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(北部タイの魅力

2025-01-22 | ●中西語録

■■■■■■■■■■■■タイ屈指の景観■■■■■■■■■■■■

中西英樹
タイ王国北部チェンライ市在住、ロングステイヤー


■■「無名の街
⚫️  チェンライは, 人口に膾炙しているとは言えない。 ネットには
・「
人気のタイなのに 誰も行かないチェンライ行ってみた」とか、
・「タイに 何度も行った人は一度行ってみるべきタイ最北端の街チェン
  ライ」とある。
更に「チェンマイとチェンライは 一字違いのため混同しがちですが,
この2つは全く違う町です」という丁寧な紹介もある。

少数民族支援のNGO関係者にとって身近な街であるが、まだ 一般の日本
人にとって, チェンライは辺境という感覚なのかもしれない。ロイクラト
ンやカウントダウンなど 何日かを同じ 北タイ、チェンマイで過ごしてみ
て、やはりチェンマイは大都会、チェンライは, 残念ながら田舎町という
感を深くした。大体, 街を歩く人々の ファラン率は, チェンマイのほうが
圧倒的に高い。

でもあまり観光客が来ない, ファランが少ないということは、まだまだ知
られざる秘境、素朴さと長閑さに溢れている隠れ里といえなくもない。
チェンマイを京都に例えるなら  チェンライは青森と表現した ネットもあ
った。青森か, こりゃ青森差別ではないかなどと思うが, 逆に「え, あな

まだ行ってないの?いいところでしたよ」と自慢できる場所でもある。

   
チェンライ観光といえば、ワットロンクン(白い寺) とかクロックタワー
シンハパークなど, 大半はここ20年内に出来たもの。白い寺にあやかろう
と青い寺, 黒い家といった新建築も出現した。見るべき古寺もあまたある
中でこれがチェンライの名所と言われるとなんだかなあ, という気になる.

 
■■自然は素晴らしい
⚫️チェンライは ラオス、ミャンマーと国境を接する タイ最北端の県だ
新しいだけの奇抜な建築物,公園ばかりではなく 古くから人々を魅了した
自然景観はある。自然景観は 街から歩いてすぐ,というところにはない。
交通の便が悪く, 更には自分の足で歩かないといけない場所もある。

タイは国土の大半は平地だ。平たくて暑い。バンコクの金持ちは 涼しい
北部の山に来てロングスリーブの衣装を楽しむ。あるいは 標高2565mの
ドイインタノンという 山に霜を見に行く。タイ人が 北海道の雪を見て狂
喜するのも熱帯に住んでいるからだ。
だから 寒さゆえの景観が楽しめる、
これが都会のタイ人がチェンライのプーチーファ-に 惹かれる理由であ
る。
ラオスと国境を接したプーチーファーは、標高1628mの断崖絶壁の山だ。
「プー」は山,「チー」は指差す,「ファー」は空,   だから「空を 指す山
と言う意味。それはプーチーファーを横から眺めると すぐにその意味を
理解できる。尖った山の一部が, まるで空を指差すかのように突き出てい
る。11月から2月の乾季には, この山の上から ラオス側に広がる雲海の眺
めが素晴らしい。
⚫️乾季には日の出を見るため真っ暗な山道を、懐中電灯を頼りに登る人
々で一杯になる。
チェンライ市内から約110キロ離れているし, 日の出を
拝むためには山のホテルに泊まる必要があるから,プーチーファ-を訪れ
るファランはそれほど多くない。
自分はこの山に数回登っている。初回
は2010年7月,日本人会の遠足だった。雨季ではあったが、眼下にラオス
領, 蛇行するメコンの流れが見えた。その後もバイクツーリングやトレッ
キング、ハイキング目的で行ったが、日帰りだったし, 乾季ではなかった
ので観光客は殆どいなかった。

■■「雲海を見る
⚫️チェンライ屈指の自然景観、プーチーファ-の雲海を一度は見てみた
いと思っていたが昨年の11月、それが実現した。いつもはGH、寝られれ
ばいいや, という宿泊であるが今回は 1155線沿いの 高級ロッジ「NARA 
VIEW」山腹に迫り出したテラスがあり、タイ人はここで写真を撮る、が
お約束。ホテルとはいえ5室のみ。テラスにバスがあり夕焼けを眺めつつ
露天風呂気分でお湯に浸かることができる。


早朝5時半に迎えのトラックが来た。登山口まで10分, 防寒具を着た人々
が懐中電灯を片手に山頂まで  750mの凸凹道を登る。雨季なら泥道とな
りとても登れない。乾季でも5年後は,多分自分にはムリ。
周りは若い人ばかり,息を整えながらゆっくり登って何とか頂上へ達した。

