毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
28回目
28回目のお祝いは、いつもの通りサンマルク。
たわいもない話をしながら食事をするのも、記念日ならではのこと。何回目まで祝えるだろう、と行く末を案じるにはまだ早いと思いたいのだけど・・。
帰り道には、これまた定番のバラの花を買って、日頃お世話になってばかりいる妻の歓心を買おうなどと、下世話な魂胆しか見えない行為・・。でも、本当に心から感謝しているのは、いくら28年一つ屋根の下で暮らしてきたと言っても、言葉にしなければ伝わらないのかもしれない。
このブログを覗くことなど絶えて久しいだろうけど、もし読んでくれたなら心からの言葉を受け取ってほしい。
今までずっと、ありがとう。またこれからもよろしく。
たわいもない話をしながら食事をするのも、記念日ならではのこと。何回目まで祝えるだろう、と行く末を案じるにはまだ早いと思いたいのだけど・・。
帰り道には、これまた定番のバラの花を買って、日頃お世話になってばかりいる妻の歓心を買おうなどと、下世話な魂胆しか見えない行為・・。でも、本当に心から感謝しているのは、いくら28年一つ屋根の下で暮らしてきたと言っても、言葉にしなければ伝わらないのかもしれない。
このブログを覗くことなど絶えて久しいだろうけど、もし読んでくれたなら心からの言葉を受け取ってほしい。
今までずっと、ありがとう。またこれからもよろしく。
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老子(2)
金曜日、NHKの「あさイチ」に出ていた吉川晃司が、「理想とする男は誰?」と尋ねられて「老子」と答えたのには、少々驚いた。言っちゃ悪いが、彼の頭の中に老子が存在するとは全く思ってもみなかったので、意外すぎて、「吉川晃司ってよく分からない奴だったけど、案外ちゃんとしてるんだな」と見直した。いや、それどころか、震災直後にボランティア活動に参加したという話もあって、敬意さえ感じたほどだった。
と吉川晃司に促されたわけでもないが、「老子」の勉強を今日からボチボチ始めていこうと思う。参考にするのは、中央公論社「世界の名著」の「老子 荘子」の巻であり、小川環樹・訳である。
「上篇」第一章
道の道(い)うべきは、常の道にあらず。名の名づくべきは、常の名にあらず。名無きは、天地の始めにして、名有るは万物の母なり。故(まこと)に「常に欲無きもの、もってその妙を観(み)、常に欲有るもの、もってその徼(きょう)を観る」この両(ふた)つの者は、同じきより出でたるも而も名を異(こと)にす。同じきものはこれを玄と謂(い)う、玄のまた玄、衆妙(しゅうみょう)の門なり。
「道」が語りうるものであれば、それは不変の「道」ではない。「名」が名付けうるものであれば。それは不変の「名」ではない。天と地が出現したのは、「無名」(名付けえないもの)からであった。「有名」(名付けうるもの)は、万物の(それぞれを育てる)母にすぎない。まことに「永久に欲望から解放されているもののみが『妙』(隠された本質)をみることができ、決して欲望から解放されないものは、『徼』(その結果)だけしかみることができない」のだ。この二つは同じものから出てくるが、それにもかかわらず名を異にする。この同じものを、(われわれは)「玄」(神秘)と呼ぶ。(いやむしろ)「玄」よりもいっそう見えにくいもの(というべきであろう。それは)、あらゆる「妙」が出てくる門である。
小川先生の現代語訳は、まさしく玄妙であって、イマイチ伝わってこない。それはやはり学者の解釈であるからだろう。
「大道を理解するためには言語や文字、名前に拘ってはいけない。すべて心と魂で悟ろうとしなければ迷ってしまう。天地の始まりのとき、物体も形象もない。このような状態を「無」と呼ぼう。「無」は「道」の本体であり、宇宙の本道でもある。その道の作用によって万物が生まれてきた。これを「有」と呼ぼう。つまり、「有」とは「道」の作用である。だから、天地の始まりが「無」であることが分かれば道の本質の奥深さが分かるし、万物の根源が「有」であることが分かれば、道の作用の広大さも分かる。「無」と「有」とは、一つの道の本体であり、一つは道の作用であり、同じく道から出たもので、呼び名が違うだけである。それらは皆深淵で微妙なものであり、それこそが宇宙万物創世の本源である「道」なのである。
これは講談社α文庫「マンガ老荘の思想」から、和田武司訳を参照にしたものであるが、こちらの方が格段に理解しやすい。
