百体観音堂の後、次は有名な長泉寺の「骨波田の藤」に向かっていると、右手の商店の前に、「日本神社入口」と赤字で書かれた新しい石柱が目に入った。
本庄市のキャラクターにちなんだ予約バス「はにぽん号」の停留所にも「日本神社入口」とある。
その名前には覚えがあったので、山道をたどると、小高い丘の上に鳥居と神社が見えてきた。日本神社という語や、小さいながらピカピカの石柱から連想されるような豪壮な社ではなく、小さく古ぼけた社である。
瓦屋の一階建てで、瓦も古ければ、側面はトタン板で覆われている、長方形の敷地の左手に、これまた古びた神楽殿がある。
社務所は無人で、本殿の前に狛犬がいる。近づいてみると、横板に「日本神社」と右から左に墨書されている。(写真)
その左側に神社のいわれを書いた説明板がある。下の方は字が薄れて、読めない字もある。判読すると、その内容(大要)に驚いた。
この地は、西小平という地の中央にあり、791(延暦10)年、坂上田村麻呂が蝦夷討伐の折り、この地を訪れ、戦勝祈願のため神武天皇を祀った。蝦夷からの帰途、この地を再訪、社殿を建立、当初は『神武神社』と称していた。
しかし、「(武蔵)風土記稿」の小平村の項には当社の名前を見ることはできない。
この地は「神山郷」と言われ、鎮座地として信仰されていたようだとある。
ところが、明治になって東小平の石神神社が村社になったため、西小平にも村社が必要になり、1881(明治14)年、稲荷神社、桜木神社、駒方神社、黒石神社、石神社、山神社の6社を合祀し、「日本神社」と改名した。
以後120年、地元では「合社(ごうしゃ)さま」と言われ、親しまれてきた。
というのである。
県立図書館の郷土資料室にあった「埼玉の神社」や「児玉町史」の「日本神社」の項にも同様な記述があった。
日本には約8万の神社があるとされているが、「神武神社」はいくつかあっても、そのものずばり「日本神社」はここだけで、ほかにはない。
この貴重な名前を、本庄市の知名度アップに使わない手はないと、こだま青年会議所、児玉商工会青年部、地元の秋平小学校と市などは、サッカーワールドカップの日本代表に、「日本神社」で祈願した必勝ダルマの寄贈を始めた。
06年のドイツ大会の男子を皮切りに、10年の南アフリカ大会の男子、11年のドイツ大会の女子に贈呈した。
ドイツ大会で優勝した「なでしこジャパン」は、監督と選手たちが署名したサッカーボールを贈ってきた。
これまでに贈った必勝ダルマとその署名入りボールは市役所1階市民ホールに展示された。このダルマは14年5月12日夕のNHK首都圏ネットワークでちょっぴり紹介された。14年のブラジル大会にも贈った。
市は、代表応援のため「日本サッカーを応援する自治体連盟」に加盟した。市のホームページの1ページ目には、「本庄市はサッカーワールドカップ2014日本代表を応援しています」と書いてある。
青年部と市は、16年と20年の東京オリンピック招致にも、応援の「日本神社」名入りの大ダルマを東京都に贈った。
たどり着いた長泉寺の骨波田の藤は、「日本最大級の藤寺」と宣伝している。有料。藤の咲き具合で入場料が変わる。
「骨波田(こつはた)」とは、すごい名前だ。日本神社でも登場した坂上田村麻呂が、大蛇を退治したことが地名の由来という。大蛇の波打つような骨を田んぼに埋めたとでも言うのだろうか。
県の天然記念物に指定されている樹齢650年と推定されるムラサキナガフジなどがある。東国花の寺・百ケ寺にも選ばれていて、見物客でにぎわう。
塙保己一の生誕地で知られる児玉は面白いところが多い。
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