「しもおさ・かんいち」。こんな名前の作曲家を知っておられるだろうか。名前に心覚えがなくても、小学校の頃習った「たなばたさま」
♪笹の葉さらさら軒端に揺れる お星様きらきら金銀砂子♪
あの「たなばたさま」を創った人ですよと付け加えれば、年配の人なら知らない人は少ないだろう。
「野菊」「かくれんぼ」「ゆうやけこやけ」「ほたる」「花火」「兎のダンス」なども作曲した。
11年の七夕も近い7月のある朝。さいたま市北浦和の「県立美術館」の構内を散歩していたら、やぶの中に、「下総皖一先生を称える碑」が立っているのに初めて気づいた。
その顔も彫ってあり、「たなばた」(この石碑には「さま」はついていない)の楽譜も添えられているので、やっと「あゝあの人だ」と気づいた。
この構内は、「旧制浦和高校」の跡地で、北浦和では私が一番好きな場所だ。
名前も歌も知ってはいたものの、碑を読んでいると、大変な人だと分かってくる。1898(明治31)年、渡良瀬遊水池に近い、埼玉県北の現在は加須市になっている原道村(後に大利根町)に生まれた。
尋常小学校時代は自宅から1里以上の道を往復した。14歳まで加須市で暮らしている。
埼玉師範、東京音楽学校を首席で卒業、各地の師範学校などで教えた後、ドイツに留学、東京芸術大学音楽部教授になり、音楽部学部長も務める。
他にもいろいろ読んでみると、音楽のことはよく分からないものの、「日本の近代音楽の基礎をつくった」とか、「和声学の神様」という賛辞もある。器楽、協奏曲、合唱、校歌、三味線に至るまで作曲した数は、64歳で没するまで2千から3千曲。中でも校歌は、1千曲もあるというから驚いてしまう。
埼玉県なら、県立浦和西、県立蕨、県立川口工高、さいたま市岩槻中、川越市初雁中、久喜市久喜中などもそうらしい。一度も聞いたことがない「京都大学学歌」も今度、京大出の友人に歌わせてみよう。
芸大時代の教え子に團伊玖磨、芥川也寸志らがいる。
今は、加須市に合併された大利根町は、かつて「童謡のふる里 おおとね」と名乗った。氏の銅像も立っている。
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