七むかし、をとこ有けり。京に有わびて、あづまにいきけるに、いせおは
りのあはひの、うみづらを行になみのいとしろくたつを見て
後撰 すぎゆく
いとゞしく過行かたの恋しきにうら山しくもかへるなみかな
となんよめりける
八むかし、おとこ有けり。京やすみうかりけん、あづまのかたに行て、
とも
すみ所もとむとて、友とする人、ひとりふたりして行けり。しな
のゝくに、あさまのだけに、けふりのたつをみて
新古今
しなのなるあさまのだけに立けふりおちこち人のみやはとがめぬ
九昔、男有けり。其男、身をようなき物に思ひなして、京にはあら
じ、あづまのかたに、すむべき国もとめにとて行けり。もとより友と
する人、ひとりふたりしていきけり。道しれる人もなくて、まどひいきけり。
三かはの国、八はしといふ所にいたりぬ。そこを八橋といひけるは、水行川のくもで
なれば、橋を八わたせるによりてなん、八橋といひける。其さはのほとりの、木の
かげにおりゐて、かれいひくいけり。其沢に、かきつばたいとおもしろくさき
新古今和歌集第十羇旅歌
東の方に罷りけるに淺間の嶽に立つ煙の立つを見てよめる
在原業平朝臣
信濃なる淺間の嶽に立つけぶりをちこち人の見やはとがめぬ
よみ:しなのなるあさまのたけにたつけむりおちこちひとのみやはとがめぬ 隠
意味:信濃の浅間山の噴煙を近隣の人はなぜ咎めないのだろうか。恋の想いは静かにしているのに、あんなに自分の意思を表に出しているのは浅ましいと。
備考:伊勢物語 八段
く
たり。それを見てある人のいわく、かきつばたといふ五もじを、句のかみにす
へて、たびの心をよめと、いひければよめる
古今 ころも
から衣きつゝなれにしつましあれははる/\きぬるたびをしぞ思ふ
と、よめりければ、みな人かれいゝのうへに、涙をとしてほとひにけり。行/\て、
するがの国にいたりぬ。うつの山にいたりて、わがいらんとする道はいとくらふ、
ほそきにつたかえではしげり、物心ぼそく、すゞろなるめを見る事とお
もふに、すぎやうじやあひたり。かゝるみちへ、いかでかいまするといふをみれば、
見し人成けり。京に其人の御もとにとて、ふみかきてつく
新古今
するかなるうつの山べのうつゝにもゆめにも人にあはぬなりけり
ふしの山をみれば、さ月のつごもりに、雪いとしろうふれり
同 とき
時しらぬ山はふじのねいつとてかかのこまだらにゆきのふるらん
其山は、こゝにたとへば、ひえの山を廿ばかりかさねあげたらん程して、なりは
しほじりのやうになん有ける。なを行々て、むさしの国と、しもふさの国
新古今和歌集巻第十 羇旅歌
駿河の國宇都の山に逢へる人につけて京にふみ遣はしける
在原業平朝臣
駿河なる宇都の山邊のうつつにも夢にも人に逢はぬなりけり
よみ:するがなるうつのやまべのうつつにもゆめにもひとにあわぬなりけり 隠
意味:遠い駿河の宇津の山に来て、現実でも夢でも貴方にお会いするなんて、難しいのは、貴方が薄情になったからでしょうか。
備考:伊勢物語 九段
新古今和歌集巻第十七 雜歌中
五月の晦に富士の山の雪白く降れるを見てよみ侍りける
在原業平朝臣
時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらむ
よみ:ときしらぬやまはふじのねいつとてかかのこまだらにゆきのふるらむ
意味:五月末というのに、季節をわきまえない山である富士の嶺では、鹿の子のまだら模様のようにまだ雪が残っている。
備考:伊勢物語 九段、古今和歌六帖 「降るらむ」を「まだ雪が残っている」と訳した。
との中に、いとおほきなる川有。それをすみだ川といふ。其かわのほとり
に、むれゐて思ひやれば、かぎりなくとをくもきにけるかなと、わびあへ
るに、わたしもり、はやふねにのれ。日もくれぬといふに、のりてわたらん
とするに、みな人物わびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。さる折
しも、しろき鳥の、はしとあしとあかき、しぎの大さなる、水のうへに、あ
そびつゝうをゝくふ。京にはみへぬとりなれば、みな人みしらず。わたしも
りにとひければ、是なんみやこ鳥といふをきゝて
古今
名にしおはゞいざことゝはん都鳥わが思ふ人はありやなしやと
と、よめりければ、ふねこぞりてなきにけり