倉富和子の女のひもとき in USA

生活に緊張感を与える為に、ブログを書く事にしました!心導・縄文ストレッチ・DNAメソッドを広めるため、世界中を巡ります。

謎の時計をいただきました。

2007-12-19 08:12:36 |  縄文心導ヒーリング

1165 竹村健一先生を訪ねました。最近は先生にヒーリングを週一回、堀さんをアシスタントにして伺っています。堀さんにとっては、度胸だめしという事もあります。将来性を見込み、出来る限り重要人物に会えるチャンスを与え人間を磨いて欲しいと思うからです。ヒーラーは人間の「間と間」を取り扱う事が出来るようにならなくては、腰の痛みを取り除くと同時に背後にある情況を判断し、適切に処理をするところ迄、出来る人が名人といわれる人です。人の間の勉強は学問ではなく、実践のみで磨かれて行くと思うので、「若いときの苦労は買ってでもしろ」という、、最近思うことは政治家にしても、苦労が足りてない人が多いのでは。この人は凄いという人は若くても、しっかり苦労をしてきた人ですね。東京に住んで良い仕事して行くための勉強を竹村先生に学びます。先生の長女の、真紀さんがいつかおっしゃっていましたが、「父は若い頃、物凄く苦労してきた」と、いつか私が「先生の人脈は凄いですね!」といったら、「そんなのあらへん!」と一言ズバリ!おっしやいました。「倉富さんがここへ連れて来た人を一度ここで、集まったらどうですか。おもしろい人がぎょうさんいたよね」と、先生にご紹介した人達は「なぜか皆さんその後出世しています」といったら「ほう!」といっていられました。先生のオフィスを「竹村神社」と私は言っています。堀さんもいつもエネルギーをもらって帰っているそうです。



今日は先生から不思議な時計をお歳暮に頂きました。堀さんと帰りの電車で調べながら帰りましたが、謎の時計です。今日のヒーリングタイムの時に体内時計と体外時計のお話をさせていただいたからかしれませんが、先生もこの時計の使い道がわからなくて、何年も机の中に仕舞ってあったものでした。







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良い本に出会いました。8

2007-12-19 07:59:03 |  縄文心導ヒーリング



1146 梅毒はスペイン人であるコロンブスが、1493年にアメリカ大陸から持ち帰ったというのが定説ですが、途中の旧大陸から伝わったとの見方もあります。翌年、フランス王シャルル八世が大軍を率いてイタリアに侵入したさいに、フランス、イタリア人等の間に急速に広がり出しました。お互いに相手からうつされたと称し、それぞれ「ナポリ病」「フランス病」といっていましたが、実際にはスペイン人が最初にうつしたわけです。驚いたシャルル八世はフランスに逃げ帰りましたが、解散した帰還兵から全ヨーロッパに広がり、シャルル自身も梅毒で死亡しています。その後ルネッサンスの性解放の時代と共に梅毒は蔓延して行きました。ヨーロッパ中世の暗黒時代に対して、ルネッサンスは芸術の花が咲いた、輝かしい時代と思われていますが、或る意味では性風俗が乱れ、治安も悪く、混乱の時代でまありました。



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