一 守覚法親王家五十首哥合に 藤原定家朝臣
○一 大空は梅の匂ひに霞つゝくもりもはてぬ春の夜の月
本哥
照もせず曇もはてぬ春のよのおぼろ月よにしくもの
ぞなき
くもりもはてぬといふ詞ひとつをとりて本哥
心をきこえさせたる哥なり。まことの霞
ならばくもりもはて侍るべけれども、梅の匂ひに
かすみたる月なれば、かすみたる景氣本哥の
ごとく似るものなしといへるにや。これまで古抄。
増抄云。この本哥のとりやう、餘人の及ばぬこと
なるとなり。本哥はおぼろ月よのおもしろきに
まさるものなしといへるを、これに一重あげて、
梅の匂ひをそへたり。朧月さへもしくもの
なきに梅のにほひがそひてかすみたるはたぐひ
なかるべき事也。本哥を土代として、今一重
つのりたる作なり。定家卿の御哥にはかゝる
取やう多し。これを案ずる、業平朝臣
秋のよの千よを一よになずらへて八千よしねばやあく
ときのあらん。とよめるは、万葉にこの夜らのはや
く明ればすべをなみ秋の百夜をねがひ
するかも。とあるを本哥とし給ふとなり。秋
の百夜をひとつにねがひたるを土代として
秋のよの千夜を一夜にしたきとよめる作も
一重つのりたる義也。業平のこの格をおも
ひて定家卿はよめるとの説あり面白し。
頭注
白楽天嘉陵の
春夜の詩不明
不暗朦々月と
いふをよめるとなり。
※守覚法親王家五十首哥合に→守覚法親王家五十首哥に
※照もせず曇もはてぬ春のよの~
新古今和歌集巻第一 春歌上
文集嘉陵春夜詩不明不暗朧々月と
いへることをよみ侍りける 大江千里
照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき
白氏文集巻十四 嘉陵夜有懐 其二 白居易
不明不闇朦朧月 明るからず、闇らからず、朦朧の月。
非暖非寒慢慢風 暖からず、寒からず、慢々の風。
独臥空牀好天気 独り空牀に臥せば、好天気。
平生閒事到心中 平生の閒事、心中に到る。
※秋のよの千よを一よになずらへて~
伊勢物語 二十二段
秋のよのちよを一よになせりともことばのこりて鳥やなくなん