だが、それでも老子を解することはかなり難しい。私の心が濁っているから特にそう感じるのかもしれないが・・。
と吉川晃司に促されたわけでもないが、「老子」の勉強を今日からボチボチ始めていこうと思う。参考にするのは、中央公論社「世界の名著」の「老子 荘子」の巻であり、小川環樹・訳である。
「上篇」第一章
道の道(い)うべきは、常の道にあらず。名の名づくべきは、常の名にあらず。名無きは、天地の始めにして、名有るは万物の母なり。故(まこと)に「常に欲無きもの、もってその妙を観(み)、常に欲有るもの、もってその徼(きょう)を観る」この両(ふた)つの者は、同じきより出でたるも而も名を異(こと)にす。同じきものはこれを玄と謂(い)う、玄のまた玄、衆妙(しゅうみょう)の門なり。
「道」が語りうるものであれば、それは不変の「道」ではない。「名」が名付けうるものであれば。それは不変の「名」ではない。天と地が出現したのは、「無名」(名付けえないもの)からであった。「有名」(名付けうるもの)は、万物の(それぞれを育てる)母にすぎない。まことに「永久に欲望から解放されているもののみが『妙』(隠された本質)をみることができ、決して欲望から解放されないものは、『徼』(その結果)だけしかみることができない」のだ。この二つは同じものから出てくるが、それにもかかわらず名を異にする。この同じものを、(われわれは)「玄」(神秘)と呼ぶ。(いやむしろ)「玄」よりもいっそう見えにくいもの(というべきであろう。それは)、あらゆる「妙」が出てくる門である。
小川先生の現代語訳は、まさしく玄妙であって、イマイチ伝わってこない。それはやはり学者の解釈であるからだろう。
「大道を理解するためには言語や文字、名前に拘ってはいけない。すべて心と魂で悟ろうとしなければ迷ってしまう。天地の始まりのとき、物体も形象もない。このような状態を「無」と呼ぼう。「無」は「道」の本体であり、宇宙の本道でもある。その道の作用によって万物が生まれてきた。これを「有」と呼ぼう。つまり、「有」とは「道」の作用である。だから、天地の始まりが「無」であることが分かれば道の本質の奥深さが分かるし、万物の根源が「有」であることが分かれば、道の作用の広大さも分かる。「無」と「有」とは、一つの道の本体であり、一つは道の作用であり、同じく道から出たもので、呼び名が違うだけである。それらは皆深淵で微妙なものであり、それこそが宇宙万物創世の本源である「道」なのである。
これは講談社α文庫「マンガ老荘の思想」から、和田武司訳を参照にしたものであるが、こちらの方が格段に理解しやすい。
だが、それでも老子を解することはかなり難しい。私の心が濁っているから特にそう感じるのかもしれないが・・。
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徳川園の牡丹
名古屋の徳川園で今が盛りの牡丹を見に行ってきた。
徳川園の牡丹
徳川園というのは、
『徳川御三家筆頭である、尾張藩二代藩主光友が、元禄8年(1695年)に自らの造営による隠居所である大曽根屋敷に移り住んだことを起源としています。
当時の敷地は約13万坪(約44ha)の広大さで、庭園内の泉水には16挺立の舟を浮かべたと言われています。光友の没後、この地は尾張藩家老職の成瀬、石河、渡邊三家に譲られましたが、明治22年(1889年)からは尾張徳川家の邸宅となりました。
昭和6年(1931年)、十九代当主義親から邸宅と庭園の寄付を受けた名古屋市は整備改修を行い、翌年「徳川園」が公開されました。昭和20年(1945年)に大空襲により園内の大部分を焼失した後は一般的な公園として利用されてきましたが、平成16年秋に日本庭園としてリニューアルしました』
という由緒正しき名所であるが、私は中学・高校と6年間、この徳川園を横切って学校から名鉄の大曽根駅までせっせと歩いた場所であるから、ただの通学路としか思っていなかった。それが、先日新聞の一面に、見事な牡丹の写真が載っていたのを見たものだから、どうしても見たくなって、何十年ぶりかに出掛けたのだが、昔はただで自由に歩けたのに、今は入場料300円が必要になっていたのには驚いた。徳川園が日本庭園としてリニューアルしていたなどとはまるで知らなかったから、自分の無知を恥じるべきなのかもしれない・・。
晴れ上がって、歩くと汗ばむほどの陽気であったが、自分の知っていたのとは全く様変わりしていた徳川園の流麗さに魅せられて、しばし時を忘れて妻と散策した。後になって、パンフレットを読んで、なるほどと思ったのも、やはり勉強不足の謗りは免れないだろう・・。
