畠山重忠公遺烈碑
横浜市旭区万騎が原
明治25年(1892)、有志57人により建立されました。その昔は、「牧が原」と言われていましたが、北条勢数万騎がこの辺りに陣を構えたことから「万騎が原」になったと伝えられています。
首洗い井戸(旭区役所駐車場)
首塚の側には、首を洗い清めたと言われる『首洗い井戸』がありましたが、現在はなくなっています。河原に、直径1メートル程の穴があり、水が湧いていたと言います。
首塚(横浜市旭区役所裏)
重忠の首が、祭られた所と言われています。区役所裏側のやや小さな高い場所にあり、『首塚』と書かれた標柱が目印です。現在は、西向きですが、以前は南を向いていたそうです。
畠山重忠公碑(横浜市旭区鶴ケ峰本町1丁目1)
畠山重忠没後750年を記念し、昭和30年6月、鶴ケ峰と埼玉県深谷市畠山(旧川本町)の有志により建立されました。碑は、水道道が厚木街道を横断する交差点の、見晴らしのよい場所に建っています。
さかさ矢竹
重忠は、戦死する前に「我が心正かればこの矢にて枝葉を生じ繁茂せよ」といって、2本の矢箆を地面に突き刺した。その矢が根付き、毎年2本ずつ増えていったといわれています。
現在では、この矢竹を見ることはできなくなったが、平成17年に重忠没後800年を記念して畠山重忠公碑の前に植えられたそうです。
薬王寺六つ塚
畠山重忠をはじめ、一族郎党134騎を埋めたと伝えられている6つの塚があります。霊堂である薬王寺には重忠の霊が祭られており、毎年、命日の6月22日には慰霊祭が催されます。
畠山重忠公の足跡
二俣川・鶴ヶ峰古戦場