明け染める空の下に 雲海が広がっていた。感嘆の声を上げながらみな写
真を撮る。山頂から眼下に広がる雲海を見るのは初めてだ。日が 昇るに
つれて雲海の色は変わっていく。山頂はチェンライ土曜市並みの 人出で
あったが、お日様に手を合わせる人は皆無、これも文化の違いか。

昨年は小旅行を繰り返した。出かければ出かけただけのことは あるもの
だし,日常とは違った感動を 覚えることもある。雲海を見下ろしながら旅
は行けるうちに行くべきかなどと考えた。

 
■■「タムルアン洞窟見学記
奇跡の救出劇

⚫️タムルアン洞窟の遭難事故を覚えておられるだろうか。
 

タムルアン洞窟の遭難事故とは, 2018年6月23日にタイ王国・チエンラー

イ県のタムルアン森林公園内のタムルアン洞窟において, 地元の サッカー
チーム「ムーパ・アカデミー」のメンバーであるコーチ1人と少年ら12人
の合計13人が閉じ込められた遭難事故。
7月10日までに 13人全員が救出
されたが、救出活動中にダイバー1人が殉職
さらに翌年、救出活動に参加した ダイバー1人が, 作業中の怪我による感
染症で亡くなった。
当時は雨季に入っており, 大雨で洞窟内に大量の水が
入り込んだ。その結果,洞窟内の水位が上昇して大半が水没したため,脱出
できない状況に追い込まれた。
 
              ・洞窟の中で孤立するタイのサッカ―子供集団
メンバー13人は, 7月2日に 洞窟の奥の突き出た岩の上にいるところを 発
見され,全員の無事が確認された。しかし13人のいる位置は,洞窟の入口か
ら約5キロメートルの場所で入口までの  多くの箇所が浸水しており, 洞窟
潜水を行わない限り洞窟内を通過できない。


              世界の人たちが、子供たちの無事救出を祈った。
ポンプで洞窟内の水を排水する方法や,地上から掘削するなどの方法が検
討された。少年たちを救うために世界から21カ国, 1万人からなる大規模
な国際チームがタムルアンに集結した。
このチームには 200 人のダイバ
ーが含まれており,その多くはケーブダイビング専門家だった。そして二
人の英国人洞窟ダイバーによって行方不明から9日目に13人が 発見され
た。洞窟入り口から 数キロほど奥に入った場所で、彼らは出水により出
口に戻れず、水に追われる形で奥へ奥へと進むしかなかったとか。

日本も大きな貢献
⚫️当時, 自分は チェンライにいて, 毎日毎晩を 女中さんと一緒に テレビ
ニュースを見ていた。女中のニイさんの娘さんの同級生が 閉じ込められ
て いると聞き, 助かればいいなと思っていた。全国の学校では  授業そっ
ちのけで無事救出を祈るお経をあげていた。何百人ものお坊さんの 集団
が, 洞窟前の泥道に座り込んで  祈祷を続けていたし, 地元リス族の人々は
豚の生贄を捧げて 無事救出を祈った。
救出は水との戦いだった。洞窟の
入り口から水が溢れ, 濁流の水量は半端ではなく、水深も計れないほどだ
ったという。


                   ・救出に向かう日本の救出専門集団、
⚫️日本はJAXAと,JICAの協力で洞窟付近の精密な地形図を提供した。 ま
たJICAの水利専門家は, 地形から洞窟内に流れ込む水源を探索し,2カ所の
流入個所を突き止め, 水の流入を激減させた。
これで入口付近の水深は30センチに下がり, 洞窟ダイバーの活動が容易と
なった。他にもポンプ車, 照明など陰からの救出サポートはタイにも感謝
され, JICAは英国人ダイバーと共に国王から表彰状を下賜されている。

世界中から注目された事件であったが, あのイーロン・マスク氏も 救出作
戦に使用してもらおうと 脱出用小型潜水艇を制作したが, 潜水艇到着前に
全員救出されたそうだ。


事件現場から観光地へ
⚫️タムルアン洞窟は森林公園とはいえ, 事件が起こるまで「王女の呪いの
洞窟」と呼ばれ、現地の人もあまり寄り付か内容場所だった。
ある邦人バックパッカーは洞窟から数キロ先の国境の街, メーサイに滞在
していて,, 事件の起こる2,3ヵ月前, 何かしら心惹かれて頻繁にこのタム
ルアン洞窟を訪れていた。
日本でテレビニュースを見て,アッ,俺の行っていた洞窟じゃんとネットに
上げたところ,それがマスコミの目に留まった。新聞や
テレビの 集中取材
を受け,テレビ各局をハシゴして回る羽目になった。
局差し回しのハイヤーに乗せてもらい, 思いがけない額のギャラを手にし
て王様の気分を味わったとのこと。
2018年の事件以前は, 恐らく彼しかタムルアン洞窟について話せる人は日
本にいなかったのだろう。

