尾張廼家苞 三
哀傷歌
公守朝臣ははみまかりて後の春法金剛院の花を
見て 後徳大寺左大臣
花みてはいとゞ家路ぞいそがれぬ待らんとおもふ人しなければ
(一首の意は、いつの年も花をみては家路を忘るれども、妻のまつべしとおもふ故
いそぎかへる事なりしに、その人身うせて、今は宿にまつ人のなきゆゑに、花を
見ては、いよ/\家路を忘ると也。妻の存生の時すら、花をみては家をわすれ
しに、妻をうしなひては、待べき人もなき故、いとゞ家路をおもはぬと也。
(公守朝臣母とは、大納言実國の女
後徳大寺左府の北方なり。)
定家朝臣母のおもひに侍ける春のくれにつかはしける
摂政
春霞かすみしそらの名残さへけふを限のわかれなりけり
上句は、立のぼりし烟の(此注はむずかし。
たゞ煙といふ事也。)なごりなりし霞さへ
也。別は、うせにし人の別のうへに、又餘波とみし霞さへ也。
けふは別なりといひて、春のわかれをかねたり。(霞は春の
景物にして、
夏はかすまぬ物としてよみ玉へる御歌なれば、霞に別るといふは、すな
はち春にわかるゝにて、わかるゝ物一ツなり。霞にもわかれ、春にも別ると、相並
たる意にはあらず。一首の意は、なき人の、野べのけぶりの名残が、大空に春が
すみになりてかすみしが、霞は春ばかりの物なれば、其霞にさへわかると也。)
公時卿の母みまかりて歎侍ける比大納言實国
卿の許ニ申つかはしける 後徳大寺左大臣
かなしさは秋のさがのゝ蟋蟀猶ふるさとにねをや啼らん
詞書、公時卿は実國卿息にて其母は中納言家成卿の
息女実國卿の北方也。なほは此哥にてはいよ/\ことにと
いふこゝろ也。(こゝろはそれよりも
ましてといふ意 )ふるさとゝは、身まかりし人の
なき跡をいふ。(ふる里とは、なき人の住し
宿、則実国卿の里㐧也。 )一首の意は悲しき
ことは秋のならひなるが、そこにはいよ/\殊に蟋蟀のご
とくねをやなきたまふらんと也。(一首の意は、かなしさを秋の
ならひに、嵯峨野にては、
蟋蟀がねをなくが、それよりもまさりて、なき人
こふる故郷にて、君がねになき給ふならんと也。)さが野といへるは、秋
のさがといひかけ、又蟋蟀をいはん料のみか。(此分にても
よき哥也。)
はた実國卿さが野に別庄などありて此時こもりゐら
れけるがしらず。(さが野といひ故郷といへる語勢さる事ならんも
しりがたし。さらばいよ/\よき哥なり。 )
母の身まかりけるをさがのほとりにをさめ侍ける
夜よみける 俊成卿女
今はさはうき世のさがの野べをこそ露きえ果し跡としのばめ
初句さばゝさらば也。二三の句は、うき世のならひとて、なき
がらをもとゞめず送りてをさめし野べといふ意を、
嵯峨野へいひかけたる也。(かくの
如し。)きえはてしといふは、たゞ
消しといふとは殊あんり、こゝにては、母の身まかられし
が消たるにて、そのなきがらをだにとゞめずおさめたるが