倉富和子の女のひもとき in USA

生活に緊張感を与える為に、ブログを書く事にしました!心導・縄文ストレッチ・DNAメソッドを広めるため、世界中を巡ります。

役人ばかり威張るなOnly an officer talks big.

2015-08-11 09:25:34 |  縄文心導ヒーリング
渡部
「渋沢栄一も明治時代に、役人ばかりいばるからといって、自分は大蔵

大臣になれるぐらいの人なのに、たのまれてもなりませんでした。商人

も役人と対等に話ができるんだということを示すことを目的にして、

生涯民間の立場を貫きました。そてから渋沢は、儲け一辺倒ではありま

せんでした。

例えば、岩崎弥太郎が渋沢に、手を結ぼうじゃないかと持ちかけたことが

ありました。あんたと私が手を結べば日本中の経済を握ることが出来ると。

しかし渋沢は、自分はそんな気はないと断りました。

なるべくたくさんの人に産業に参加して儲けて もらいたいんだと。

結局岩崎は諦めるんですね。渋沢と意見が違えば、悪いことをしている

ような印象を世間から持たれますから(笑)

渋沢は石門心学を知っているけいせきはありませんけど、その精神は

梅岩先生の考えと通じるものがあるんですよ。

石田
「そうでしたか」

渡部
「それから先ほどおっしゃったように梅岩先生は、正直と倹約を非常に

重んじていました。そしてその倹約の目的はいいことをするためなんです

ね。そういうところは、勤倹貯蓄を処世訓として、資産家として成功した

林学博士の本多静六ともつながるんです。」

石田
「商人にプライドを持たせた梅岩先生の思想は、やはり11歳で奉公にでて、

商人として歩んできた誇りからくるものでしょうね。

渡部
「その体験は大きいですね。ですから梅岩先生は、商売の一番中心を教えて

いるんです。商売というのは相手にも得させなければならない。相手も利し

自分も利さなければ成り立たないと。ローマの諺に、「1人の利益は相手の

損」というのがありますが、それは商売には通用しませんね。そんなことを

やったら商売はたちまち行き詰まってしまうから、必ず取引先によかったと

思わせなければ商売は続かない。そのあたりをズバッと言っているのは、

やはり商人の家に奉公している間にそういう確信を持ったのだと思うんです」

石田
「奉公の体験なしには説けない考えだと思います。やっぱり商人を認め、商売

の尊さを説いているわけですね」








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石田梅岩と渋沢栄一Eiichi Shibusawa and Baigan Ishida .

2015-08-10 09:16:32 |  縄文心導ヒーリング


ー商人が儲けるのは武士が禄をもらうのと同じー
渡部
「梅岩先生は二男でしたね。だから家を継いだ人ではないのでしょう。」

石田
「ええ。自分は家の政(まつりごと)には責任がないといっています。その

上で独身を通してこの道を極めてみようと覚悟披露しています。」

渡部
「独身だから直系の子孫はいないわけですが、しかしその思想は日本人

中で生き続けました。げんだいしそうから見ますと、渋沢栄一は石門心学

は知らなかったけれども、やろうとしたことはその150年くらい前の梅岩

先生と同じだったと私は思うんです。」

石田
「ほう、渋沢栄一さんが梅岩先生と同じことを」


渡部
「梅岩先生の頃は士農工商といって、商は一番下に置かれていたでしょう。

梅岩先生は、そういう商人の意識を高め、商人にプライドを持たせました。

決して下に見られるようなことはない、士農工と同じだと。「商人が商売

をやって儲けるのは、武士が殿様から禄を貰うのと同じことだ」と喝破し

たんですね。考えてみれば確かにそうなんです。いや、殿様というのは

百姓から取り上げて自分の家来に配っているだけだから、商人の方が

立派だといってもいい。大阪や京都の商人が梅岩先生に惹かれた理由は

、そういうところにもあると思います。」

石田
「梅岩先生はそこまであえて言わなかっただけですね(笑)」

渡部
「言えばやっぱり武士から怒られますから、武士に劣らないというところ

で留めているわけです。(笑)」

石田
「もちろん梅岩先生は、商人が一方的 い金儲けをすることを勧めたわけ

ではありませんでしたね。商道の本質である勤勉、誠実、正直 に立ち返

り、仁義礼智を備えれば、お客様からの信を得て商売も繁盛することを

説きました。」

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外国の借り物でない浮世絵と心学The one which isn't a borrowed article from a foreign country,",