『徳川園は、池泉回遊式の日本庭園で、江戸時代の主だった大名庭園もこの様式です。清流が滝から渓谷を下り海に見立てた池へと流れるありさまは、日本の自然景観を象徴的に凝縮しています。
さらに徳川園は、高低差の大きな地形、既存のまま取り入れた樹林、立体的に迫る大きな岩組みが特徴で、変化に富んだ景観を大胆に切り替える構成を用いて大名庭園の「荘厳さ」を大観できるようにしています。新緑や紅葉、牡丹や花菖蒲の花々など四季を通じて楽しめる庭となっています』
秋になったら園内の紅葉を見に行こうと、妻と約束した。忘れないようにしなくちゃ・・。
徳川園というのは、
『徳川御三家筆頭である、尾張藩二代藩主光友が、元禄8年(1695年)に自らの造営による隠居所である大曽根屋敷に移り住んだことを起源としています。
当時の敷地は約13万坪(約44ha)の広大さで、庭園内の泉水には16挺立の舟を浮かべたと言われています。光友の没後、この地は尾張藩家老職の成瀬、石河、渡邊三家に譲られましたが、明治22年(1889年)からは尾張徳川家の邸宅となりました。
昭和6年(1931年)、十九代当主義親から邸宅と庭園の寄付を受けた名古屋市は整備改修を行い、翌年「徳川園」が公開されました。昭和20年(1945年)に大空襲により園内の大部分を焼失した後は一般的な公園として利用されてきましたが、平成16年秋に日本庭園としてリニューアルしました』
という由緒正しき名所であるが、私は中学・高校と6年間、この徳川園を横切って学校から名鉄の大曽根駅までせっせと歩いた場所であるから、ただの通学路としか思っていなかった。それが、先日新聞の一面に、見事な牡丹の写真が載っていたのを見たものだから、どうしても見たくなって、何十年ぶりかに出掛けたのだが、昔はただで自由に歩けたのに、今は入場料300円が必要になっていたのには驚いた。徳川園が日本庭園としてリニューアルしていたなどとはまるで知らなかったから、自分の無知を恥じるべきなのかもしれない・・。
晴れ上がって、歩くと汗ばむほどの陽気であったが、自分の知っていたのとは全く様変わりしていた徳川園の流麗さに魅せられて、しばし時を忘れて妻と散策した。後になって、パンフレットを読んで、なるほどと思ったのも、やはり勉強不足の謗りは免れないだろう・・。
『徳川園は、池泉回遊式の日本庭園で、江戸時代の主だった大名庭園もこの様式です。清流が滝から渓谷を下り海に見立てた池へと流れるありさまは、日本の自然景観を象徴的に凝縮しています。
さらに徳川園は、高低差の大きな地形、既存のまま取り入れた樹林、立体的に迫る大きな岩組みが特徴で、変化に富んだ景観を大胆に切り替える構成を用いて大名庭園の「荘厳さ」を大観できるようにしています。新緑や紅葉、牡丹や花菖蒲の花々など四季を通じて楽しめる庭となっています』
秋になったら園内の紅葉を見に行こうと、妻と約束した。忘れないようにしなくちゃ・・。
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タージ・マハル(3)
おお!!!!何て神々しい!!まさにこの世の奇跡、造形の極致。これがレゴ製だなんて、俄には信じられない・・。
かなり大きいし、重量もある。組み立て場所のジャングル部屋に置いたまま撮った写真が上のものだが、葉っぱたちとの釣り合いもとれていて、納まり具合が妙にいい。本当は、モジュールタウンとの配置を考えねばならないところだが、今しばらくはジャングル部屋においておこう、と思っている。
そうか、この建物はタージ・マハル廟だった。ならば、私が死んだら、骨をこの中に入れてもらってもいいはずだ。中央のドームの中にでも入れてもらおうか・・。
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タージ・マハル(2)
タージ・マハルの中央に鎮座するドームは威風堂々たる趣だ。レゴでもその威容は見事に再現されている。その堂々たるシルエットには、組み立てている間でも神々しく感じられたものだった。
実はもう全体を組み立て終わったのだが、完成した姿を一気に披露するのもなんだか勿体ない気がして、今日は取りあえずドームの組み立て写真だけを載せておくことにした。今も完成したタージ・マハルをチラチラ眺めながら、この記事を書いているが、実に美しい。見惚れてしまう・・。どうして角張ったレゴから、こんな柔らかいシルエットを生み出せるのか、不思議で堪らない。
全貌は近日中に・・。
