一 述懐百首哥よみ侍けるにわかな
皇太后宮太夫俊成 俊成卿老後に
堀河院の百首の題にて、百首ながらに
述懐の心をよめる哥のうちなり。俊成卿
は、先祖のやうにもなく、下位にてありしことを
うらみて、こゝろをのべ給へるとみえたり。
一 沢に生ふるわかなならねど徒に年をつむにも袖はぬれ
けり
増抄云。これはさわに生ふるとあれば、せりなど成べし。
沢に生ふるわかなつむには、袖がぬるゝやうに、年を
いたづらにつむにも袖がなみだにてぬるゝと也。
年をつむにもぬれぬ人もある故に、われは
年をつむかひもなく、いたづらにある故に、
袖がぬるゝとことわりたり。いたづらと云詞眼字也。
いたづらとは徒字也。徒ハ空也と字注にありて、むな
しき義なり。ねがひむなしくてと云心欤。
頭注
述懐はおもひを
のぶるこゝろなれば
俊頼はよろこび
をもよめるとなり。
何にてもわが思ふ
ことをのぶる義也。
※眼字【がん‐じ】
〘名〙 漢詩で、句中の眼目となる大切な字。五言の第三、七言の第五の文字。詩眼。字眼。〔和漢三才図会(1712)〕