を、西行の歌よりも、たちまさりたるやうに申され
たるとなり。上人この哥は、澄といふ字読あま
したる哥と難ぜられたりといひつたへたり。
増抄云。降つみしは、冬の雪なり。過去のし
文字なり波にて雪のとけたるをしる作なり。
人丸。龍田川紅葉ゝながる神南のみむろの山に
しぐれふるらし。とあるは紅葉をみて、これはしぐ
れのふりて染たらんとの作とおなじ心也。
なみでみねの雪の澄をしり、落葉でしぐれ
のふるをしるなり。
一 源重之 參議兼忠ノ男。実は従五位下
兼信ノ男。冷泉院ノ時帯刀ノ長。四品貞之親王
孫 十一首入。
一 梅がえに物うき程にちる雪を花ともいはじ春の名だてに
古抄云。物うきほどは、常に云ものうきにてはなし、
世俗にものくさきなど云やうの事也。梅のさかむ
とする枝に、雪のふりければ、うめをいたむるやう
なり。然は雪を賞して、花といはじとなり。雪
を賞すれば、春の名をたつる道り也。春のふら
する雪なれば、かくいふ也。梅に對して愛する
心也。いさゝかむづかしき哥なり。
増抄云。此哥は、いまだ花はさかぬ時に、花の
をそきをよむ也。春はまことの花がさくべき
に、をそければ、雪を花といえhば、それといはず
おそきがしれぬれば、春のゆだんの名がたつなり。
物うきは少ふる雪となり。此哥のあとさき
のならび、花のさかぬ時分也。これにて花の
まださかぬを、まつ心をしるべし。春のことを
あしくいはねども、花をさかするは、春のやく
なれば、そしるに成也。春をいたわりたる心ぞ
と也。
※古抄 幽斎新古今聞書増補