久しぶりに草加を訪ねた。
県外の人に「草加」といって、「そうか」と即座に答えてもらえるのは、「草加せんべい」の発祥地ということぐらいだろう。
昔は何度も出かけたが、「草加せんべい発祥の地」という記念碑が立っているというので、暇にまかせて自転車で出かけてみた。歳のせいか、甘いものではなく、渋茶に合うせんべいの類が好きになってきているからだ。
記念碑に向かう途中思い出したのは、かの俳聖芭蕉が、奥の細道の長旅で千住を立って、初めての宿が、「そうだ草加宿」だったのだ。「せんべいと芭蕉」、いずれも和風で取り合わせに不足はない。草加市もこの二つの売り込みに力を入れている。
「発祥の地」の碑は、北へ向かう旧日光街道が、綾瀬川のすぐ西方を流れる伝右川を小さな橋で越す手前の「おせん公園」の中に立っている。
ちょっと南側には「おせん茶屋公園」というのもあるからまぎらわしい。「茶屋公園」の方は、お茶屋風の休憩所になっていて、かつて草加町役場などがあった場所だ。
草加駅東口のアコス広場にあるせんべいを焼いている女性像も「おせんさん」だ。この「おせん」さんこそ、草加で初めてせんべいを焼き、名物にした貢献者だと伝えられているからだ。
「発祥の地」の碑は、「草加せんべい発祥の地」と彫りこんだ長円形の花崗岩の後ろに、せんべいを焼く箸に見立てた御影石が立っている。1992年、草加煎餅協同組合と草加地区手焼煎餅協同組合が、市民から募金して建てたとある。
言い伝えによると、江戸時代、日光街道草加松原に茶店を出し、団子を商っていた「おせん」という女性がいた。団子はおいしく人気があった。売れ残ると、川に捨てていた。
ある日、通りかかった武士に「それはもったいない。団子をつぶして、平らにして乾かし、焼いてみたら」と言われ、つくってみたら、大評判になり、草加名物になった、という。
江戸時代とあるだけで、いつのことか分からない。草加市出身の全国紙記者が「草加煎餅」を広めようと昭和時代に創作したのだとされる。素晴らしいPRマンがいたものだ。
水に恵まれた草加は、米どころだった。農家は余った米を保存するため、蒸した米をつぶして丸め、干したもの(「堅餅」と呼ばれた)に塩をまぶして焼き、保存食にしていた。
草加宿ができると、茶屋などで売られるようになった。近くの野田の醤油が普及し始めた幕末からは焼いたせんべいに醤油が塗られるようになったという。こうして草加せんべいの原型ができた。
綾瀬川や中川があり、舟運が発達していたことから、江戸に運ばれ、パリパリとした食感と醤油の香りが人気を呼んだ。
全国に知られるようになったのは、1912(大正元)年、川越、所沢、立川で実施された陸軍特別大演習で、大正天皇に「埼玉の名産品」としてこのせんべいが献上されてからだった。
第二次大戦後、「草加せんべい」の知名度が高まると、草加以外の製品や異なる製法のせんべいにも「草加せんべい」の名を使う業者が横行し始めた。このため市と煎餅業者組合は、ブランドを守るため、「本場の本物」の認定と「地域団体商標」登録を獲得し、差別化を図った。
草加市のホームページによると、「本場の本物」とは、農水省管轄の「食品産業センター」が認定するもので、①関東近県で収穫された良質のうるち米を使って②草加、八潮、川口、越谷、鳩ヶ谷で製造し③焼き方は、「押し瓦」での型焼き、または押し瓦方式を取り入れた堅焼きで④最低10年の経験を持つ職人が製造を管理するーーことが基準になっている。
この基準に達したものには、「本場の本物」マークが表示される。
「押し瓦」とは、炭火で網を通して焙っていると、ふくらんでくる生地を押して、何度もひっくり返し型を整える取っ手つきの小さな瓦で、箸とともに草加せんべいつくりの必須の道具。
手焼き用と機械焼き用がある。製造を管理する職人は、正式には「草加市伝統産業技士」といういかめしい名前を持つ。
「地域団体商標」とは、従来の特許庁管轄の商標登録制度では、地名入りの商標(トレードマーク)は原則として認められなかったが、新しい「地域団体商標制度」で、地域名と商品名の登録が可能となり、「草加せんべい」も登録された。
草加市内には、せんべいの製造所と販売所は70軒以上ある。
煎餅と「餅」の字はあっても、「もち」ではない。もち米ではなく、うるち米(飯米)を使う。考えてみれば、米と醤油だけでつくるのだから、どんなに米や醤油の質を吟味して、どんなに高価な備長炭で焼いてみても、私のような老人には受けても、若い人はどう反応するか。
うるち米100%ではなく、別のもの、例えば、青のり、ニンニク、ザラメ、シソ、味噌、マヨネーズを入れたり、イチゴ、チョコ味も登場している。
他の名物同様、「まるいしあわせ」というPRソングもできており、草加在住の女性マリンバ奏者の「草加せんべい大使」が、ハワイで「せんべいコンサート」も開いた。マスコットの「パリボリくん」も活躍中。松原団地駅に近い「伝統産業展示室」には、直径2.1mのジャンボせんべいの堅焼きも展示してある。
PRに手抜かりはない。21世紀、草加せんべいはどう生き延びていくのだろうか。
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