実はもう全体を組み立て終わったのだが、完成した姿を一気に披露するのもなんだか勿体ない気がして、今日は取りあえずドームの組み立て写真だけを載せておくことにした。今も完成したタージ・マハルをチラチラ眺めながら、この記事を書いているが、実に美しい。見惚れてしまう・・。どうして角張ったレゴから、こんな柔らかいシルエットを生み出せるのか、不思議で堪らない。
全貌は近日中に・・。
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レイズへ
昨日の朝、TVを点けたらヤンキースとレンジャーズの試合がやっていた。ダルビッシュは明日か、と思いながら見始めたら、アナウンサーがマイナー契約がどうとか、メジャーでプレーするまでには2、3週間かかるだろうとか、解説者と話していた。
「えっ?ひょっとしたら?」
と、耳をそばだてたら、やはり松井の話だった。なんと松井がレイズと契約間近だというのだ。ちょっとビックリして、携帯で「ワールドベースボール」を開いてみたら、松井がレイズとマイナー契約をする見込みだという記事が載っていた。
「ほお・・」
と思ったものの、いったいこれはどう考えたらいいのだろう、と少なからず戸惑った。
確かにアメリカで野球をすることを希望する松井にとっては朗報なのだろう。マイナー契約といっても、レイズはメジャーでプレーさせるつもりの仮契約のようなものだろうから、早晩松井が試合に出る姿を見られるだろう。キャンプにも参加できず、ずっと一人で練習してきた松井だから、契約できるなら内容などどうでもよかったのかもしれない。それにレイズならプレーオフ進出の可能性も十分あるだろうから、チームとしては申し分ないはずだ。でも・・・
本当に今の松井にマイナーからメジャーに昇格できるだけの力があるのだろうか。いくら練習を続けていたと言っても、かなり実戦から遠ざかっているから、試合勘が戻るまでにかなり時間がかかるのではないだろうか。マイナーの試合で結果が出なければ昇格は難しいし、それどころかすぐにクビになってしまうだろう。元来がスロースターターの松井だけに心配だ。
だけど、これでダルビッシュ、黒田、松坂、チェンなどと対戦できる可能性が出てきた。松井が加わればNHKの放送も多くなるかもしれない。つまり、日本人同士がメジャーで戦うという醍醐味を味わえる機会が増えるということだ。楽しみだ。
TVの解説で小宮山が昇格までには少なくとも2・3週はかかるだろうと言っていたが、松井には焦らず調子を高めていってもらいたい。読売新聞の記事に次の一節があった。
『所属先が決まらない間も「待つしかない」と黙々と練習を続けていた松井。10年目となるメジャーでの生き残りにかける最後のチャンスとなりそうだ』
もう一花咲かせなくちゃね、松井くん。
頑張れ、松井!!!!
「えっ?ひょっとしたら?」
と、耳をそばだてたら、やはり松井の話だった。なんと松井がレイズと契約間近だというのだ。ちょっとビックリして、携帯で「ワールドベースボール」を開いてみたら、松井がレイズとマイナー契約をする見込みだという記事が載っていた。
「ほお・・」
と思ったものの、いったいこれはどう考えたらいいのだろう、と少なからず戸惑った。
確かにアメリカで野球をすることを希望する松井にとっては朗報なのだろう。マイナー契約といっても、レイズはメジャーでプレーさせるつもりの仮契約のようなものだろうから、早晩松井が試合に出る姿を見られるだろう。キャンプにも参加できず、ずっと一人で練習してきた松井だから、契約できるなら内容などどうでもよかったのかもしれない。それにレイズならプレーオフ進出の可能性も十分あるだろうから、チームとしては申し分ないはずだ。でも・・・
本当に今の松井にマイナーからメジャーに昇格できるだけの力があるのだろうか。いくら練習を続けていたと言っても、かなり実戦から遠ざかっているから、試合勘が戻るまでにかなり時間がかかるのではないだろうか。マイナーの試合で結果が出なければ昇格は難しいし、それどころかすぐにクビになってしまうだろう。元来がスロースターターの松井だけに心配だ。
だけど、これでダルビッシュ、黒田、松坂、チェンなどと対戦できる可能性が出てきた。松井が加わればNHKの放送も多くなるかもしれない。つまり、日本人同士がメジャーで戦うという醍醐味を味わえる機会が増えるということだ。楽しみだ。
TVの解説で小宮山が昇格までには少なくとも2・3週はかかるだろうと言っていたが、松井には焦らず調子を高めていってもらいたい。読売新聞の記事に次の一節があった。
『所属先が決まらない間も「待つしかない」と黙々と練習を続けていた松井。10年目となるメジャーでの生き残りにかける最後のチャンスとなりそうだ』
もう一花咲かせなくちゃね、松井くん。
頑張れ、松井!!!!
