jogo式Canoe Life

マザーテレサ


 映画の中でマザーテレサに会ってきました。ちょっと涙がホロリと流れ落ちました。僕がマザーに会ったのは1997年の5月。映画の中でもやっていたように、両手を僕の頭に添えてくれて、僕は思わずその手に自分の手を当ててしまいました。とっても冷たくって、かなり体調はよくないなとその時分かりました。その4ヵ月後に心臓病でお亡くなりになってしまいました。でも、多くの人の心の中で生き続け、語り継がれていくのでしょう。僕の中でも、あの時の温もりがずっと残っています。10年前には分からなかったことが、今では少し分かるようになってきました。

映画の中で、マザーが外国政府代表と交渉するシーンが2つ出てきます。それがとても印象に残った。一つはレバノンで猛烈な戦闘が起こっている時、その中の病院に取り残された20人の脳性マヒの子供達を救出するというもの。大人は、逃げてしまっていて、子供だけが置き去りにされています。アメリカ大使館の代表に、救出の車を出してくれるように交渉します。ドンパチの真っ只中で当然無理で、仲間の神父やブラザーにも反対されます。交渉が行き詰った時、アメリカサイドから提案が出ました。「もし、休戦が成立したら、すぐにやります」と。戦闘は熱し、休戦の見通しは全くありません。しかしマザーは「大使ありがとう、明日休戦になります、これから神に祈ります」といったきり、部屋を出て行ってしまいます。

 翌日、どういうわけが翌日、休戦が成立、大きな白旗を掲げた車列を作り、戦闘地域のど真ん中に横切り、病院に向かいます。ビルの高層階に子供だけが残っていました。不安やストレスからか、全身性の痙攣で、弓なり反張を起こしている子供がいました。シスターが、胸に手を当てて、どんなマッサージの教科書にも出ていない無骨なマッサージをすると、痙攣が抑制されて、子供が落ち着いていきます。

 厳しい状況の中でも、その一歩を譲らないで(ここでは、病院に行き、子供を連れ出す)、しかも嫌がる相手から何らかの材料(結果)を引き出す。偶然かもしれない不確定要素(幸運)をも引き寄せ、一気に勝負する。優れたリーダーシップの一端が見えました。
 

keep smile. Mother Teresa 
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