があるとはとても思えないが…。


定山渓ホテルは開湯150年の歴史を持つ、定山渓一の老舗ホテル。館内は昭和レトロな雰囲気が漂い、さすがの貫録です。
そして、ずいぶんと広いロビーを奥の方へと歩いていくと…。


…大量の剥製発見!


突如として様々な動物たちが現れ、ここの空間には少し場違いな雰囲気が漂っています…。
ヒグマにエゾシカ、イノシシは分かるけど、アザラシとはやけに貴重な…。
どこから手に入れたんだ?


これが「元・秘宝館の剥製」なのか…?
予想とは違って、ごく普通のマトモな剥製だった事に少しホッとしていますが…(^_^;)


待てよ。
手前にある下を向いたエゾシカ、何だか見覚えがあるぞ……。


ここに、私が北海道秘宝館の廃墟に不法侵入した時(※2013年)の写真があります。
参照してみると…。


コイツじゃね!?


こいつら…。つぶらな瞳のアザラシたちも、廃墟で撮った写真に奇跡的に写り込んでいました。

交尾中(と思われる)巨大アシカの手前に…。

いたぁーー!!!

マジで北海道秘宝館の剥製が展示されていた!!


動物の解説プレート。やけに年季が入っているのが不気味ですが、コレも暗闇の廃墟で見た記憶があるぞ。
ちゃっかりとプレートまで再利用しちゃってます…堂々と(^_^;)。

…ちなみにエゾシカさんの剥製、秘宝館展示時はピンク色のおちんちんがニョッキリと飛び出ていたのですが、やはりこのホテルではNGと判断されたためかもぎ取られています(^_^;)
Oh…。


それにしても、よくこんなにノーマルな剥製だけを集めたものです。
ほとんど交尾していたはずなのに…どうやって?

とおもっていたら、ある事に気づいてしまいました…。


あの…、あなた…。その腰つき。
絶対挿れてましたよね???

私は決定的な証拠を見つけてしまった。
廃墟潜入時の写真、探索者にイタズラされて傾いてしまっていますが…。

!!!


まさかのカップルだった!!
ホテルの展示物にふさわしいようにと、仲良く事に及んでいたものを引っぺがされてしまったヒグマのペア。なんとも悲劇的だ…。
オスは丸太で支えられ、あたかも木に登るヒグマっぽく変身させるという荒技(笑)。
不自然に前のめりのメスはすべてを受け入れていたかのような憂いを秘めた表情…。

2匹のヒグマに隠された悲劇のドラマを知っているのは、果たして何人いるのでしょうか。


ちなみにメスのヒグマの前には、このような謎の解説が。恐らく3匹目のヒグマの事でしょうか。
こちらはもともとホテルに展示されていたもの?


今回は申し訳ない事に訪問のみとなってしまったのですが、定山渓ホテル、なかなか気になる施設がいくつか。
大地からの贈り物 宇宙空間体験って!!メッチャ気になる~!
今度また訪問させて頂きます。

結論:
ホテル用にムリヤリ改造されて
絶賛展示中だった。


・おまけ

ホテルの裏が結構イイ感じでした。(*^_^*)

札幌/北海道内の謎&ミステリー情報をお知らせください!
「こんなのを見た!」「こんな場所を知っている!」などありましたらコメント欄に是非!
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

札幌市のレトロなメトロ 南北線3000形

2016-07-15 23:26:15 | 好きです札幌
(写真:2012年撮影 記事:2012年のものに加筆・修正/ホームページ過去記事を復刻しました。)

