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ホルマリンのマンネリ感

北海道在住、ホルマリンです。旅行、怪しい珍スポット訪問、廃墟潜入、道内ミステリー情報、昭和レトロなどなど…。

兵庫、岡山、広島珍スポットラリー その10

2019-05-23 02:40:16 | 旅行(道外)2018~2019
2日目 正午。

姫路から列車に揺られること2時間ちょい。岡山県の津山駅にようやく到着しました。
この駅もICカード非対応のため、改札で駅員さんに精算してもらい駅前広場へ。

津山城の城下町として、古い街並みも多く残るという津山市。
こぢんまりとした山奥の小さな町を勝手にイメージしていましたが、駅前は意外と開けており活気がある印象です。

さっそく街中へ。



周囲を山に囲まれた津山市は、吉井川を通じて瀬戸内、大阪、江戸と交易を行っており、このような高瀬舟が重要な役割を持っていたといいます。
そして吉井川が津山市内で湾曲する縁には河童伝説があり、川へ入った人を深みへ引きずり込むと言い伝えられていました。この辺りでは「ごんご」と呼ばれていたようですね。
故に、商店街には「ごんご」のオブジェがあちこちに。風情がありますね(*^_^*)。

そして、そんな津山の街中に、目指す建物がひっそりとありました。


・つやま自然のふしぎ館(岡山県津山市山下98-1)

津山城跡の入り口近くにあるこちらの施設、1963(昭和38)年に御用商人「錦屋」の末裔である森山慶三という人物が、私財を投じて開設したという自然史博物館です。
木造の旧・高等学校校舎を改築した複雑な館内には、慶三氏が世界各国から集めた動物の剥製を中心として、昆虫、貝類、化石、鉱石類などが所狭しと展示されているそう。ワシントン条約で規制される以前に収集されたものなので、ここでしか見られない希少な動物もいるとか。
入り口前の巨大看板には「世界の珍獣!迫力の22000点!」と誇らしげに掲げられており期待が高まります(*^_^*)。

実はここ、私が憧れる全国の珍スポットの中でもトップレベルで来てみたい場所でした(笑)。
入館料700円を払い、さっそく中へと入ります!


数多くの剥製がいる博物館という事で、入った途端からこんな感じです(*^_^*)。
そして剥製では中々見られないであろうセントバーナードが出迎えてくれるのですが、なんと太っ腹なことにおさわり自由!そして館内は自由に撮影OK。

この先、剥製やホルマリン標本の関係で臭いが独特なのか、入り口では苦手な人用へマスクが置かれていました(^_^;)。

まずは「化石の世界」コーナー。



いきなりガラスケースに約12000点もの化石がズラリと並び圧倒されます。アンモナイトやサンゴ、シダ類、魚類や貝類など。
そして時代を感じる説明版と、太古の時代をイメージした迫力ある絵が味わい深い。

向かいには「世界の貴重野生動物」

館内が誇る特に珍しい動物たちを選りすぐって展示しているようです。
クロヒョウ、ユキヒョウ、ガウル、プロングホーン等々、こちらも迫力ある太古の書き割りをバックに並びます。

ローランドゴリラ

レッドデータブックでは絶滅危惧種(EN)に分類。
ゴリラの剥製なんて初めて見ました(^_^;)。


(左):マレーバク。こちらもレッドデータブックでは絶滅危惧種。さすがワシントン条約以前に収集されたコレクションだ。
(右):キンシコウ。孫悟空のモデルと言われています。こちらは絶滅危惧種よりさらにランクの高い危急種(VU)。故に剥製としても数えるほどしか見られないのだそう。更にここではオス、メスつがいで見ることができ、世界的に見ても極めて希少な逸品なのだそうです。

キリンの剥製に思わず声が出る。

体高5メートル、あまりの高さゆえに座らされています(^_^;)。
動物園では何回も見た事ありますが、こういった全身の剥製を見られる機会はそうそうありませんよね。
ガラス越しではありますが、かなり近くで見ることが出来て迫力満点でした。

第2室「人体の神秘」コーナー

化石、希少動物を経て、いきなり人体コーナーなんですね~。
身構えていなかったのでちょっとビックリ(笑)。




こちらも少し時代を感じる、ひとむかし前の人体生理模型が並びます。昔の学校の理科室を思い出しますね~。説明書きも手書きで素敵。

そして…なんと至るところに本物の頭蓋骨が。



2対並ぶ骨格標本も…左には「実物標本(成人男性)」の文字が。片方はホンモノでした(^_^;)。

そして、本物があるのは骨格標本だけではございません。
ここが、そこらの博物館とは一線を画している、つやま自然のふしぎ館の特筆すべき点であります。



人体臓器のホルマリン漬け標本。
しかもこれ、創設者の森本慶三氏の臓器そのもの!!


