新古今和歌集の部屋

歌論 無名抄 近代歌躰事




或人問云
この比の人の哥ざま、二面に分かれたり。中比の躰を執する人は今の世の哥をばすゝろごとの樣に思ひて、やゝ達磨宗など云ふ異名をつけて譏り嘲る。又、この比樣を好む人は、中比の躰をば「俗に近し、見所なし」と嫌ふ。やゝ宗論の類にて、事切るべくもあらず。末學のため是非に惑ひぬべし。いかゝ心得べき
と云ふ。

或人答云
是はこの世の哥仙の大きなる爭ひなれば、たやすくいかゝ定めん。但、人の習ひ、月星の行度を悟り、鬼神の心をも推し量る物なれば、おぼつかなくとも心の及ぶ程申し侍らん。又、思はれんに随ひてことはらるべし。大方、此事を人水火のごとく思へるが心も得ず覺え侍る也。すべて哥の樣、代々に異なり。昔は文字の數も定まらず、思ふさまに口に任せていひけり。彼の出雲八重垣の哥よりこそは、五句三十文字に定められにけれ。萬葉の比までは、懇なる心ざしを述ぶるばかりにて、あながちに姿、詞をば選ばざりけるにや、と見えたり。中比古今の時、花實共に備はりて、其さままち/\に分かれたり。後撰には、よろしき哥古今にとり盡されて後幾程も經ざりければ、歌得難くして姿を撰ばず、たゝ心を先とせり。拾遺の比よりぞ其躰ことの外に物近く成りて、理くまなく現れ、姿すなほなるをよろしとす。其後、後拾遺の時、今少しやはらぎて、昔の風を忘れたり。「やゝ其時の古き人などは是を請けざりけるにや、『後拾遺の姿』と名付けて口惜しき事にしける」とぞ、或先達語り侍し。金葉は又わざとおかしからんとして、輕々なる哥多かり。詞花、千載、大略後拾遺の風なるべし。歌の昔より傳來れるやう、かくのごとし。かゝれば、拾遺より後其さま一つにして久しくなりぬる故に、風情やう/\盡き、詞代々に古りて、この道時に随ひて衰へ行く。昔はたゝ花を雲にまがへ、月を氷に似せ、紅葉を錦に思ひ寄する類をおかしき異にせしかど、今はその心いひ盡して、雲の中にさま/\の雲を求め、氷にとりて珍しき心ばかりを添へ、錦に事なるふしを尋ね、かやうに安からずたしなみて思ひ得れば、珍しき風情は難く成り行く。
まれ/\得たれども、昔をへつらへる心どもなれば、いやしくくだけたる樣なり。いはんや詞に至りては、いひ盡してければ、珍しき詞もなく、目留まるふしもなし。異なる秀逸ならぬは、五七五を讀むに七々句は空に推し量らるゝやう也。ここに今の人、哥のさまの世々によみ古されにける事を知りて、更に古風に歸りて幽玄の躰を學ぶ事の出来る也。是によりて、中古の流れを習ふ輩、目を驚かして譏り嘲る。然共、眞には心ざしは一なれば上手と秀哥とはいづ方も背かず。いはゆる清輔、頼政、俊惠、登蓮などがよみ口をば、今の人も捨て難くす。今樣姿の哥の中にも、よく讀みつるをば傍家も譏る事なし。ゑせ哥どもに至りては、又いづれも宜しからず。中比のさしもなき哥を此比の哥に並べて見れば、化粧したる人の中にあさ顏にて交れるに異ならず。
今の世のいともよみ仰ぬ歌は、或はすべて心得られず、或はにくいげ甚し。されば一方に偏執すまじき事にこそ。

