ホルマリンのマンネリ感

札幌出身苫小牧在住、ホルマリンです。怪しいスポット訪問、廃墟潜入、道内ミステリー情報、一人旅、昭和レトロなどなど…。

日本一危険な参拝旅 積丹・西の河原編(後編)

2016-10-11 01:32:59 | ホルマリン漬け北海道 秘境編
コメントへのお返事遅れ&更新停止で申し訳ありません…。
「危険な参拝旅」シリーズ、ようやく完結編です。


8月7日(日) 11:30

険しい海岸沿いを歩き、ようやく岩壁の向こうに現れた「ジュウボウ岬」と「西の河原」。
聖地」という言葉がぴったりの美しい風景の中を進みます。

残念ながら、ここまで道のりを共にしてきたおじいさんは「奥さんを待たせてるから…」ということで戻ってしまうとのこと。
ようやく見えてきた果ての光景を一緒に見たかったのですが、残念です…。

かつてアイヌ語で「神の遊びしところ」を意味する「カムイミンタラ」と呼ばれていたジュウボウ岬周辺。
現在でこそ国道から徒歩で訪れる事ができますが、1996年にトンネルが開通するまでは船でしか訪問することの出来ない秘境中の秘境でした。
トンネル開通後は遊歩道が整備されるも、先ほど見た通り2000年初頭ごろから閉鎖されており、再び訪問が困難な秘境へと戻ってしまいました。


草の中にうっすらと踏み分けられた跡があり、ポツンと佇む小屋へと私をいざなう。
向こう側の海岸から上がってくる風が草原全体に吹きぬけます。
まさに「別天地」と呼ぶにふさわしい空間ですね。

草に埋もれ、積み上げられた石があちこちに置いてあるのに気付きました。
危ない、崩さないよう注意しないと。


緩やかな斜面を登りきると、ようやく小屋の横へと出る事ができました。
チベットの「マニ車」(輪を一周させることでお経を唱えた事になる装置)らしきものが建っています。
大きな札には消えかけの文字で「霊場 賽の河原」と書いてあります(※何故かココの文字だけ「賽」)

目指す「西の河原」はこの場所のようです。






半島の付け根にあたる細長い空間に、大小さまざまな石の塔が数え切れないほど存在していました。
どのぐらい前に積まれたものなのでしょうか。





神威岬を中心とした積丹半島のこの辺りは、古くから航海の難所として恐れられていました。
船乗りの間では「地獄の賽の河原」と呼ばれ、海難事故が多く発生。
家族たちは流れの穏やかなこの入り江で石を積み、遭難者の霊を鎮めると共に、この先の航海の無事を祈ったといいます。
神恵内村の西の河原にはこのような由来があると言い伝えられています。

「航海の難所」という言葉を物語るかのように、かつてこの付近には古びた難破船が横たわっていたようですが、錆びてすっかり朽ち果ててしまっており、現在は小さな鉄の残骸が転がっているだけでした。


小屋の正体は地蔵尊で、内部には300体ものお地蔵様が納められているそうです。6月には例大祭も行われており、地元の方々が漁船に乗ってこの場所を訪れるのだとか。
扉が閉じられていましたが、地蔵尊の前にもお地蔵様らしき石像が。風雪のせいですっかり丸く削られてしまっています…。
先ほどまで一緒に歩いてきたおじいさんは「この先にあるお地蔵様が見たい」とおっしゃっていました。
おじいさん見てるかな。



…それにしてもすごい場所です。
両側を入り江に挟まれたこの場所は風の通りが非常によく、地蔵尊は海風で壊れてしまわぬよう横から支えられています。
過去には別の地蔵尊があったようですが風で倒壊してしまったらしく、現在建っているのは10年ほど前に造られたもののようです。
幸い、この日の風はそれほど強くはなく、ひとり岩に腰掛けて透き通った海風を楽しみました。

私の後から歩いて来ていた若者3人組は、海岸のさらに向こうへと歩いて行ってしまいました。
海岸の奥にキャンプに適したポイントがあるのでしょうか。



来た道を戻る途中、向こう側からワイシャツ姿のサラリーマンが。
地蔵尊、まだ向こうですか?」と不安そうです。

現在でも訪問者はそれなりに多いようですが、石を積みにやってくる人は居るのでしょうか。

危険を冒した者だけが辿り着く、まさに冥界に限りなく近い場所。海岸沿いを苦労して歩いた甲斐がありました。
あの場所に広がっていた光景は一生忘れることは無いと思います。


日本一危険な参拝旅 積丹・西の河原編
完。
コメント (8)
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