森本慶三氏の本館展示物にかける情熱は並々ならぬものであったようで、なんと「法の許す範囲に於て内臓諸器官を生理学標本として寄贈したし」という遺言を残す(実際の文面も併せて展示)。
そして1965年の死後(博物館開館から2年)、その遺言に従い、岡山県の承認を経て岡山大学医学部解剖学教室にて解剖。展示に至っている訳なのです。
念のため、現在の法律においても全く問題はありません。


現在は「脳」「肺」「肝臓」「心臓」「腎臓」5点が並んでいます。かつては20点ほどの臓器がズラリとあったそうですが、展示台の破損などで数が減ってしまったそう。
なお、残る臓器も年月の経過で少しずつ形が崩れてしまっている模様……。
それでも、慶三氏の死後50年以上が経過している中、ここまで形が残っているのは大したものです。

肺の断面がずいぶんと真っ黒だったのが印象に残りましたが、慶三氏は喫煙家ではなかったのが意外。
日本の空気は当時からそんなに汚れていたということか。


展示室の片隅に、森本慶三氏の写真が飾られていました。
実は、慶三氏は宗教家・内村鑑三の教えを受けた熱心なクリスチャンでありました。
ここ自然のふしぎ館の他にも、キリスト教伝道を目的とした「津山基督教図書館」、そしてこの建物の前身である「津山基督教図書館高等学校」を立ち上げ、町の教育環境の向上に尽力。1959年には津山市から文化功労賞を受け、市の名誉市民となりました。

自然のふしぎ館についても、構想から開館に至るまで実に30年以上の準備期間を要したとも言われており、慶三氏の教育にかける情熱を改めて感じられます。


…人によってはちょっと刺激の強い展示物ではありますが、ここは慶三氏に敬意を表し、目を背けず展示物ひとつひとつに対峙したいところです。
もっとも、過去の様子を見ると、胎児(4~8か月)のホルマリン標本や奇形に関するパネル展示、一つ目のアナグマの標本や分娩時の白黒写真など、さらに衝撃的な展示だったようですが、昨今では中々展示が厳しいのか、現在では裏へ下げられてしまっているみたいですが(もっと早く来たかった!)

次回!摩訶不思議な自然のふしぎ館。
まだまだ続きます!


続く。
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兵庫、岡山、広島珍スポットラリー その9

2019-05-21 00:01:23 | 旅行(道外)2018~2019
4月15日(月)。(2日目!)

おはようございます。
現在、時刻は午前7時15分。昨日の大雨が嘘のようにカラッと晴れてくれました!(^O^)
姫路市が面白すぎて殆ど丸1日居座ってしまったのですが、本日から広島へ向けて少しずつ西へと移動していく予定ですよ~!

…と、その前に。

姫路と言えば姫路城ですよね。
この旅がスタートして以降、未だ健全な観光を全くしていないような気がします(^_^;)笑。
まだ朝が早くて城内は開いていないようですが、せっかくなので少しだけ姫路城を見に行ってみたいと思います!

歩くのが面倒なのでレンタサイクルを利用します。

こちらは「姫ちゃり」でございます。
市内中心部のあちこちに置いてあり、利用料は60分で100円(以降30分ごとに100円追加)。
昨晩、寝る前に姫路の観光ガイドを見ていて存在を知りました。城の周囲をぐるっと周ってベストな撮影場所を探そうと思っていたので、まさに探索手段として最適ではありませんか。

とりあえず、100円で済ますことのできる1時間を目安として出発です♪

大手町通りを数分進むと、すぐにお堀の傍へ到着。

桜が満開ですね~(^O^)!歩行者専用道路は通勤、通学のチャリで賑やか。
このまま彼らに混ざってお堀の周辺をぐるりと一周しようかな~と思っていたのですが……。
おや。お城の正門が開いているではありませんか!