2012年3月引退。札幌市営地下鉄最後の生き残りであった、レトロな幕式行き先表示にも注目。



 1978年(昭和53年)より、札幌市営地下鉄南北線で34年間活躍してきた「緑色の地下鉄」3000形。くすんだようなカラーリングが何ともレトロで、個人的に札幌市営地下鉄の中で一番好きな車両だったが、惜しくも2012年3月に引退してしまった。これらの写真は、3000形が引退する半年ほど前に撮影していたものである。
 この3000形という車両、あらゆる面から見て極めて特殊な電車であった。もともと、初代車両2000形の補完目的で製造された車両であったため、南北線に導入されたのがわずか5編成のみ。そのため、ファンの間では登場した当時から「乗れたらラッキー」的な存在であったと思われる。
 また、3000形は、現役の北海道の鉄道車両では恐らく唯一の「連接車」でもあった。つまり、台車を車両どうしの連結部に設置し、1つの台車を2両の車両で共用するという珍しい構造(下の写真参照)。そのため1両の長さが普通の鉄道車両よりも短く、ドアの数も南北線主力車両の5000形4扉に対し、2扉と少ない。そしてそのドアの少なさ故に、ラッシュ時は乗車位置が違うし、ドア付近に人が混雑するしでかなり不便であった(経験済み)。…しかし、それでも嫌いになれない、むしろ愛着のわく車両であった。
 自分は生まれた頃からずっと南北線沿線に住んでいたので、普段からこの路線にはお世話になっていた。3000形もそれなりに乗る機会が多く、小さいころから今にも爆発しそうなモーター音も含め、古臭い雰囲気が大好きであった。時が経ち、高校の通学にも南北線を利用するようになると、3000形に遭遇することも多くなり、好感度はさらに上がっていったものである(←いつまで経っても子供)。…3000形引退が実に惜しまれる。


(左)これが3000形の一番の特徴であろう、連接部分である。電車のくせにタイヤハウスが存在するというのも珍しく、ホームからはゴムタイヤを覗くこともでき、バスのような雰囲気でもある。
(右)運転席の壁を隔てたすぐ後ろに座席があるのも特徴。妙に落ち着く場所であり、たいていは先客が座っている人気の場所であった。


乗車位置が主力車両5000形と違うため、次の列車が3000形の場合には「緑色の乗車位置でお待ち下さい」というアナウンスが流れ、それまで青色の乗車位置に並んでいた人は面倒くさそうに移動する。このような多少の不便さが混乱を招くため、中島公園のお祭り等、南北線が混雑する時には3000形は運行されていなかった。
ちなみに地下鉄南北線、平成24年度から全駅にホームドアが設置される事となり、当然ながら乗車位置は5000形に合わせられたため、3000形引退はその影響もある。

~3000形ラストラン ドキュメント!~


2012年3月25日。ついにこの時が来てしまった。3000形ラストランの日である。
この時期はダイヤ改正の影響で、全国的にも「300系新幹線」「日本海(ブルートレイン)」など名車の引退が相次ぎ、そっちの方がニュースなどで話題になっていたので、3000形というローカルな地下鉄車両の引退はいささか地味な話題となってしまったのが残念だ(泣)。
この日は通常運行された後、真駒内駅で引退セレモニーを行うらしい。幸いにも、特に用事などは無かったので、この思い入れの強い車両の乗り収めをしてくることにした。何といってもラストなので、通常運行のすべてに乗車し、乗り心地を思う存分堪能してくるつもりだ。

前日、札幌市営交通のサイトに出ていた当日の運行時間をメモし、準備万端。まずは朝9時半の麻生行きに乗るつもりだった。
しかし当日、諸事情により外出が遅れてしまい、このままでは間に合わない!ダッシュで某駅へ。

…努力の結果もむなしく、駅に着いたのは発車してから2分後。悔しい気持ちで後続の列車を待つ。なんとも幸先が悪い。
そして数分後、やってきた後続列車で、3000形を追いかける。とりあえず北34条で下車して、折り返してくるのを待ち伏せることにした。
で、駅に着くと、ホームにはすでにデカイカメラを構えた先客が。
ふっふっふ。なんかワクワクしてきたぞ。


10時00分、真駒内行き3000形登場!!
早速乗り込むと…、うほっ、同業者(マニア)ばっかり(笑)。乗客の8割くらいがカメラ構えた人ばっかりで、とても異様な雰囲気なのです。たまたま乗り合わせた一般の乗客は肩身が狭いですな~。

車内は写真とか動画とか撮ってる人がほとんどだったので、自分も気兼ねなく撮影する。いや~、それにしても地下鉄ファンってこんなに多かったのか~。


10時20分、真駒内駅到着。お別れセレモニーの会場である。ホームには、すでに待ち構えていたファン、各社テレビカメラでごった返していた。セレモニーまでの数分間、しばし撮影タイムだ。

ホームにいたお客さんも、思い思いに写真を撮っている。DSカメラで撮影する小学生、スマホで写メする若いギャル、デジカメで撮影するおばさん…。一見電車には興味のなさそうな人の姿も数多く、この年齢層の幅広さには驚いた。