問曰
今の世の躰をば新しく出來たるように思へるは僻事にて侍るか。

答云
この難はいはれぬ事なり。たとひ新しく出來たりとても、必ずしもわろからず。もろこしには、限ある文躰だにも世々に改まる也。この國小國にて人の心ばせ愚かなるによりて、もろ/\の事を昔に違へじとするにてこそ侍れ。まして歌は心ざしを述べ、耳を悦ばしめん爲なれば、時の人のもてあそび好まんに過ぎたる事やは侍るべき。いはんや更に今工み出でたる事にあらず。萬葉まではこと遠し。古今の哥どもをよく見分かぬ人の、此難をばし侍るなり。彼の集の中にさま/\の躰あり。然ば、中古の哥の躰も古今より出來たり。又、此幽玄のさまも此集より出でたり。たとひ今の姿をよみ盡して又改世ありとも、ざれごと哥などまでも洩らさず選び載せたれば、猶彼の集を出づべからず。一向に耳遠く思ひて譏りいやしむるは、ひとへに中古の歌のさまに對せられたる也。

問云
この二の躰、いづれかよみやすく、又秀哥をも得つべき。

答云
中古の躰は學びやすくして、然も秀歌は難かるべし。詞古りて風情ばかりを詮とすべき故也。今の躰は習ひ難くて、能心得つればよみ安し。其樣珍しきにより、姿と心とに互りて興有るべき故也。

問云
聞くごとくあらば、何もよきはよし、あしきはわろきなり。學者は又、我も/\と爭ふ。いかゞしてその勝劣をば定むべき。

答云
必ず勝劣を定むべき事かは。只いづ方にもよくよめるをよしと知りてこそ侍らめ。但、寂蓮入道申す事侍りき。
この爭ひ、やすく事切るべきやう有り。其故は、手を習ふにも『劣りの人の文字はまねび安く、我より上りざまの人の手跡は習ひ似する事難し』といへり。然ば『我等がよむやうによめ』といはんに、季經卿、顯昭法師など、幾日案ずるともえこそよまざらめ、われはかの人々のよまんやうには、たゝ筆濡らしていとよく書きてむ。さてこそ事はきらめ
とぞ申されし。人のことは知らず。身にとりては、中比の人々のあまたさし集まりて侍し會に連なりて、人の哥どもを聞きしかば、我も思ひ寄らぬ風情はいと少なかりき。我續けたりつるよりは是はよかりけるなど覺ゆる事こそありしかど、聊も心めぐらぬは有難くなん侍し。しかるを、御所の御會につかうまつりしには、ふつと思ひも寄らぬ事のみ人毎によまれしかば、この道ははや/\期もなく、際もなき事に成りにけりと、恐しくこそ覺え侍しか。されば、いかにも此躰を心得る事は、骨法ある人の、境に入り、峠を越えて後あるべき事也。其すら猶し外せば聞きにくき事多かり。いはんや、風情足らぬ人の、未だ峯まで登り着かずして推し量りまねびたる、さるかたはらいたきこと也。化粧をばすべき事と知りて、あやしの賤の女などが、心に任せて物ども塗り付けたらんやうにぞ覺え侍りし。か樣の類は我とは作りたてず、人のよみ捨てたる詞どもを拾ひて其さまをまねぶりばかりなり。いはゆる「露さびて」「風ふけて」「心の奧」「あはれの底」「月の在明」「風の夕暮」「春の故郷」など、始め珍しくよめる時こそあれ、二度ともなれば念もなきことぐせどもをぞ僅かにまねぶめる。或は又、おぼつかなく心籠りてよまんとするほどに、果には自らもえ心得ず、違はぬ無心所着になりぬ。か樣の列の哥は幽玄の境にあらず、げに達磨宗とも、是を云ふべき。

