新古今和歌集の部屋

源氏物語絵 夕霧 土佐光成画コレクション

 

源氏物語 夕霧

「そよや。そも余りにおぼめかしう、いふかひなき御心なり。今は、かたじけなくとも、誰をかはよるべに思ひ聞こえ給はむ。 御山住みも、いと深き峰に、世の中を思し絶えたる雲の中なめれば、聞こえ通ひ給はむこと難し。いとかく心憂き御けしき、聞こえ知らせ給へ。よろづの事、さるべきにこそ。世にあり経じと思すとも、従はぬ世なり。先づは、かゝる御別れの、御心にかなはば、あるべき事かは」など、よろづに多く宣へど、聞こゆべき事もなくて、うち嘆きつゝゐたり。 鹿のいといたく鳴くを、「われ劣らめや」とて、
  里遠み小野の篠原わけて来て我も鹿こそ声も惜しまね
と宣へば
  藤衣露けき秋の山人は鹿の鳴く音に音をぞ添へつる
よからねど、折からに、忍びやかなる声づかひなどを、よろしう聞きなし給へり。




 小野の山荘を訪ねて我劣らめやと宣ひて
              夕霧
里遠み小野の篠原わけて来て我も鹿こそ声も惜しまね
よみ:さととほみをののしのはらわけてきてわれもしかこそこゑもをしまね
 
意味:ここの里は遠いので、小野の篠原をかき分けて来て、鹿と同じ樣に声も惜しまず然と泣いているのですよ。
 
備考:然と鹿の掛詞。
本歌
浅茅生の小野の篠原忍ぶれどあまりてなどか人の恋しき(後撰集 源等)
 
 
 
 かへし
                小少将
藤衣露けき秋の山人は鹿の鳴く音に音をぞ添へつる
よみ:ふぢごろもつゆけきあきのやまびとはしかのなくねにねをぞそへつる
 
意味:喪服を着て涙がちな私どもも鹿の鳴く声に添えて、声を上げて泣いているのですよ
 
備考:
本歌
山里は秋こそことに侘びしけれ鹿の鳴く音に目を覚ましつつ(古今集 忠岑)
 
われ劣らめや
古今集恋歌二
                よみ人しらず
秋なれば山とよむまで鳴く鹿に我劣らめや独り寝る夜は





                     鹿
 
                  大原小野
   夕霧
 
 
(正保三年(1647年) - 宝永七年(1710年))
江戸時代初期から中期にかけて活躍した土佐派の絵師。官位は従五位下・形部権大輔。
土佐派を再興した土佐光起の長男として京都に生まれる。幼名は藤満丸。父から絵の手ほどきを受ける。延宝九年(1681年)に跡を継いで絵所預となり、正六位下・左近将監に叙任される。禁裏への御月扇の調進が三代に渡って途絶していたが、元禄五年(1692年)東山天皇の代に復活し毎月宮中へ扇を献ずるなど、内裏と仙洞御所の絵事御用を務めた。元禄九年(1696年)五月に従五位下、翌月に形部権大輔に叙任された後、息子・土佐光祐(光高)に絵所預を譲り、出家して常山と号したという。弟に、同じく土佐派の土佐光親がいる。
画風は父・光起に似ており、光起の作り上げた土佐派様式を形式的に整理を進めている。『古画備考』では「光起と甲乙なき程」と評された。
 
27.5cm×45cm
 
 
令和5年11月15日 肆點9零參/肆
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