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タージ・マハル
世界遺産に登録されている「タージ・マハル」。その歴史は次のようだ。
「世界でもっとも美しい霊廟とよばれるタージ・マハルは、ムガル帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンが、若くして亡くなった最愛の王妃ムムターズ・マハルのために建てた白大理石造りの巨大な建造物です。
シャー・ジャハーンは、砂漠の民イスラムがインドに侵攻してムガル帝国を樹立してから100年、帝国の絶頂期に皇帝となった人物でした。皇帝は王妃ムムターズ・マハルを限りなく愛し、戦場にさえ連れて行きました。王妃は14人の子どもを生みますが、36歳の若さで亡くなってしまいます。皇帝は深く悲しみ、世界各地から最高の職人と材料を集め、イスラム様式の壮大な白亜の霊廟を築きました。皇帝はヤムナー川の対岸に自らの霊廟を黒大理石で造り、タージ・マハルと橋でつなぐ計画であったと言います。しかし皇帝は三男によってアーグラ城に幽閉され、その夢は果たせませんでした。幽閉された城の塔からタージ・マハルを眺めることが、シャー・ジャハーン晩年の唯一の慰めであったと言います。シャー・ジャハーンは今、最愛の王妃ムムターズ・マハルとともに、タージ・マハルに眠っています」
この「タージ・マハル」をレゴで作ることができる。しかもかなりの精度で・・。5992ピースという気の遠くなるような数のパーツで組み立てる、幅52cm、高さ43cmの「タージ・マハル」・・・。私のレゴ熱もまさに猖獗を極めようとしている・・・。
写真で纏めてしまうと、ごく簡単に見えるかもしれないが、ここまで組み立てるのに、かなりの時間を要した。だが、これだけでもこの「タージ・マハル」、美しさが並外れたものであることは十分見て取れる。
「レゴって本当に何でもできちゃうんだな・・」
と溜息を漏らしてしまうような美しさだ。早く完成したい気がする一方、製作過程をもっともっと楽しみたいしという思いも強い。
実にレゴは奥が深い・・。汲めど尽くせぬ宝の泉だ。
「世界でもっとも美しい霊廟とよばれるタージ・マハルは、ムガル帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンが、若くして亡くなった最愛の王妃ムムターズ・マハルのために建てた白大理石造りの巨大な建造物です。
シャー・ジャハーンは、砂漠の民イスラムがインドに侵攻してムガル帝国を樹立してから100年、帝国の絶頂期に皇帝となった人物でした。皇帝は王妃ムムターズ・マハルを限りなく愛し、戦場にさえ連れて行きました。王妃は14人の子どもを生みますが、36歳の若さで亡くなってしまいます。皇帝は深く悲しみ、世界各地から最高の職人と材料を集め、イスラム様式の壮大な白亜の霊廟を築きました。皇帝はヤムナー川の対岸に自らの霊廟を黒大理石で造り、タージ・マハルと橋でつなぐ計画であったと言います。しかし皇帝は三男によってアーグラ城に幽閉され、その夢は果たせませんでした。幽閉された城の塔からタージ・マハルを眺めることが、シャー・ジャハーン晩年の唯一の慰めであったと言います。シャー・ジャハーンは今、最愛の王妃ムムターズ・マハルとともに、タージ・マハルに眠っています」
この「タージ・マハル」をレゴで作ることができる。しかもかなりの精度で・・。5992ピースという気の遠くなるような数のパーツで組み立てる、幅52cm、高さ43cmの「タージ・マハル」・・・。私のレゴ熱もまさに猖獗を極めようとしている・・・。
写真で纏めてしまうと、ごく簡単に見えるかもしれないが、ここまで組み立てるのに、かなりの時間を要した。だが、これだけでもこの「タージ・マハル」、美しさが並外れたものであることは十分見て取れる。
