西崎キク 日本女性初の水上機パイロット 上里町 その1
日本で初めて飛行場ができた所沢市の、航空発祥記念館に出入りしているうちに、埼玉県には確か、新聞で「女鳥人」ともてはやされ、全国にその名を知られた女性飛行士で、NHKの連続ドラマ「雲のじゅうたん」のモデルの一人になった人がいることをふと思い出した。
手持ちの資料をかきわけてみると、県の最北端、群馬県と接する上里町の出身で、「日本初の女性飛行士」ではなくて、厳密に言えば、「日本初の水上機操縦士」、日本女性として初めて海外(当時の満州)へ飛んだことで有名な西崎キクである。
キクのことは、上里町のホームページに「郷土の偉人 西崎キク」という読み物としても面白い経歴が載っているので、それを核にして、キクのことを紹介してみたい。(写真も)
キクは、1912(大正元)年、上里町の七本木生まれ。東京の六本木ならぬ七本木は七本の古い大木があったかららしい。
旧姓松本きく子。県の女子師範を卒業、神保原小学校教師へ。1931年、群馬県太田市の尾島飛行場で飛行機を見たことから、自分も飛びたいと東京の第一飛行学校に入校、次いで愛知県の安藤飛行機研究所の練習生になり、33年8月、日本女性初の水上機の免許をとった。
免許を取って2ヵ月後には郷土訪問飛行に挑んだ。
10月15日午前6時10分、「一三式水上機」を駆って、愛知県知多市新舞子にあるこの研究所を出発した。途中、羽田など2か所で給油、午後1時、坂東大橋に雄姿を見せ、数万の群集が見守る中、三度旋回した後、見事に着水した。408kmを7時間で飛んだ。
18日には、上里町のある児玉郡の小学校や母校県女子師範のある浦和、さらに川口、所沢などの市の上空を飛び、20日、羽田の東京水上飛行場に着水、郷土訪問を終えた。
この飛行は、愛知県知事などが応援、地元の後援会では「郷土訪問の歌」までつくられた。
きく子は、「ふるさとの川は野は麗しく ふるさとの山はこよなく美しい 只感激!只感謝! 二等飛行士 松本きく子」という感謝のビラ3万枚を散布した。
水上機は、陸上の飛行場がなくても、離発着できる利点がある。上里町が利根川に面していて、坂東大橋があることもこの飛行の格好の舞台装置になった。
34年には東京・洲崎の亜細亜航空学校に入学、陸上機の免許も取得。今度は10月に満州国建国祝賀のため、羽田と当時の満州の新京まで、海と“国境”を越えた親善飛行を行った。途中、燃料不足で京城(現ソウル)で不時着というアクシデントに見舞われたものの、2440kmを2週間で飛び、日本の女性として、はじめての海外飛行を達成した。
新聞が「女鳥人」などと書きたてたのはこの時である。パリの国際航空連盟からその年度内の世界の最優秀パイロットに贈られるハーマン・トロフィーが贈られた。
トロフィーともに贈られた終身会員証の№は31番で、30番は「翼よあれがパリの灯だ!」で有名な、1927年に初めて大西洋単独無着陸横断飛行に成功したリンドバーグだった。
世界でリンドバーグ級の飛行士として認められたのである。
37年には、旧樺太の中心地だった豊原市(現在のユジノサハリンスク)の市制施行祝賀飛行に出発したものの、愛機が墜落、貨物船に救助される事件もあった。
日中戦争が始まると、患者の後方輸送機の操縦士を軍に志願したものの却下され、飛行士としての人生は終わった。37年、24歳の時である。
女性で日本初の航空機操縦士免許を得たのは、愛媛県出身の兵頭精(ひょうどう・ただし)である。男のような響きの名前ながら、1922(大正11)年、女性で初めての三等飛行機操縦士免状を得た。
ところが、やっかみ混じりのスキャンダルを暴かれ、航空界から突然姿を消してしまった。
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