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「恋しくて」

 いつから読み始めたのも忘れてしまったほど時間がかかって、村上春樹の「恋しくて」をやっと読み終えた。
 読書量ががくっと落ちてしまった私でも、短編集なら読めるだろう、しかも村上春樹が翻訳したものなら読みやすいだろう、と思って買ったはずなのに、ずいぶんと時間がかかってしまった。それだけ読書欲が減退しているのだろう。寂しい話ではある。

 本書は村上春樹が訳した9編と彼自身が書き下ろした「恋するザムザ」の全10編から成る。「いろんな種類の、いろんなレベルのラブ・ストーリー」だと後書きにあるように、恋愛と呼べないようなものから、火宅っぽいものまでバリエーションに富んでいる。本来なら一気に読み通せる面白さを持った短編集なのだろうが、いかんせん感受性の鈍化した今の私では十全にその面白さを味わうことができなかった。すっと読める物もあれば、何だこれ?と遅々として進まなかった物もあった。それは小説の内容が私には受け入れがたい面もあっただろうし、翻訳という制限のために村上春樹の優れた日本語感覚が発揮し切れてない面もあったように思う。その点、彼の「恋するザムザ」は他のどれよりも読みやすく、読後感に味わった余韻は奥の深いものであったのは当然だろう。

 しかし、いくら時間がかかったとは言え、これだけの恋愛小説をまとめて読むと、なんだか秘め事をのぞき見ているような錯覚を覚えた。小説とは作家が描き出した状況の断面を読み進めながら、そこから想像する映像を追体験していくものなんだな、と改めて思った。久しぶりに小説の面白さを思い出せたような気がして、少しは読書欲が戻って来そうな気もする・・。

 ところで、本書の装画。



 これが竹久夢二だと今初めて知った。じっと見れば、黒猫を抱いた女性はまさしく夢二の筆だ。何で気付かなかったんだろう・・。
 
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