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北沢楽天 その作品

2011年01月17日 16時32分05秒 | 偉人② 塙保己一 荻野吟子 本多静六・・・ 


楽天には、旧大宮市の「北沢楽天顕彰会」が発行した「楽天漫画集大成」(明治、大正、昭和の3巻)や全集がある。手っ取り早いのは、1991(平成3)年に大宮市が出した「近代漫画の祖『北沢楽天』図録」(KITAZAWA RAKUTEN Founder of the Modern Japanese Cartoon)。大いに引用させていただいた。

大成は、楽天の「東京パック」同様、外国人を意識しているので、中国語こそないものの、英語でもタイトルや解説が載っている。

パラパラとめくっただけで、大変な漫画家だとすぐ分かる。「蒼生(人民)をいかんせん」と題する一枚漫画は、日露戦争で政府が煙草や酒、砂糖、灯油の税を引き上げたのを批判している。

金持ちは芸者を交え、飲めや踊れやの宴会をしている一方で、骸骨姿の政府が、貧しい老夫婦から煙草や酒などを取り上げている図が描かれている。英語の説明では灯油の値段が上がっても、金持ちは、電球を使っているので関係ないと書かれている。

「政界の産物」では、時の政治家を魚介類に例えた。山県有朋は巨大な蛸「山県蛸」として描かれ、「其の性ヌラクラにして補足しがたし。八方に手を広げて子分を取り込み、味方を吸い付ける力最も強し」という厳しい説明付き。

「舌長の外科手術」は、黄禍論を唱えたドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の長い舌を外科医が鋏で切ろうとしている図を描いた。ドイツ大使館は手控えを求めたが、楽天は断った。

「日本の新聞記者」という漫画もある。眼鏡を書けた記者が手で頭を押さえらて、筆を曲げるよう迫られている図で、「会社銀行に不都合があっても書いてはならぬ。外国君主の誤解を招くようなことは一切書くな」と説明されている。

1910、1911(明治43、44)年の幸徳秋水らの大逆事件の頃から政府の言論弾圧が一段厳しくなったこともあり、楽天は明治45年には「東京パック」を降りた。

大正時代には、時事新報の日曜版「時事漫画」を中心に活躍、日本で初めての少女連載漫画などにも手を染めた。楽天を中心に「漫画好楽会」が結成され、朝日新聞の岡本一平と日本の漫画界を二分した。

1927(昭和2年)、有名な「天皇の絵事件」が起きた。第54議会開院式で昭和天皇の勅語奉読の様子を楽天はスケッチした。これが「時事新報」の夕刊一面トップに掲載されると、「皆が頭を下げているのに、天皇を直視し、スケッチするのは不敬だ」と右翼が攻撃したのである。 (写真)

昭和5年8月24日の時事新報の時事漫画は「だんまり号」というタイトル。解説文は一切なし。監視やひそひそ話、投書密告が横行する時代を見事に描き出している。

そんな時代、楽天は昭和7年、時事新報社を退社、一線を退いた。マスコミから離れていた昭和17年には「日本漫画奉公会」が結成され、その会長にまつり上げられたこともあった。昭和19年宮城県田尻町に疎開した後、終戦後の23年、盆栽村に楽天居を構えた。79歳で死亡した。

晩年は、漫画風の水墨画を描きながら、「スピッツを連れ、町内の街頭を消すおじさん」として知られたという。


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