2015-08-09 09:11:35 | Weblog
それぞれの出会いー
石田
「渡部先生は、どういうきっかけで石門心学に興味を持たれたのですか。」

渡部
「私は子どものころから講談社の「キング」だとか、「修養全集」なんかを

読んでいて、それらの中でよく名前が出てくるもんですから、知らず知らずの

うちに馴染んでいたんです。

学生時代には石原謙先生の「石門心学史の研究」という大きな本を古本屋から

買ってきて、ペラペラめくったりしていました。

その後留学して日本とは何かと真剣に考えるようになった時に、浮世絵とか

心学が浮かんできたんです。この二つだけは外国からの借り物ではなかったと。

石田
「なるほど。」




渡部
「だから私の場合は特定の誰かから教わったというのではなくて、講談社文化

の影響が大きいですね。例えば「修養全集」の第1巻を開くと、折り込みに中村

不折の素晴らしい絵が載っているんです。

その絵というのが、釈迦と孔子とキリストの三人が語り合っている絵なんですね。

これなんか石門心学そのものなんですよ。

考えてみれば、そういう本を出版する講談社を作った野間清治という人も、まさに

心学そのものでした。石田さんはいかがでしたか。ご先祖さまの偉大さを認識する

きっかけのような物はあったのですか。

石田
「それこそ百姓の子で、百姓以外は勉強させてもらえなかったもにですから、なか

なかね(笑)若いこ頃の記憶で一つ印象に残っているのが、東京の湯島聖堂で梅岩の

250年祭があったときのことです。羽織袴の親父のお供をして参加したんですけれ

ども、そこに石門心学の最高顧問を務めてくださっていた高松宮殿下が、妃殿下と

一緒に会場に見えられて、お茶席でお二人の真正面に座らせていただいたんです。

その時に殿下外国からの、「どうですか、その後石門心学は?」というようなご

質問されましてね。言葉が見つからなくてモジモジしていたら、妃殿下が横から

、「若いボンがおいでですから、大丈夫でしょう」と助け船を出してくださった

んです。東京までどうやって行ったかは覚えていないのですが、あのやり取りは

今でもよく覚えています。それが梅岩先生との最初の出会いといっていいでしょう。

渡部
「それは印象的なエピソードですね。」

石田
「それから結婚後に、子どもの火曜地元の小学校で世話役をやっていたんですが、

ちょうど学校が創立100年を迎えて、ある方が梅岩先生の胸像を寄進されたのです。

その除幕式でうちの子供がお世話になって、これは梅岩先生に子孫として、何とか

しなければいかんなぁとのいうようなことを考えるようになりました。

ですからそういう外からの影響を受けるうちに自覚を持つようになったのです。
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石田梅岩教え"信者にはならない"Ishida Baigan telling" It won't be a believer."

