六日。此の間家長を以て、百首忩ぎ進むべきの由、仰せ事あり。仍て退出し、構へて進むべきの由、申す。
六日
此間以家長、百首可忩進之由、有仰事。仍退出可構進由申之。
十一日。巳の時、百首を持ちて参ず。右中弁に付けて進入す。宜しきの由、御気色あるの由、弁之を語る。
十一日。巳時持參百首。付右中辨進入、宜之由、有御氣色由、辨語之。
十三日。今日内府并に宰相中将、自余の上北面等多く百首殊に宜しきの由、御気色あるの趣、粗之を示す。日来沈思し、心肝を摧く。今此の事を聞く。心中甚だ涼しく、感涙に及ぶ。生れて斯の時に遇ふ。自愛休み難し。
十三日
今日内府并宰相中將自余上北面等、多百首殊宜之由、有御氣色之趣、粗示之。日來沈思摧心肝、今聞此事、心中甚涼、及感涙、生而遇斯時、自愛難休。
《一条兼良抄出『明月記 歌道事』》
廿三日。三条殿に参ず。今朝別事御座さずと云々。百首早く持ちて参ずべき由、仰せあり。仍て之を給はりて、院に参じ、右中弁に付けて、進入し了んぬ。
廿三日
天晴、申後甚雨。參三条殿。今朝別事不御座云々。百首早可持參之由、有仰。仍給之、參院、付右中辨進入了。午時許退出。在坊門。
千五百番歌合は、当初後鳥羽院第三度百首歌として召されたが、建仁二年九月に、歌合形式に組み直すこととし、判者を選定し、翌三年三月に完成したものと見られる。
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