(2024年訪問。前編はこちら)
旧国道ルートから既存の散策路へと戻る。
ここからは隆起の頂上部分から下るかたちで、内浦湾方向へと順路が続く。
先ほど展望台部分からも見えていた平屋建て?の廃墟を間近で見ることになるのだが、これは実は洞爺湖温泉の銘菓・わかさいもの元工場である。
珍しいお菓子工場の廃墟という事で、小学校時代に見物した際ひときわインパクトの大きかった噴火災害遺構のひとつである。
隆起した地面に合わせて建物全体が大きく波打っており、加えて年月の経過で崩壊が進み何とも無残である。
なお、ここ一帯は菓子の原料である高級菜豆の畑が広がっていたそうだ。
散策路は再び旧町道と合流するので、電信柱やガードレールなどの遺構が多く現れる。
アスファルト路面に倒れたままのブロック塀が生々しい。
そして、ここでは町道に面していた住宅跡がそのまま残っている。
かなり古いスカイラインのセダンと思しき車はここの主(あるじ)の愛車だったのか。
門構えが立派で、結構な豪邸だったのではないかと推測されるが、地殻変動で無残にも倒壊し、屋根には噴石によるものと思しき穴がいくつも開いている。
家のすぐ隣にあるコンクリートのトンネルのようなものは、何と地中に埋められていた函型管渠(ボックスカルバート)で、7メートルもの隆起で地上に出てきてしまったのだという。
斜面の上から順路を振り返ると、確かにここ一帯の地面のうねりがかなり激しい事が分かる。
これも隆起によるものだろう、急斜面となったひび割れた旧道を下って行くのだが、おそらくここは旧国道。
矢印や50高中など、残る道路標識が立派だ。よく見ると噴石によるものか角がめくれているものもある。
そして程なくして、噴石被害の激しかった旧とうやこ幼稚園の廃墟と、傍に停められた廃バスへと辿り着く。
道南バスカラーの大型バスは、幼稚園の関連行事で使われていたのだろうか。現在はかなり朽ちてしまっている。よく見ると屋根には噴石が直撃した大きな穴が開いており、窓枠は歪んでいる。
火口から600メートルの距離にあった旧とうやこ幼稚園、大小さまざまな噴石が無数に降り注ぎ、園舎の天井や壁は穴だらけになってしまった。
被害直後はまるで無差別爆撃の戦場のような光景だったという。
幸い、噴火前の3月29日に住民らへの避難命令が出されていたため死傷者はいなかった。
壁にいくつも大穴が開いているのが分かる。
グラウンドにある遊具も噴石の直撃で歪んでしまっている。
周囲に転がっている巨大な岩々は恐らく遊具に直撃したものだろう。
少し小高い場所から幼稚園のグラウンドを見下ろす。
至る所に見える岩々はオブジェで配置されたものでは無く、すべて火口から降ってきた噴石群である。
バスの屋根を突き破ったり鉄の棒をひん曲げたりしてしまう大きさと威力なので、もしこの場に人間がいたらひとたまりも無かったろう。何とも恐ろしい。
園の敷地の隅には送迎用のマイクロバスも残っていた。
こちらも噴石の直撃により、紙が破れたような穴が天井に開いてしまっていた。
ボディの側面が内側から不自然に膨れているのも、天井から内貼りに直撃した噴石によるものか。
火山灰も多く降り注いだグラウンドは現在、植物がどのように生えるのかを調査する「植生回復観察エリア」にもなっている。
草刈りをしていないエリアは、十数年前の他者の写真と比べると草木が大きく育っているようだ。
なお、とうやこ幼稚園は少し下った市街地に園舎を移転し、現在も無事に経営を続けている。
【有珠山噴火遺構】金比羅火口編に続く。
旧国道ルートから既存の散策路へと戻る。
ここからは隆起の頂上部分から下るかたちで、内浦湾方向へと順路が続く。
先ほど展望台部分からも見えていた平屋建て?の廃墟を間近で見ることになるのだが、これは実は洞爺湖温泉の銘菓・わかさいもの元工場である。
珍しいお菓子工場の廃墟という事で、小学校時代に見物した際ひときわインパクトの大きかった噴火災害遺構のひとつである。
隆起した地面に合わせて建物全体が大きく波打っており、加えて年月の経過で崩壊が進み何とも無残である。
なお、ここ一帯は菓子の原料である高級菜豆の畑が広がっていたそうだ。
散策路は再び旧町道と合流するので、電信柱やガードレールなどの遺構が多く現れる。
アスファルト路面に倒れたままのブロック塀が生々しい。
そして、ここでは町道に面していた住宅跡がそのまま残っている。
かなり古いスカイラインのセダンと思しき車はここの主(あるじ)の愛車だったのか。
門構えが立派で、結構な豪邸だったのではないかと推測されるが、地殻変動で無残にも倒壊し、屋根には噴石によるものと思しき穴がいくつも開いている。
家のすぐ隣にあるコンクリートのトンネルのようなものは、何と地中に埋められていた函型管渠(ボックスカルバート)で、7メートルもの隆起で地上に出てきてしまったのだという。
斜面の上から順路を振り返ると、確かにここ一帯の地面のうねりがかなり激しい事が分かる。
これも隆起によるものだろう、急斜面となったひび割れた旧道を下って行くのだが、おそらくここは旧国道。
矢印や50高中など、残る道路標識が立派だ。よく見ると噴石によるものか角がめくれているものもある。
そして程なくして、噴石被害の激しかった旧とうやこ幼稚園の廃墟と、傍に停められた廃バスへと辿り着く。
道南バスカラーの大型バスは、幼稚園の関連行事で使われていたのだろうか。現在はかなり朽ちてしまっている。よく見ると屋根には噴石が直撃した大きな穴が開いており、窓枠は歪んでいる。
火口から600メートルの距離にあった旧とうやこ幼稚園、大小さまざまな噴石が無数に降り注ぎ、園舎の天井や壁は穴だらけになってしまった。
被害直後はまるで無差別爆撃の戦場のような光景だったという。
幸い、噴火前の3月29日に住民らへの避難命令が出されていたため死傷者はいなかった。
壁にいくつも大穴が開いているのが分かる。
グラウンドにある遊具も噴石の直撃で歪んでしまっている。
周囲に転がっている巨大な岩々は恐らく遊具に直撃したものだろう。
少し小高い場所から幼稚園のグラウンドを見下ろす。
至る所に見える岩々はオブジェで配置されたものでは無く、すべて火口から降ってきた噴石群である。
バスの屋根を突き破ったり鉄の棒をひん曲げたりしてしまう大きさと威力なので、もしこの場に人間がいたらひとたまりも無かったろう。何とも恐ろしい。
園の敷地の隅には送迎用のマイクロバスも残っていた。
こちらも噴石の直撃により、紙が破れたような穴が天井に開いてしまっていた。
ボディの側面が内側から不自然に膨れているのも、天井から内貼りに直撃した噴石によるものか。
火山灰も多く降り注いだグラウンドは現在、植物がどのように生えるのかを調査する「植生回復観察エリア」にもなっている。
草刈りをしていないエリアは、十数年前の他者の写真と比べると草木が大きく育っているようだ。
なお、とうやこ幼稚園は少し下った市街地に園舎を移転し、現在も無事に経営を続けている。
【有珠山噴火遺構】金比羅火口編に続く。