百首歌奉りし時 式子内親王
今さくらさきぬと見えてうすぐもり春に霞めるよのけしき哉
初句いうならず。今といへるは、心をいれてよみ玉へる詞とは聞ゆれ
ど、さしもあらず。此ことばなくても有べきさまなればなり。或抄
に、今といふにて、いつか/\と待たる心ありといへれど、其意は
えうなき歌なり。二の句は、世のけしきのさやうに見ゆる
なり。四の句は、春のけしきにかすめるをいふ。されど此に
もじ、少しいやしく聞ゆ。又近き世に、秋に見しなど、多く
よむにもじは、殊にいやしき詞なり。心すべし。こは事のつい
でにいふなり。
花のうた 西行
芳野山こぞのしをりの道かへてまだみぬかたの花をたづねむ
よくとゝのへり。
和哥所にて春のうた 寂蓮
かづらぎや高間のさくら咲にけり立田のおくにかゝる白雲
かの西行が√高ねのみ雪とけにけりと同じさま也。高間
のさくら立田のおく、二ツの内一ツは、山といふ事あらまほし。
百首歌奉りし時 定家朝臣
しら雲の春はかさねて立田山をぐらのみねに花にほふらし
めでたし。詞めでたし。本哥、万葉長哥に、√白雲の
立田の山の瀧のうへのをぐらの峯に咲をゝる桜の花は云々と
あるを春はかさねてとゝりなし玉へるめでたし。結句、咲
ぬらしとあるべきを、にほふらしとあるは、詞はいさゝかまさり
たりたりけれど、此哥にては、にほふは似つかはしからず。次なる家衡
朝臣のうたも同じ。
和歌所哥合に羇旅花 雅経
岩根ふみかさなる山を分すてゝ花もいくへの跡のしら雲
いとめでたし。詞めでたし。下句、いひしらずおもし
ろし。伊勢物語に√岩ねふみかさなる山にあらねども云々。