ありがとう  3000形
泣かせるぜ…。


…いつの間にかセレモニーが始まっていたようだ。先頭車両付近では、運転手さんと車掌さんに花束が贈呈されているようで、結構な盛り上がりだが、残念ながら人が多すぎて接近不可能。そのため全く見えず…。
まぁいいや。カメラ映りたくないし。


ということで最後尾に。こちらは撮影目当てのマニア密度が高い(笑)。こちらもかなり混んでいたので、市営交通の旗を付けてお召かしした3000形の顔はとうとう撮れなかった。思いっきり手を伸ばして撮影した努力の結果がコレである。
…ふぅ。札幌モーターショーを思い出すぜ。

10時30分、大勢の観客に見守られながら、ついに最後の運行が始まった。ここから麻生駅まで走り、折り返しの11時3分発自衛隊前行きが本当の最終運行となるわけだ。
車内は先ほど以上にマニアでごったがえしており、若干ラッシュ並み。そして車内では、「皆さんがお乗りになっている車両は~」と、3000形の解説が何回かされていた。


↑ちなみに言うまでもないが、3000形の引退により、この電光掲示板の表示も見納めとなってしまう。

11時00分、麻生駅到着。短い時間だが、再び撮影タイムが行われる。
…補足だが、この時、中学時代の友人であり、ずいぶんと会っていなかったN氏(熱狂的な鉄道ヲタである)を見つけたのだが、ものすごい血眼で撮影に没頭しており、何とも近寄りがたいオーラを漂わせていたので、話しかけるのはやめておいた(笑)。まぁ撮影の邪魔もしたくなかったしね。

そして11時03分、ついに本当の最終運行である自衛隊前行きとなり、相変わらず多くの乗客を乗せて発車。お別れの時間がだんだんと近づいてくる。

このやけに座面の深い座席も、いかにも燃費の悪そうな加速の感じも、味わえるのは今日で最後か~…」とぼんやり考えているうちに、いつの間にか澄川駅。
あと1駅で終わってしまう。車内にもしんみりした空気が漂う。

「今までのご利用、ご愛好ありがとうございました。」のアナウンスとともに、最後の生き残りであった3000形は、自衛隊前駅にゆっくりと滑りこむ。ホームに降り立った大勢の乗客に見守られながら、すべての仕事を終えた「緑色の地下鉄」は、車庫に向かって再び動き出した。


最後の3000形の勇士!(肝心な場面で手ブレ!!)

この時、電車引退のニュースでよく見るような「○○系ありがとぉ~!お疲れ様ぁ~!」などというベタなセリフを言う人は意外にもおらず、若干の拍手で包まれただけであった。

う~ん、北海道のマニアはクールだな!!


…ということで、なんだかあっけなく終わってしまった
3000形という車両、なんとも個性的で、独特の雰囲気を醸し出すステキな電車であった。南北線からは完全に消えてしまったが、自分はいつまでもこの車両のファンである。

完。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

札幌市のレトロなメトロ 南北線2000形

2016-07-13 23:14:59 | 好きです札幌
~交通資料館展示車両が解放されちゃったよ!!スペシャル~

(写真:2011年撮影 記事:2012年のものに加筆・修正/ホームページ過去記事を復刻しました。)

 「レトロなメトロ」企画、第3弾は、記念すべき札幌市初の量産型地下鉄車両である2000形である。1972年の地下鉄南北線開業に合わせて開発された車両だ。日本初の本格的なゴムタイヤの電車という事で、登場した頃は独特のメカニズム・静かな乗り心地が話題となった。
 南北線の開業以来、主力車両として長らく活躍していたが、新型車両へと交代が進み、1999年に引退する。ということで、私が幼稚園児の頃はまだバリバリ現役で、乗車する機会も結構あった(いまだにモーター音を覚えているほど)。この当時、南北線には2000、3000、そしてまだ新車のかほり漂う5000形と3種類の電車が在籍しており、乗り物大好き少年だった私には天国のような路線であった。
 現在、この世に残っている2000形車両は、南区の交通資料館に展示されている第1号車のみである(※実際は、この車両は「1000形」と呼ばれている試作車であるが、量産2000形とほぼ変わらないので大目に見てほしい)。貴重な車両なので、同施設のほかの展示車両とは違って車内に入る事が出来ない。僕を含む多くの札幌市営地下鉄ファンにとって、この展示車両の中に入って2000形ともう一度触れ合うというのが長年の夢であった(たぶん)。
 そんな夢がついに叶えられる時が来た。同施設で年に一度開催される「交通資料館まつり」にて、数年前から内部を解放するという太っ腹な企画が加わったのだ。開催当初から行きたい気持ちは山々だったのだが、私用や学校祭の準備などでなかなか行くことができず2年が経ち…。2011年にようやく行くことができたのである。それじゃ、その時のレポートをどうぞ。