2015-08-08 08:46:39 |  縄文心導ヒーリング


渡部
「日本には三種の神器というものがあります。鏡は精神、剣は強さの

象徴でしょうね。さらに勾玉というのは心を表しています。そして玉

に一番関係がある動詞は何かというと、"磨く"なんです。だから、玉を

磨く、つまり心を磨くという行為が一番大事な修行なんです。

では心を磨くには何で磨いたらいいのかというこういが一番重要な修行

なんです。

では心を磨くには何で磨いたらいいかというところで石門心学は、神道

でもいいし、仏教でも、儒教でもいい。それぞれのいいとこ取りで併せて

磨いてもいいと説くのです。

神道でそれまで尊んでいた玉を途端に何で磨くかということになる。

そこに180度の転換があるということが重要なんですね。

石田
「渡部先生のおっしゃる通りだと思います。お医者さんが病気を治す

ために、あらゆる薬を試すのと一緒で、神、儒、仏をアレンジして、

ミックスして、「一法を捨てずして、一法に泥ず」あらゆるものから

学ぶということですね。渡部先生がおっしゃるように、それが石門心学

の一番大きな特性といえます。

渡部
「一つものに入れ込まない。それぞれの教えを熱心に信奉するけれども、

信者にはならない。これは非常に独創的な発想法ですね。


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独創的な啓蒙思想「石門心学」

2015-08-07 09:32:10 |  縄文心導ヒーリング
渡部昇一先生、石田二郎氏対談
「致知」より

石田
「確かに梅岩先生の学問は、大変独創的ですね。実は昔から日本に

ある心学と石門心学の違いを質問されましてね。私は渡部先生のよ

うに学問的な事は長い間分からなかったのです。けれども時間をか

けて調べているうちに、梅岩先生の学問が独特なので、従来の心学

と一緒になってはいけないという事で、以後「石門」を頭につけて

区別するようになった、というふうに記されているのを発見したん

です。

渡部
「石田の門下生ということですね。」

石田
「梅岩先生は、お弟子さんたちにも恵まれていたんです。中でもその

学問を体系づけたのは、やっぱり手島堵庵の力が大きいように思いま

す。」

渡部
「梅岩先生が塾を始められた頃は、ニュートンの晩年と同じくらいです。

ですからヨーロッパでは啓蒙思想が現れて、それまでの宗教をガチガチに

信奉する状態から離れようという機運があった頃だと思います。啓蒙思想が

日本においても、神道の教えを宗教の哲学とすれば、梅岩先生の学問は

良い意味での啓蒙思想といえます。石門心学は宗教を磨き草にするわけ

ですから、それまでの宗教とはまったく違うんですね。

私が先ほどから心学と申し上げているのは、石門心学のほうだとお考え

いただければと思います。」

石田
「確かにそれまでの神学とはまったく異なりますからね。」







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世界に誇れる梅岩哲学The Baigan philosophy of which the world can be proud.

2015-08-06 09:17:04 |  縄文心導ヒーリング
ーすべての教えを磨き草にー

石田

「渡部先生は、梅田梅岩先生の教えを高く評価してくださって・・・」

渡部

「普通の文明国では、道徳の起源をたどって行くと、宗教を始めたよう

な偉い人の教えから来ているようです。例えばキリスト教であればキ

リストの教え、仏教であれば釈迦の教え。そういうものになるべく近づ

こうというのが普通の道徳のあり方です。

ところが、梅岩先生の残した心学というのはそうではないのです。

発想が逆で人間には心があるという所から始まるんです。だから、心を

磨くためには、神学でもなんでも構わないと。世界の道徳の起源を18

0度変えていると私は思うんです。

石田

「なるほど。」

渡部

「日本には,シナにおける孔子だとか、インドにおける釈迦だとか、中近

東における釈迦だとか、あるいはギリシャにおけるソクラテスとか、そう

いう世界的に知られた大哲学者、あるいは大宗教家はいないんですよ。

今日本には空海や道元がいるじゃないかといっても、お釈迦様より偉いわ

けではないでしょう。

同様に儒教で偉い人がいるといっても孔子より偉いわけがないし、哲学で

もキリスト教でもプラトンやキリストより偉い人はいない。

ところが梅岩先生の考えでは、そういう偉い人達はすべて」、心を磨く「

磨き草」になるんですから、世界に日本が誇る哲学があるとすれば、「私

は心学だと思います。

石田

「あぁ、世界に誇れるものだと。」

渡部

「ところが心学というのは、江戸時代の知識人というか、儒教の本流の人た

ちからは軽蔑されていたんです。

これは浮世絵と似たところがありましてね。当時は雪舟が描くような水墨画

だとか、狩野派だとか、そういう大名,公家などに認められる絵師の格が

高くて、浮世絵というのは、町人、女、子どものものとして軽蔑されていま

した。ところが、独創性重んずる世界のモノサシで見ると、いくら雪舟とい

っても大陸の南画の系統の末端に属するだけなのに対して、浮世絵は他に例

がないということで抜群に評価が高いんですよ。同じように、心学は日本が

生んだ世界に誇るべき哲学、道徳学であろうと私は考えています





*石田梅岩研究家の竹村英二氏(竹村健一先生の次男になる方)はイギリス

で英語版石田梅岩の本を書かれています。

日本の技術力はこれからますます世界に進出して行きます。

日本だけを考えるという時代ではなくなって行きます、私なんかも海外で仕

事をしていて、考え方の違いに戸惑いながら、失敗もあったり、勉強になり

いろんな回り道をして来ましたが、石田梅岩の「自分の為に、人の為に、社

会の為に」この三つを幹にして、日本の国際化をしっかり自覚して行けば、

異質なものに触れても、自分が見えてくると思います。

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小さい時の秀吉と梅岩先生の共通点。Common point of Hideyoshi and Baigan