まだ開城時間ではないので、てっきり城の敷地にも入れないものだと思っていたのですが、どうやら城の傍までは行くことが出来るようですね~(^_^)。しかも自転車ごと入れるようです。
という事でいざ潜入~~。


散歩やジョギングをされている方々がチラホラとは居ますが、まだ朝が早いので静かです。
さすが規模の大きな姫路城、お堀の立派さにも目を見張るものがありますね(*^_^*)。

そして三の丸跡の広場をぐるりと回ってゆくと、いよいよ天守閣が目の前に現れました。





・世界文化遺産 姫路城
…1333年に初めて砦が築かれて以降、豊臣秀吉、池田輝政、本田忠正らが城主となり、現在の姿になったのは1618年
別名「白鷺城」と呼ばれるその美しさは日本の城の最高峰とも言われています。
天守閣等の美的感性度や櫓、石垣、お堀等の良好な保存状態が評価され、1993年に奈良の法隆寺とともに日本で最初の世界文化遺産に選定されました。

2015年に「平成の大修理」が行われ、白漆喰総塗籠造りの外壁がより白く蘇りました。
やはり青空の下で見ると、その輝きが一層映えます!

天気の良い今日に来てよかったです(*^_^*)。


城内へは入れないので……周囲をぐるりと一周。

お堀のすぐ脇にあったのは、1905(明治38)年に建てられた姫路市立博物館
かつて陸軍姫路兵器支廠の倉庫として利用され、姫路市役所の庁舎を経て美術館に転用されたそうです。
かなり大きな建物で、年季の入ったレンガ造りの外観もあり存在感は抜群。
残念ながら、こちらもまだ開館前という事で建物内には入れませんでした。


…その代わり、内堀を軽くサイクリング。
あちこちで咲いている満開の桜を楽しみました(*^_^*)。

姫路城と桜、やはりとっても似合います
良い時期に来ることができましたね~。




午前8時半。

1時間ピッタリで自転車を返却し、姫路駅へ戻ってきました。
ここからはひたすらJRの旅です。次なる目的地は、ここから内陸へしばらく入ったところにある岡山県津山市になります。
調べたところ、運行本数が少ない路線なのか、乗車する列車は1時間後…
お土産屋さんを物色したり、構内で朝食を食べたりして時間をつぶしました。

9:46発 JR姫新線播磨新宮行

この旅が始まってようやくJRに乗ることになりますね~(笑)。
そして車内に入ってから気付きましたが、車両が思わぬことに気動車です。
これから山間部へ入って行くのは覚悟していたのですが、まさか電化されていないという事は相当な山奥なのでしょうか…!?

列車は2両編成で、乗客も数えるほどしか乗っていません。
予想外の田舎ローカル路線の旅に少しワクワクしてきました。


発車してしばらくは、町とも田園地帯とも言えぬ風景を各駅停車で進んでいきます。
…そして山奥に向かっている事をより実感するアナウンスが。このあと終点の播磨新宮駅で別の列車に乗り換えるのですが、以降電子マネーが使えないようなのです(^_^;)。

本州の乗り換えは複雑なので、私は旅行ではいつもPASMOを利用して列車に乗っていたのですが……。
う~む、ちょっと不安だ。

10:27 播磨新宮駅で佐用行きへ乗り換え。

…ついに1両編成になってしまいましたね~。さらに少なくなった乗客を乗せ、田園地帯をのんびり進んでいきます。
そして列車は岡山県へ。

11:04 終点・佐用駅で津山行きへ乗り換え。



乗客は私とおばあさんの2人だけでした。ここから更に1時間弱の旅です。
山間の集落を見ていると、ちょうど1年前に寝台特急・サンライズ瀬戸から眺めた風景もこんな感じだったのを思い出しました。暖かい日差しも相まってとても落ち着きます。

やっぱり田舎の列車旅はいいなぁ。


次回!古の城下町、津山へ。
アンダーグラウンドな自然史博物館がそこにはあった!
続く。
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兵庫、岡山、広島珍スポットラリー その8

