新古今和歌集の部屋

雑歌下 源頼朝 壺の碑


陸奧の
  いはでしのぶは
 えぞ知らぬ
     かき盡してよ
    つぼの
       石ぶみ



新古今和歌集巻第十八 雜歌下
 前大僧正慈圓書にては思ふ程の事も申し盡しが
 たきよし申し遣はして侍りけるかへりごとに
                前右大將頼朝
陸奧のいはでしのぶはえぞ知らぬかき盡してよつぼの石ぶみ

よみ:みちのくのいわでしのぶはえぞしらぬかきつくしてよつぼのいしぶみ 隠

意味:蝦夷の地の陸奥の歌枕の岩手や信夫ではないが、言いたいことを我慢しないで手紙(壺の碑)に書き尽くして下さい

備考:歌枕 壺の碑 坂上田村麻呂が青森県天間林村に立てたとされる碑。宮城県多賀城の碑と混同される。






   多賀城 去京一千五百里
       去蝦夷國界一百廿里
       去常陸國界四百十二里
       去下野國界二百七十四里
       去靺鞨國界三千里
西  此城神龜元年歳次甲子按察使兼鎭守將
   軍從四位上勳四等大野朝臣東人之所置
   也。天平寶字六年歳次壬寅參議東海東山
   節度使從四位上仁部省卿兼按察使鎭守
   將軍藤原惠美朝臣朝獦修造也。
   天平寶字六年十二月一日



コメント一覧

jikan314
@shou1192_2010 ポエット・M様
新年早々ご迷惑をお掛けしました。
自分がボケ( ; ゜Д゜)ているのか?と二重投稿を見て思いました。
今年も頑張って投稿しますので、どうぞよろしくお願いいたします😃
jikan314
@1kamakura 江戸の秋様
今年もどうぞよろしくお願いいたします😃
実朝は、幼い時に父頼朝が亡くなったので、憧れており、頼朝の歌が勅撰集に入撰したと聞いて、直ぐに原稿段階の書写を入手しております。
実朝は、後鳥羽院への忠義と京文化への憧れが、あったと思います。
鎌倉殿の13人で、三善康信が和歌を教えるシーンなど楽しく見ました。
又御來室戴ければ嬉しいです😉
shou1192_2010
自閑さん
今年もよろしくお願い致します。

頼朝、実朝親子ともども和歌は優れた詠み手と感じてきました。
特に実朝のおおらかな詠いぶりに惹かれてきました。

なお、ご伝言頂きました件、了解いたしました。
纏めて頂き助かります、ありがとうございました。
1kamakura
江戸の秋

頼朝さんは武家ながら、歌をよくされますね。
息子の実朝は父親の影響もあって短歌が得意なんでしょうかね。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「新古今和歌集」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事