2015-08-05 10:14:57 |  縄文心導ヒーリング
ー今なお生き続ける梅岩の教えー

石田二郎氏、渡部昇一氏対談より

石田ー本日は遠方よりわざわざお越しいただきまして、ありがとうございます。

渡部ー石田梅岩先生の生誕の地で、ご子孫である二郎さんと対談させていただけ

るということで、とても楽しみにしてまいりました。

それにしても大きなお屋敷ですな。昔から名家というのは一町屋敷といった

ものですけども、それに準じるような規模です。

梅岩先生の生家は、ただのお百姓ではなかったようですね。

石田ー ここは二千五百平方メートルほどあります。建物自体は梅岩先生のの死後、明和

年間に焼けたのを立て直したものだと聞いておりますが、悠々たる自作農だった

ことが窺えます。

渡部ー当時はそういう家でなければ学問は出来ません。梅岩先生は11歳で呉服屋に奉公に

出ますけれども、それまでに下地となる教養を相当積んでいるはずです。

そういう基礎がなければ、急に漢文なんか読めませんからね。

よく秀吉が水呑み百姓の子だったといいますが、実際はそうでもなかったといい

ますが、実際はそうでもなかったようです。子供の頃は暴れ者で、寺に預けられ

たというんですが、水呑百姓の子どもを預かってくれる寺なんかありませんしね

(笑)やっぱり其れ相応の家だったと思うし、そうでなければ、彼の巧みな人を使

うような発想は生まれないと思います。

同じようなことは、梅岩先生にも言えると思うんです。四十五歳で心学に開眼して

講座を開き、四書五経だけでなく、朱子学や「近思録」というのは、どこであれだ

けの素養を身につけたかというと、やはり学問の下地を作れるような家に生まれた

に違いないのです。

石田ーあそこに見えるのが菩提寺ですけれども、お寺も絶えず遊びに行っていたんでしょ

う。学問の最初の手ほどきは、そこの和尚がやっていたのだろうと記録に残ってい

ますが、私もそう思います。

渡部ーあぁ、そのような記録が。

石田ーはい。ただ、梅岩先生が講座を開いていたのはここではありませんから、先生に

関する資料もここにはあまりございません。ほとんど京都の篤士家の方々が管理し

てくださっているようで、ありがたいことだと存じております。

渡部ー京都には記念館のようなもはないのですか。


石田ー特別にはございません。以前は心学の講義が行われていた学舎で熱心にやっておら

れた京都大学名誉教授の柴田実先生がお亡くなりになるなどして、いまはほとんど

活動もなくなりました。修生舎だけは、イセトー小谷会長さんが生前一生懸命に盛り

立てて下さって板のウィ、息子さん達が跡を継いでお世話して下さるというようなご

挨拶をいただきました。

渡部ーそうやって志ある方がいまも継承されているんですね。





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石田梅岩子孫の記事との出会い。 Encounter with an article of Ishida Baigan's offsprings.

2015-08-04 10:46:31 |  縄文心導ヒーリング
昨日致知出版を訪問しましたら、石田梅岩の子孫の石田次郎氏(石門心学

開道舎)と渡部一先生の対談のの記事(致知2008年10月号)の貴重

な資料を頂きました。

面白くて、帰りの電車の中で一挙に読み上げました。


石田梅岩の本を3冊ほど買って読みましたが、その本の中には書かれてい

ない石田梅岩像が書かれていて、興味深く読ませて頂きました。

致知の購読者の方で読まれた方もいられると思いますが、6年の月日を経

て、その当時より社会は難しい時代になって来ています。

この私も海外で働いてきた経験から、改めて石田梅岩の哲学を世界的にみ

た視線で学びなおすべきだと思うのです。

ブログで少し長くなりますが、明日からご紹介させていただきます。





石田梅岩に学ぶ

石門心学の祖として、日本人の精神に多大な足跡を残した石田梅岩。その

思想は、迷走を続けるいまの日本人が明記すべき貴重な指針を与えてくれ

る。梅岩の故郷・亀岡に住む子孫・石田二郎氏を訪ね、石門心学の勝ちを

高く評価する渡辺一氏とともに、梅岩の教えから学ぶべきものについて

ご対談いただいた。


石田二郎

昭和7年京都生まれ。22年府立高等農事研究所(現京都府立農業大学)