⚫️事件後,タムルアン洞窟は長らく閉鎖されていたが、洞窟入り口だけで
も見ようという観光客で混雑を極め,タムルアン洞窟があしらわれたTシャ
ツが1店当たり1日100枚は売れたという。
2013年12月15日から事前登録制で洞窟内を見学できることになった。
因みにアドベンチャーツーリズムという旅行費用は,
・タイ人観光客の場合は1人あたり950バーツ(約4千円)、
外国人観光客の場合は1人あたり1,500バーツ(約7千円
装備品や傷害保険の料金は含まれない、事前の健康診断要)。
タイでは入場料を徴収する国立公園はあるが、高くても500B、タイ人は
その10分の1が普通だ。
その後,森林公園は国立公園に格上げとなり, 洞窟
内も整備されて軽装で洞内を見学できるようになった。


⬛︎⬛︎ 「チェンライ花まつり」コック公園
⚫️チェンライでは年末から1月中旬にかけて花祭りが開催される。会場は
コック川沿いのコック公園並び公園のさらに上流のチェンライビーチだ。
コック川のほうが広く、会場周辺の屋台の数も多い。

花祭りが始まるとカメラを提げて花の写真を取りに行く。ブログに 掲載
する写真がないと年末年始にチェンライ花祭りで撮ってきた花、特に 蘭
を掲載することが多い。花なんか本文と何も関係ねーじゃねーかと クレ
ームを受けることもあるが、食用蛙とか、コオロギの佃煮の写真よりは
いいのではないかと思っている。

バナナは1000種類あるというが蘭はどれくらいの種類があるか。実は2万
5千種以上存在するという。南国の花というイメージが強いが南極を除く
全世界、つまりアラスカや北極圏にも生えている。野生種だけで 2万5千
種というから開発された蘭の数はそれ以上, 地球上の植物の1割は 蘭の仲
間だと言われている。

チェンライは, 亜熱帯に属するから花祭りに登場する花は多様である。例
えばコスモス,和名を秋桜というように秋の花であるが  00コック川の川風
に吹かれて柔らかくそよいでいる。と思うとチューリップの群生もある。
チューリップは3月から5月の花だ。また夏の花である百合も梅雨に相応
しいアジサイも咲いている。
冬の植物はポインセチアくらいか。ドイ・パータンやドイ・メーサロン
などチェンライの山にトレッキングに行くとこの赤いポインセチアがそ
こら中に生えている。こちらでは雑草だ。日本の通販で調べたことがあ
るが高沙20センチほどのポインセチアは、1鉢約5000円だった。
タイの山道の一角だけで50万にはなるなあと思ったものだ。

植木市で父を想う
⚫️空港バイパスから会場まで数百メートルはあるが道の両側には焼き鳥、
ジュース、たこ焼き、民族衣装、帽子各種、蜂蜜、烏龍茶など ありとあ
らゆる飲食物,土産物を販売する露店がたち並ぶ。OTOP(タイの一村一品
運動)の店も勢ぞろいする。駐車場と会場入り口までリキシャが走るので、
足がおぼつかない老人や歩くのが嫌いな人はリキシャに乗って人混みをか
き分けていく。

今回初めてだと思うが、植木、花卉を販売する店が相当数出店していた。
植木市だ。亡き父は狭い庭しかないのに植木市で沈丁花などを買っていた。
「今は亡き人なればかばかりのこと忘れ難し」ではないがふと半世紀も前
に亡くなった父を思い出した。親父もここを歩いたら魂消ただろうな。
マンゴー、ドリアン、グアパ、ラムヤイ、マンゴスチン、ライチなど実の
写真付きだ。値段は概ね1本200円から1000円ほど。どこで栽培したのか
シャインマスカットの幼木が1本1000円ほどで売られていた。

蘭もあった。新種の豪華な蘭は1鉢1000円、ありふれた蘭は1本120円から、
4本なら400円に割引。その昔、北タイの山には原種の蘭が叢生していて花
が咲く乾季には全山が紫に染まったという。
蘭の愛好家が原種の蘭を求めて山に分け入ったというのも昔の話、今はバ
イオテクノロジーの世界、クローン技術で大量安価に生産できるようにな
った。でも花祭りの植木市では一般的な蘭が主流。もしここに亡き父が現
われたら「なんで買わないんだ、家には植える場所が一杯あるだろう」と
いうに違いない。でも蘭に凝りだしたらきりがないからなあ。


 

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