2019-05-16 22:32:24 | 旅行(道外)2018~2019
1日目 午後2時45分。

立ち入ることのできない2両目には、ご覧のとおりモノレールを利用する家族がマネキンで再現されています。
館内の解説によると昭和40年代をイメージしているそう。
また、車両両端の運転席、車掌室にはそれぞれ運転士さんと車掌さんの人形も置かれ、往時の雰囲気を充分に感じることが出来ます(*^_^*)。


車両側面に付いている模様は姫路市の市章です。
米ロッキード社製という事で、車両は航空機の技術を利用しアルミ合金が用いられました。
軽量化、強度を両立させた当時最新鋭の設計であったといいます。

ホーム上にあるモノレールの各種展示。





全国のモノレールの解説や当時の計器類の実物、また現役時の写真などを見ることができます。
そして実際の車両の部品もズラリ。こちらは解体されてしまった100系車両のものになります。


そして。モノレールのほかに、1966(昭和41)年に開催された
姫路大博覧会の展示もありました。




実は、姫路モノレールが建設されたのは、こちらの姫路大博覧会がきっかけ。
姫路駅から手柄山を結ぶ交通手段かつ会場の目玉として、市の期待を背負って開業した路線だったのです。

構想を練ったのは、石見利勝 前・姫路市長の父、石見元秀氏。
当時の姫路市は人口が増え続け住宅が密集、また地上を走る鉄道での踏切事故が問題となっていたため、「用地が少なく立体交差が可能なモノレールを」という考えであったようです。

当時の構想は壮大なもので、なんと行く行くは鳥取まで延伸する計画まであったようです(^_^;)。



…しかし、博覧会が終了してからというもの、モノレールの利用者は激減
距離が1.63キロ程度であったという事、また運賃が100円と高額であった事などが災いしたのでしょう(当時の市バス運賃は10円)
15分に1回ほどという運行ダイヤもあって「歩いたほうが早いんじゃない??」と、市民はどんどん離れて行ってしまいました…。

後にモノレール反対派の新市長の誕生、またロッキード社の撤退なども追い打ちとなり、開業8年目で運行休止。
利用者を増やすてこ入れとして、一時期は姫路城まで延伸するという案も上がっていましたが、その構想もむなしく1979(昭和54)にとうとう廃止となってしまいました。


姫路大博覧会以後、いつの間にか「姫路の恥」として黒歴史扱いされてしまっていた姫路モノレール。
しかし、悲劇の路線に対する市民の関心は意外と高く、長らく放置されていた駅や車両たちが観光資源として再評価。
小奇麗な展示館に生まれ変わったこの場所には家族連れが絶え間なく訪れ、かつての車両は子どもたちの格好の遊び場に(週末なので大変にぎやかでした)。

廃止から数十年を経て、姫路モノレールは再び光が当たることとなったのです。
石見利勝 前・市長も、父の名誉挽回といった感じで大変うれしく思っている事でしょう(*^_^*)。


午後3時。

モノレール展示館の見学後、姫路大博覧会の会場となった手柄山中央公園を散策してみます。


なかなか大きな公園で、市民プールや体育館などが集中する市民の文化拠点になっています。
そして、博覧会当時に作られた施設も残っているという事で、モノレール展示館とともに楽しみにしていた場所なのです(*^_^*)。

手柄山温室植物園(左)と、太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔(右)

なかなか立派な規模のタマネギ型ドーム。レストハウスに姫路モノレールのオリジナルグッズがあるという事で来てみましたが、残念ながら目ぼしいものは売り切れてしまったようでした(T_T)。
そして太平洋戦争の空爆犠牲者を供養する慰霊塔。先ほど見た姫路大博覧会のジオラマにもちゃんとありました。
剣を地面に刺したさまをイメージしており「もう戦争はしません」という意味が込められているのだそうです。

手柄山回転展望台

こちらも先ほどのジオラマにちゃんとありました。
博覧会のシンボルタワーとして1966(昭和41)年に建設されたもので、一度見たら忘れられないような特徴的なデザインをしています。
その名前の通り、てっぺんの展望台には床ごと回転する喫茶店があったそうです(14分で1周)。
昭和の雰囲気そのままの大変レトロな施設だったようですが、残念ながら去年の3月に老朽化で閉鎖されてしまい、現在は中へは入れませんでした……。

