新古今和歌集 巻第九離別歌
おいたるおやの七月七日つくしへくだりけるにはるかに
はなれぬる事を思て八日あか月をひてふねにのる
所につかはしける 加賀左衛門
有 あまのがはそらにきえにし舩でには我ぞまさりてけさはかな
しき
実方朝臣みちのくへくだり侍りけるに餞す
とてよみ侍ける 中納言隆家
叔
別路はいつもなげきのたえせぬにいとヾかなしき秋のゆふぐれ
隆
返し 實方朝臣
○
とヾま覧ことは心にかなへどもいかにかせまし○○○○○(あきのさそふ)を
隆
七月はかりみまさかへくだるとてみ○この人
東常縁(とうつねより)
応永八年−文明十六年3月(1401年−1484年)。室町時代中期から戦国時代初期の武将、歌人。美濃篠脇城主。東野州(とと称される。生年については、応永12年(1405年)説、同14年(1407年)説もある。
冷泉派の清巌正徹にも和歌を学ぶが、正式に二条派の尭孝の門弟となる。
宗祇に秘伝「古今伝授」を行う。古今伝授は中世歌壇において重要な意味を持ち、後に古今伝授を受けた細川幽斎が、他者に伝授しないまま、明智光秀軍に城を包囲されて、朝廷は勅使を派遣して、和議の要請がなされ開城した。
現存する新古今和歌集の注釈書「東常縁新古今和歌集聞書」を著す。
選者名注記
新古今和歌集の一部の写本には、通具、有家、定家、家隆、雅経の撰者名が歌頭、歌尾に記載しているものがあり、表記も、衛、定家、…、一、二、…などが記載されている。通具を表記しないものも有る。
この断簡は、歌頭に有、叔?、隆の注記が見られ、有家、衛門督通具、家隆が選んだ歌となっている。
この撰者名は、烏丸本、尊経閣本、柳瀬氏蔵本と一致している。
隠岐本合点
後鳥羽院が隠岐に流された後、新古今和歌集のおおよそ400首を削除した。
写本には、隠岐本に採歌した歌に印が有るもの、削除歌に印が有るものが有る。
この3首の内、実方歌は烏丸本の隠岐本削除歌であるが、両者を区別する合点は見られない。
為相本では、3首とも隠岐本掲載歌である。
未入手ではあるが、同断簡のツレ(離別歌)古筆了任極付きによれば、撰者名は尊経閣本、柳瀬氏蔵本と一致し、一条右大臣、大江千里、道命法師歌は隠岐本削除歌ではあるが、その印は見られない。
極を古筆了任が行っており、コレクションの札とは異なった筆跡である事から、切り離した際に札を付けた事が考えられる。
撰者名注記は、定家本系統の諸本にあり、表記方法から、小宮山氏本、吉田氏本、尊経閣本等に近い。
隠岐本歌合点は、小宮山氏本、吉田氏本、柳瀬氏蔵本に見られるが、尊経閣本には無い。
従って、常縁が書写した元本は、尊経閣本(写真二条為親筆)と同一系統と言える。
参考
新古今和歌集 日本古典文学体系
隠岐本新古今和歌集
新古今和歌集全評釈第九巻
尊経閣文庫新古今和歌集
平成27年12月1日 八點貮伍