能登守教經は
いかにもして
よしつねを
うたんと
ひやうせん
をうつらひ
けるに
御座ふね
ちかくおしよせ
ければのりつね 能登守教經
ひゃうせんをはせ
むかはしよしつねの
ぐんせんにのり
うつり既に
打たんと
しけるによし經は
数多のふねにのり
うつりのり經も透さず
つぎへ
つづき ◑
おい懸しが がたくしかるに八度●
よし經が おつかけしがついに
早わざ かなわずよし經は
教經 小鳥のごとくとび
に及 こへ/\みかた
◑ のふねへのり
うつる。
是を
△
九郎判官源義經
△
よし經
八そう飛と
云傳ける。
※能登守教經
平教経(たいら の のりつね)は、平安時代末期の平家一門の武将。平教盛の次男。平清盛の甥である。
都落ち後、退勢にある平家の中でひとり気を吐き、水島の戦い、六ヶ度合戦、屋島の戦いで奮戦して源氏を苦しめた。最後は壇ノ浦の戦いの敗戦の中さんざんに戦い、源義経に組みかかろうとするが、八艘飛びで逃げられ、大男2人を締め抱えて海に飛び込んで死んだ。