スリラー塔とロックガーデン



これぞ姫路大博覧会の雰囲気を最も感じられる建物。お城風の変わった形の建物がそびえ、とても不思議な風景です。
それにしても、どうしてこんなホラーな名前にしたんでしょうね……(^_^;)。

小さな内部は意外と入り組んでおり、らせん階段で上部に上ることも可能。何も無いですが、一応展望フロアになっていました。

最上階から姫路市街を眺める。


大雨に霞む姫路城…。

姫路城がこれほど高い建物だとは知りませんでした。
そしてそのだいぶ手前、看板が付いた三角屋根の倉庫の向こうにモノレールの軌道跡もちゃんと見えますよ(*^_^*)。

ここからは新幹線が行き交う高架も眺めることができ、しばらく一人で展望を楽しみました。


午後5時。

相変わらずの強い雨の中、再び歩いて姫路駅前に戻ってきました。
体じゅうビチョビチョで歩くのもそろそろダルい。
モノレールがあればな…」と本気で思いました(笑)。

宿ですが、駅前に安いのに超キレイなカプセルホテルを見つけたので迷わずそこにしました。
しかもチェックイン時「ネットから手続きだと1000円安くなりますよ~」ってどんだけ良い場所なんだ…(T_T)。
全国のカプセルホテルもこれぐらい素晴らしくあってほしいものですな。

濡れた衣類を干してシャワーを浴び、すぐ隣のアーケード街で夕食を食べて早々に眠りに就きました。

1日目、完。


次回!2日目!
チャリで朝の姫路城&ローカル列車で岡山の山中へ!

続く。
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兵庫、岡山、広島珍スポットラリー その7

2019-05-11 01:31:19 | 旅行(道外)2018~2019
1日目 午後2時半

手柄山中央公園内にある「手柄山交流ステーション」に着きました。
水族館が併設しているため、どうやら地元民にとっては定番のデートスポットらしい。日曜日という事もあって、周りはカップルばかりです(^_^;)。
みんな水族館に入っていくなか、私はひとりモノレール歴史館へ……。


水族館は入場料がかかりますが、嬉しいことにモノレールの方は無料
前回お伝えした通り、終点駅であった手柄山駅を改装して作られており、なんとモノレールの入出場用だった穴がそのまま建物の出入り口になっています(*^_^*)。

そして…、嬉しいことに当時の車両が展示保存されているんですね。

姫路モノレール 200形車両


開業時のものを再現したであろう「祝・開通」のヘッドマークが誇らしげです。
1966年製造ですが、意外と古さを感じさせないデザインなのでは。
なんと廃線になってから数十年間、ここ手柄山駅跡にホコリを被って眠っていたのだそうです。
駅もろとも封鎖されて長らく半放置状態だったものが、観光資源として再評価。
2009年に封印が解かれ、展示施設としてめでたく蘇ったという事なのです。

「ロッキード式」に注目

モノレールの構造は大きく「懸垂式」「跨座式」に分けられますが、このモノレールは跨座式の中でも大変珍しい「ロッキード式」を採用しています。
…あの航空機のロッキード社です(^_^;)。

一般的な跨座式はゴムタイヤを採用していますが、ロッキード式は軌道の上に鉄道のようなレールを敷き、鉄の車輪で走行するというもの。
米ロッキード社が考案しましたが、採用事例は日本のみで、しかもここ姫路と小田急向ヶ丘遊園の2か所のみ!!
向ヶ丘遊園のモノレールも既に廃止されているので、ロッキード式で現存している路線はありません。


展示館の外にも、実際のモノレールの台車が展示されていました。
保護カバーがなく、構造が分かりやすいですね(^_^)。
ロッキード式は乗り心地、高速性能に優れる一方、鉄車輪ゆえに騒音が激しい、登坂性能が乏しいなどのデメリットがありました。
またロッキード社もモノレール事業から早々に撤退してしまった事もあり、普及することはありませんでした。

展示車両の向かいには…モノレールに関する各種展示。

細長いスペースに、歴史や当時の背景などのパネルが貼られているのですが……。
実はこの場所、当時の手柄山駅ホームそのものなのです。

なんと…当時の設備が至るところに!!



