シーカヤッカーは可哀想な側面があります。自分のシーカヤッカーとしての実力やポジションが分かりづらい。というか、多くの人がわかってない。その結果として、自分で思っている自分の実力と、実際に発揮できるパフォーマンスの間に乖離が起こり、それ自体がカヤッキングをつまらなくさせたり、リスクとなり得ます。
なぜそのようなことが起こるのか。僕はサーフカヤックをやるのですが、こちらはそのようなことが起きません。まず競技性があり、1本1本のライディングに点数をつける(10点満点)ことができるので、数字で把握することができます。また動画を撮って、自分のライディングを目で見ることができ、何ができて何ができないかを誰でも把握できます。
シーカヤッキングは、多様な側面、多くの価値観があり、評価がほぼ不能。でも、海というリスクのある現場で活動する以上、自分と海の状態を天秤にかけて、やるやらないの判断をすると思うのですが、評価基準がないので、どうにもならないことが多い(失敗する人が多々)。
評価ができないので、課題を抽出することができない。次のどう繋げるべきかも見えずらい。何ができるようになるべきかも分からない。袋小路です。
シーカヤックの資格があるようですが、これは一つの目安(基準)になるのでは。僕は、イギリスのカヌーユニオンの資格講習を受けたことがあるのですが、それはもう、厳しいものでした。世界的に評価の高い資格制度ですが、反面敷居を上げてしまいシーカヤッカーの入り口を狭めているという問題を抱えていました。
シーカヤッカーの実力とは何か、評価すべき(アセスメント)項目、課題は何か。考えてみると面白いと思います。
お中元でもらったカルピスセットの中に入ってた100%オレンジジュースを飲んでたら「薄めて飲め!」と怒るし1週間ほど前に買った牛乳と昨日買った牛乳を混ぜて4日前の牛乳にしてしまうという裏技を使う母。w SUPA