午前10時半ころ、交通資料館に到着。大好きな「廃車部品販売チャリティバザー」コーナーの見物もそこそこに、早速車両の展示ゾーンへ向かう。


車内に入る前に、改めて外観を観察。
どことなく日本離れした雰囲気漂う外観は、現在のガッシリした車両と比べるとずいぶん華奢な印象である(笑)。よくこれで激動時代の札幌の朝ラッシュに耐えたものだ。
そしてやけにタイヤの数が多い。日本では前例のない「ゴムタイヤ走行の地下鉄」だっただけに、そんなに強度が心配だったのか。


開いてある乗務員室の扉(かなり狭い)より、いよいよ内部へ侵入。まずは運転席部分を見物。時代を感じるアナログな計器部分は見ごたえがある。
…それにしてもやけに狭いな!運転席部分のすぐ横に貫通扉(乗客が隣の車両へ移動する通路)が設けられているため、その大きさは公衆電話並みである。当時の日本人ってこんなに小さかったのか?

そしていよいよ客室(←この呼び方でいいのか?)へと入る。


ムホー!すんばらしい!!
うっすらと残っていた記憶が蘇る。


このやけに黒っぽい木目の壁は初期型車両の特徴である。中期型、後期型になるにつれて薄い茶色に変更された。また、東西線6000形の壁とお揃いのレア仕様もあったようである。
私が幼稚園児の頃は中期型、後期型がほとんどであったが、一度だけ初期型に乗ったのを覚えている。その時に記憶に残っているのがココから見た光景で、子供ながら「あれ~、こんなに焦げ茶色だったかな~」などと考えたりした(気持ち悪い子供だ)。
…恐らくあれは初期型の最後の生き残りだったのだろう。


札幌の地下鉄車両は六角形の貫通路が伝統となっているが、意外にも初代は可愛らしい円形であった。いつの間にか見なくなった優先席のマークが懐かしい。
…ところで、何か気付くことがないだろうか。やけに窓がデカイのである。ドアなんて4分の3がガラスである(上の写真参照)。さすがにデカすぎたのか中期型、後期型では若干小さく変更された。
こんなに大きく設計された理由は不明である。


時間が止まった車内には、当時の貴重な広告も。最も注目すべきなのが窓に貼ってある路線図で、南北線「南平岸」の部分が「霊園前」になっていたり、東西線の終点が「宮の沢」ではなく「琴似」、そしてなんといっても東豊線が存在しないなど、見どころ多数。


2011年は偶然にも「札幌市営地下鉄開業40周年」という事で、車内では記念の写真展をやっていた。マニアには感動ものの写真が多数。この「苫小牧港に搬入される2000形」なんて恐ろしく貴重だ。


個人的に好きなのは右の1枚。薄緑の巨大な箱が宙に浮いている様子はなんともワクワクするではないか。
それにしても、トラックがとんでもなく古い。飾りっ気のないデザインはいかにも70年代初頭だ。


ということで、感動の「12年ぶりに2000形と触れ合おう!」レポートは終了。今まで記憶の中のみであった2000形車内の実物が見られて本当に良かった。なお、車内に居ると、他の見物客が歩くにつれてやけにボヨンボヨン揺れるのが印象的だった。これはゴムタイヤの地下鉄ならではのご愛敬だ。

こちらの車内解放は、現在も「交通資料館まつり」で毎年開催されているようなので、興味のある方は行ってみることをオススメします。

完。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

札幌市のレトロなメトロ 東西線6000形

2016-07-10 22:53:32 | 好きです札幌
(写真:2008年撮影 記事:2012年のものに加筆・修正/ホームページ過去記事を復刻しました。)

2008年8月引退。あなたはこの車両を覚えているか??