問云
事の趣はをろ/\心得侍りぬ。其幽玄とか云ふ覽躰に至りてこそ、いかなるべしとも心得難く侍れ。其やうを承はらん。
と云ふ。

答云
すべて哥姿は心得にくき事にこそ。古き口傳髄腦などにも、難き事どもをば手を取りて教ふばかりに尺したれども、姿に至りては確かに見えたる事なし。いはむや幽玄の躰、まづ名を聞くより惑ひぬべし。自らもいと心得ぬ事なれば、定かにいかに申すべし共覺え侍らねど、よく境に入れる人々の申されし趣は、詮はたゝ詞に現れぬ餘情、姿に見えぬ景氣なるべし。心にも理深く詞にも艷極まりぬれば、これらの德は自ら備はるにこそ。たとへば、秋の夕暮れ空の氣色は、色もなく聲もなし。いづくにいかなる故あるべしとも覺えねども、すゝろに涙こぼるゝごとし。是を心なき者はさらにいみじと思はず、たゝ目に見ゆる花、紅葉をぞめで侍る。又、よき女の恨めしき事あれど、言葉には現さず深く忍びたる氣色を「さよ」などほの/\見つけたるは、言葉を盡して恨み、袖を絞りて見せんよりも、心苦しう哀深かるべきがごとし。又、幼き者などは、こま/\といはすより外は、いかでかは氣色を見て知らん。この二の譬へにぞ、風情少なく心淺からん人の悟り難き事をば知りぬべき。又、幼き子のらうたきが、片言してそれとも聞えぬ事いひ出たるは、はかなきにつけてもいとおしく、聞き所あるに似たる事も侍るにや。此等をばいかでかたやすくまねびもし、定かにいひもあらはさん、只自ら心得へき事なり。又霧の絶え間より秋山を眺むれば、見ゆる所はおのかなれど、おくゆかしく、いかばかり紅葉わたりて面白からんと、限なく推し量らるゝ面影は、ほと/\定かに見んにも優れたるべし。すべて心ざし詞に現れて、月を「くまなし」といひ、花を「妙なり」と讃めん事は何かは難からん。いづくかは、歌、たゝものをいふに勝る德とせん。一詞に多くの理を籠め、現さずして深き心ざしを盡す、見ぬ世の事を面影に浮べ、いやしきを借りて優を現し、をろかなるやうにて妙なる理を極むればこそ、心も及ばず詞も足らぬ時、是にて思ひを述べ、僅三十一文字が中に天地を動かす德を具し、鬼神を和む
る術にては侍れ。 


○清輔
藤原清輔(1104~1177年)藤原顕輔の子続詞花集の撰者


○頼政
源頼政(1104~1180年)源三位入道とも称された武将で平治の乱には平清盛につき、後に以仁王を奉じて挙兵するが、宇治で敗死。鵺(ぬえ)退治で有名。

○俊惠
(1113~?)源俊頼の子。東大寺の歌林苑の月次、臨時の歌会を主催。鴨長明は弟子にあたる。

○登蓮
(?~1182?)歌林苑の会衆の一人。中古六歌仙。数奇法師として知られる。

○寂蓮
(1139?~1202年)俗名藤原定長。醍醐寺阿闍利俊海の子叔父の俊成の養子となり、新古今和歌集の撰者となったが、途中没。

○季經卿
藤原李経(1131~1221年)顕輔の子。千五百番歌合の判者の一人。

○顯昭法師
けんしょう1130~1209頃阿闍梨、法橋となる。千五百番歌合の判者の一人。

○風ふけて   巻第四 さむしろや待つ夜の秋の風ふけて月をかたしく宇治の橋姫 
(秋歌上 420 藤原定家朝臣)

○心の奧 
こひわびぬ心のおくのしのぶ山つゆもしぐれもいろにみせじと
(拾遺愚草 文治三年 藤原定家)
花ならでただ柴の戸をさして思ふ心のおくもみ吉野の山
(雑歌中 1616 前大僧正慈円)

○春の故郷 
木のもとは日数ばかりを匂ひにて花も残らぬ春の故郷
(六百番歌合 残春 藤原定家)
明日よりは志賀の花園まれにだに誰かは訪はむ春のふるさと(春歌下 174 藤原良経)

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