駅名表や発着時刻表、吊り下げ式の時計、当時の広告などなど……。
なにしろ廃止以降ずっと閉鎖されていた空間だったので、設備も壊されることなくそのまま残っていたわけです。
マニアには嬉しすぎる展示!!(T_T)


こちらは発車・到着を知らせていた信号機
この他、再現された物ですがホーム上のゴミ箱なんてものもありました。




ホーム上の巨大広告。雰囲気重視で再現されたものではなく、これも当時モノだというのだからスゴイ。
ホーム自体は展示用に改装されたとは言え、往時の雰囲気が色濃く残ります。
…なにやら冷凍保存された昭和の空間にそのまま飛び込んでしまったようで、一人でテンション上がりまくりでした(*^_^*)。


さて、保存されている車両は2両あるのですが、うち1台は太っ腹なことに車内に立ち入ることが可能です。
さっそく入ってみましょう!



車内は東京モノレール等の一般的な跨座式とは違い、段差がなくフラット。これもロッキード式のメリットの一つです。
座席は国鉄車両のようなモケット地。約40年間放置されていた割には傷みもなく、小奇麗で状態が良いですね(^_^)。
そして吊り革がないというのと、日よけが上げ下げ式のシェードではなく一般的なカーテンだったのが意外でした。
これは恐らく、姫路モノレールが観光用の乗り物に寄せて作られたためでは?と言われています(詳細は後々)。

時代を感じる運転台

当たり前ですが、アナログな計器が盛りだくさんです。
旅客営業では最高速度が50キロに制限されていましたが、実際には120キロまで出すことが可能だったようです。
なお、姫路モノレールには両端に運転台がある車両「200形」と、片側にのみ運転台がある2両セットの「100形」が存在していたようですが、ここに展示されているのはいずれも200形。100形は全て解体されてしまったようです。

車内では営業当時の映像を上映。

…元気に動くモノレールの映像はかなり貴重。開業当日に手柄山駅に進入する映像などもあり、思わず見入ってしまいました。こんな雰囲気だったんですね~。
そして先ほど見てきた橋脚や軌道跡の在りし日の姿が見られますね。

かわいらしいジオラマも。

これですよ!すでに解体されてしまった中間駅「大将軍」駅。
マンションの4階部分を突き抜けた特異な姿がお分かり頂けるでしょう。
右の写真は、大将軍駅を出てここ手柄山へ向かう中間地点。先ほど見たコンビニ裏に軌道が残っている部分は、ちょうどモノレールの模型があるあたり。



在りし日の路線図はこんな感じです。

ちょっと見づらいですが……。オレンジの線です。

次回!1日目ラストです。
姫路モノレール廃止の理由は?そして夢の跡散策。

続く。
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兵庫、岡山、広島珍スポットラリー その6

2019-05-07 23:38:06 | 旅行(道外)2018~2019
1日目 午後2時

太陽公園の散策を終え、路線バスで姫路駅まで戻ってきました。
だいぶ疲れたし雨も酷くなってきたので、このままホテルを探して避難しようかな~とも思いましたが、明日以降の予定を考えてこのまま探索を続けることにしました。

というのも、次なるお目当ては駅前のすぐそこから始まるのです。

バス乗り場から少し歩くと…すぐに分かりました。

建物の合間から、何やらコンクリートのエントツのようなものがピョッコリ飛び出ています。


裏通りへ入り近づいてみると、何とビルの中から生えていました。そして横に目をやると、同じような煙突が横一列に続いているのが分かります。
不思議な光景ですよね(*^_^*)。

実はこれ、モノレールの廃線跡なのです。
1966(昭和41)年から1979(昭和54)年まで、わずか13年の間ですが姫路市内に存在していた姫路モノレールです。
(※休止期間が5年あったので、実際の運行年数は8年ほど)

運行区間はここ姫路駅前から手柄山までの1.63キロ、駅数はたったの3駅。
既に廃止から40年近くが経つのですが、撤去に莫大な費用が掛かるため、このように未だ至る所に遺構が残っている状況なのです。
故に姫路市民には「幻のモノレール」として認知されているご様子。