 かつて地下鉄東西線開業当時(1976年)より、32年のあいだ主力車両として活躍していた6000形車両。写真を見て懐かしさを感じる人、結構いるのではないだろうか。僕が小さい頃、この車両は飽きるほど走っており、東西線に乗る機会があるたびに「新型車両に乗れないかな~」と密かに願っていたものである。しかし、6000形無き現在、こうして写真を見てみると、何とも言い難い魅力を感じるのはなぜだろうか。
 6000形の特徴は、なんといってもそのデザイン。デコボコした顔や、オデコについている北海道の飾り、クリーム色に黄緑色の横線という見たこともないカラーリングなど、シンプルな現在の主力車両(8000形)とは対照的に、独創的なイメージだ。最も優れたデザインの列車に贈られる「ローレル賞」を受賞したこともあるとか。実際にその凝ったデザイン故か、札幌市営地下鉄ファンの間では、現在でも最も人気の高い車両ともいわれる。
 6000形が引退したのは2008年の夏である。運行最終日には、「6000形さよならセレモニー」なるイベントが実施されたのだが、不運にも塾の模試と重なってしまい、参加することが出来なかった。回答用紙を涙でビショビショにしながら問題を解いたのを覚えている(←ウソ)。写真は引退の半年ほど前に撮影したものであり、当時自分はまだ中学生であった。そのため写真の下手さが目立つ。
 我々に強烈な印象を残して消えていった6000形。引退してからしばらく経つが、「地下鉄東西線」と聞いて、今でもこの車両が真っ先に頭に浮かんでくるのは僕だけではないはずである。


車内も独特なデザインで、札幌の観光名所である時計台・大通公園・道庁の絵が壁全体(ドアや天井も含む)にちりばめられていた。観光客にウケそうだ。



白が基調の車内であるため、結構明るいイメージ。使い古された感のある赤い座席がイイ感じ。そういえばホーム柵のない東西線の駅の写真というのも今となっては貴重である。

~買える!!6000形の部品~
札幌市営交通が毎年開催している2つの祭典、「交通資料館まつり」と「市電フェスティバル」。乗り物好きの男の子や家族連れに大人気の行事だが、会場の端っこには、市営交通大好きマニアが行列を作る異彩を放つコーナーがある。バス、市電など廃車になった市営交通車両の部品を販売するチャリティーバザーである。商品はバス部品が大半を占めているが、当然ながら地下鉄車両の部品も販売されており、非常に魅力的な商品も存在する。ここでは、会場で売られていた地下鉄6000形のステキな部品(ごく一部)を紹介したい。(撮影許可取得済み)

・商品No.01 北海道マーク

御覧の通り、6000形のオデコに付いていた北海道マークである(かなりデカイ)。6000形部品の中でもかなりの人気商品で、すぐに売れてしまうので、入手難易度はMaxである。これは僕もかなり欲しいのだが、8000円という高価格に加わり、デカすぎて持ち帰れないので、いまだに購入していない。
ちなみにこの商品、市内の某鉄道部品ショップで15万円(!!)で売られていたのには驚いた。

・商品No.02 時計台イラスト部分

これは個人的にかなりツボだった商品。6000形のカベの一部である。2008年交通資料館まつりでおばさんが購入しているのを見て猛烈に欲しくなったのだが、その時には既に売り切れ。そこで、約1カ月後の市電フェスティバルにてリベンジ、無事購入することができた(嬉)。そこそこの大きさがある割には値段が500円と、お得感がある。部屋に飾ればいい感じのオブジェとなる。

・商品No.03 車体番号プレート

6000形車内に貼られていた車体番号のプレート(アクリル製)である。こちらも市電フェスティバルにて300円で購入。4ケタの数字は、「6」が6000形を意味し、、「3」が3両目、「07」は7番目に作られた編成、という事をあらわしている。
ちなみに調べてみたところ、6307号車は1976年製造、2006年に廃車になったとのこと。合掌。

・商品No.04 ライト枠

こちらは2011年交通資料館まつりで初めて見た商品。一見するとどこの部品かわからないし、3000円もするので、「こんなの買う人いるのか~?」と思ったが、数分後に見てみると「売約済み」となっていた。

この他にも、運転台部分やドア開閉スイッチ、前面に付いている札幌市マーク、何処の物かよく分からない計器部分など、色々と売られていたのだが、ごく一部の紹介に留めておく。
なお、6000形部品が大量に売られていたピークは、同車両が次々と廃車された2008年頃で、最近は減少傾向にあるのが残念だ(おそらく殆ど放出してしまったのだろう)。近年では入手しづらくなっている物がほとんどである事をご承知いただきたい。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする