陸奧の
いはでしのぶは
えぞ知らぬ
かき盡してよ
つぼの
石ぶみ
新古今和歌集巻第十八 雜歌下
前大僧正慈圓書にては思ふ程の事も申し盡しが
たきよし申し遣はして侍りけるかへりごとに
前右大將頼朝
陸奧のいはでしのぶはえぞ知らぬかき盡してよつぼの石ぶみ
よみ:みちのくのいわでしのぶはえぞしらぬかきつくしてよつぼのいしぶみ 隠
意味:蝦夷の地の陸奥の歌枕の岩手や信夫ではないが、言いたいことを我慢しないで手紙(壺の碑)に書き尽くして下さい
備考:歌枕 壺の碑 坂上田村麻呂が青森県天間林村に立てたとされる碑。宮城県多賀城の碑と混同される。
多賀城 去京一千五百里
去蝦夷國界一百廿里
去常陸國界四百十二里
去下野國界二百七十四里
去靺鞨國界三千里
西 此城神龜元年歳次甲子按察使兼鎭守將
軍從四位上勳四等大野朝臣東人之所置
也。天平寶字六年歳次壬寅參議東海東山
節度使從四位上仁部省卿兼按察使鎭守
將軍藤原惠美朝臣朝獦修造也。
天平寶字六年十二月一日