路線の詳細は追々説明させて頂くことにして、終点の手柄山駅跡にモノレールの歴史館があるとの事なので、廃線跡探索がてら徒歩で行ってみることにします(*^_^*)。

存在感あるT字型の橋脚



カメラでズームしてみると、車両に電力を送る電線のようなものや、ガイドレールを固定していた跡のようなものまで確認できます。
さすがにモノレールの通る軌道自体は撤去されてしまっていますが、橋脚は建物と合体しているようで撤去は難しいのか、そのまま残されている状況です(^_^;)。
なお、これらの遺構をキレイさっぱり撤去するには20億円ほどかかるそうです(汗)。

橋脚に目が行きがちですが…建物の味も中々のもの。

単純に考えて、モノレールの建設時もしくはそれ以前から建っている建物という事になるので、かれこれ40年以上前のものになりますね(^_^;)。

路線跡がよく分かります……。



↑このように建物から独立して、フェンスや町内掲示板で囲われたものも。
何やら古代遺跡のようで、路上観察学的観点から見ると見ごたえがありますね(笑)。


ここから路線は大きく南へとカーブし、手柄山方面へ向かってゆきます。
そして路地を出たところにある広い駐車場は、中間駅の「大将軍」駅が建っていた場所。
なんとマンションと合体した駅舎で、4階部分にホームがあり、軌道がそのまま建物を貫通しているという特徴的な外観だったようです。
この大将軍駅は開業後わずか2年で廃駅となり、以降路線の廃止までは単なる通過地点となっていたそう。

マンション自体はつい最近(2016年)まで残っており、駅の設備もほぼそのままの状態だったようです(^_^;)。
中にこそ入れませんでしたが、外観から軌道部分や4階のホーム跡を確認することができ、マニアに人気のポイントでした。
2016年の解体前には内部を特別公開する見学会が行われ、全国から応募が殺到したようです(私も行きたかった……)。


ここら辺は近年まで軌道跡も残っていたポイントでしたが、マンションの解体と前後してゴッソリ一掃されてしまった模様。
景観向上計画でツタに覆われた橋脚と、その色あせた説明版のみがポツンと残ります……。

満開の桜と橋脚跡…。

ここから川に沿って、ゆるやかにカーブしながら廃線跡が続きます。
ネットで調べてみると、ここ数年で遺構の撤去が猛スピードで進んでいるようで、画像で見ていたダイナミックな廃線跡とは少し違う風景のような気がします…。

あらぁ~、もっと早く来ていれば良かったなぁ、と思ったその時!


おぉ~!軌道跡キタ!


幹線道路のコンビニのすぐ裏、ほとんど手つかずの遺構が辛うじて残っていました!(*^_^*)
裏道でそれほど危険も無いからでしょうか。
橋脚の根元部分は個人所有の土地になっているのか、家庭菜園?のようなものが展開されていました。


…残念ながら、わずか数十メートルで軌道跡は分断。
すぐ先には新幹線と山陽本線の高架があるので「新幹線建設時に撤去されたか?」と思いましたが、開通時はモノレールはまだ現役。
1972年に、モノレールを跨ぐギリギリの高さで新幹線の高架が造られました。
近年まで、高架と近距離でクロスする軌道跡を見ることが出来たそうですが、現在は撤去されています。


新幹線と山陽本線を超えると、しばらく遺構は消えてしまいますが、少し歩くと駐車場裏に再び!
思わず「おお…」と声が出ます(笑)。
思えば廃線跡探訪なんて何年ぶりでしょうか??楽しいです(*^_^*)


会社の敷地内のようで、これ以上近づく事はできませんが…。
この上をモノレールが走っていた事を想像するとロマンありますね~(*^_^*)。

終点・手柄山駅跡を望む

軌道跡の撮影地点から振り返ると、レンガ造りの手柄山駅跡(真ん中)が見えました。
そして建物下に、ポッカリ空いた黒い穴があるのが分かるでしょうか??
実はあの穴からモノレールが出入りしていたのです!
言うまでもなく、ここからあの穴まで軌道が一直線に伸びていましたが、現在は橋脚含めすべて消滅してしまっている模様。

午後2時半、手柄山駅跡に到着!!

手柄山中央公園内にあるこの建物、現在は「手柄山交流ステーション」として市民に親しまれています。
内部は改修され、水族館や市民ホール、そして目指すモノレールの歴史館となっている訳です。

そしてここが、姫路モノレール廃線跡探訪のハイライトであります。


当時の車両が展示されているのです。

続く。

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