卒業。東別院村役場、亀岡市農業協同組合に勤務した後,家業の農業に従事。

59年「梅岩賛歌」を作詞し、石田梅岩先生墓前で発表。61年「こころの

花たば~勘平さん物語」発刊。

渡辺一

昭和5年山形生まれ。30年上智大学文学部大学院修士課程修了。ドイツ・

ミュンスター大学、イギリス・オックスフォード大学留学。平成13年から

上智大学名誉教授。幅広い評論活動を展開する。著書は専門書のほかに「歴

史書のほかに「歴史に学ぶリーダーシップ」「時流を読む眼力」など多数。

最新刊(共著)に「上に立つ者の心得ー「貞観政要」に学ぶ」致知出版社。
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自然体で乗り越えよう、日本の夏。The Japanese summer over get by natural posture.

2015-08-03 09:20:22 |  縄文心導ヒーリング
8月に入りました。

畑の夏野菜も収穫が済み、秋の準備に入ります。

畑を作っているおかげで、自然との関わりが身近に

感じられます。
h
カンカン照りの時に、水乞いをしたり、自然は祈り

の中に頼るしかないという、人間にとって大事なこと

を感じさせてもらうプロセスで、現代文明の根本を、

見直させてくれますね。

やせ我慢ではなくて、自然体で日本の夏を乗り越える

ため、まだ家ではクーラーのスイッチは入れていませ

ん。

北欧ではサウナに入るためにお金を払いますが、日本、

では毎日24時間無料でスチームサウナにいると思う

ようにして、お蔭でいい汗かいて経絡が緩んで、元気

になって来ました。

皆様も暑さに気をつけられて一日を元気にお過ごしく

ださいますよう。
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石田梅岩のディスカスの魅力。Cham of Isida Baigans Discuss.

2015-08-02 06:46:50 |  縄文心導ヒーリング
石田梅岩の”心学”はディスカスすることをテーマにしたこと。

言葉のコミュニケーションは、第三者を経由するということで

ですが、当時はお上の者のいう事は絶対で、上下関係で社会が

成り立っていたわけです。

直接話せないことを第三者に聞いてもらうや、別の人を交えて

話し合いながらコミニュケーションしていく発想は、画期的で

した。


当時は商人ごときがという、士農工商のカースト制度では、商

人の地位は一番下でしたので。

最初は一人から始まり、徐々に武士階級までに広がって行きま

ました。

言葉のコミュニケーションは、第三者を経由するということで

ですが、当時はお上の者のいう事にはさからえないという、上

下関係で社会が成り立っていたわけです。

直接話せないことを第三者に聞いてもらうや、別の人を交えて

話し合いながらコミニュケーションしていく発想は、画期的で

した。

今セミナーでやっていることは、石田梅岩が世界の始めての人

でした。

石田梅岩は神道でしたが、神道を分かりやすくするために、仏

教、儒学なども学びにしたようです。

そして人間の本質を知っていたんですね。

「先も立ち、我も立つ」という共生思想。

Dnano本質のエゴということですが、そこを外さない自由な発想

が、物凄い大事なポィントですね。

大阪商人、新潟商人、近江商人と日本で耳にしますが、この中

でも一番凄いのが近江商人です。

私の知人でトップエステサロンの経営者は名古屋出身ですが、

人と違う彼女の魅力を感じていたのですが、お客様に対しても一

対一という中で商売の話をするんではなく、人そのものの社会

的な位置ずけから判断して、何かにこと寄せながら、何かを反射

させながら話を勧めて行く、その話術に魅力を感じていましたが、

石田梅岩のディスカスはこういう所にも生きている事が分かりま

す。

TPPの交渉の甘利さんも近江商人で行って欲しいですね。

ユダヤ商法に太刀打ちできるのは、近江商人しかありません。

続く























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