「レゴって本当に何でもできちゃうんだな・・」
と溜息を漏らしてしまうような美しさだ。早く完成したい気がする一方、製作過程をもっともっと楽しみたいしという思いも強い。
実にレゴは奥が深い・・。汲めど尽くせぬ宝の泉だ。
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老子
このところ、なんだか頭がぼやっとして随分アホになってしまった気がする。寄る年波なのか、レゴ遊びが嵩じた結果なのか、とにかくこのままじゃ面白くない。この不甲斐なさを軽減し、少しでも己をピシッとさせるためにはどうしたらいいのか、考えて見たところ、やはり原点に立ち返るのが一番ではないか、という結論に達した。では、己の原点とは何か?と少々面倒な思惟を重ねてみたところ、ひょっとしたら「老子」ではないか、と思い至った。思想的な著作を読むこと少なかった中学生の頃、唯一といってもいいほど「老子」は繰り返し読んでいた。白文をノートに書き記し、暗唱するまで何度も読んだ。その内容を十全に理解したとはとても思えないが、私を形成する一部が「老子」であることは間違いないと思う。
そこで、この機会にもう一度「老子」五千言をこのブログに書き写し、折に触れて読んでいこうと思い至った。
だが、今日はそのプロローグとでも言うべき、一分を載せておこうと思う。それは、史記の「老子韓非列伝」にある、老子が訪ねてきた孔子を諭したと言われる一節である。説教くさい孔子を老子が諭すなどと言うのは痛快な図であるが、以下に引用してみる
老子者楚苦縣鄉曲仁裏人也姓李氏名耳字耼周守藏室之史也
孔子適周將問禮於老子
老子曰子所言者
其人與骨皆已朽矣獨其言在耳
且君子得其時則駕不得其時則蓬累而行
吾聞之良賈深藏若虛
君子盛容貌若愚
去子之驕氣與多欲態色與淫志
是皆無益於子之身
吾所以告子若是而已
孔子去謂弟子曰
鳥吾知其能飛魚吾知其能游
獸吾知其能走走者可以為罔
游者可以為綸飛者可以為矰
至於龍吾不能知其乘風雲而上天
吾今日見老子其猶龍邪
老子という者は楚の苦県、鄉の曲仁里の人で、姓は李氏、名は耳、字は耼で、周の守蔵室の史官であった。
孔子が周におもむき、礼について老子にあれこれ質問した。
老子が言うには、「あなたのいう聖賢などは、人も骨も朽ち果て、言葉だけが残っているだけです。
また君子、君子というが、君子などというのは、その時勢を得れば車を乗り回せるだけの身分になれるが、その時勢を得られなければ、風に飛ばされるよもぎのようなものだ。
商売上手は、よい品を持っていても、それを奥深くしまっておき、店先には並べない。
(それと同じように)立派な徳のある君子は愚か者のように見せる。
あなたは驕り、欲、気取り、邪心がありすぎるから、それらを取り去りなさい。
これらは皆、なんじの身に於いて無益である。
私があなたに言いたいのはそれだけだ」と。
孔子は去って、弟子に言った、
「鳥ならば、私は飛べることを知っている。魚ならば、私は泳げることを知っている。
獣ならば、私はよく走れることを知っている。走る者には網をつくればよい
泳ぐ者には釣り糸をつくればよい。飛ぶ者にはいぐるみ(糸を結びつけた矢)をつくればよい。
だが、龍については、風雲に乗って天に上るのを私はよく知らない。
私は今日、老子に会ったが、それはちょうど(つかまえることのできない)龍のようであった」と。
さあ、孔子をして「龍」と評させた「老子」を、コツコツと勉強していこう!!
そこで、この機会にもう一度「老子」五千言をこのブログに書き写し、折に触れて読んでいこうと思い至った。
だが、今日はそのプロローグとでも言うべき、一分を載せておこうと思う。それは、史記の「老子韓非列伝」にある、老子が訪ねてきた孔子を諭したと言われる一節である。説教くさい孔子を老子が諭すなどと言うのは痛快な図であるが、以下に引用してみる
老子者楚苦縣鄉曲仁裏人也姓李氏名耳字耼周守藏室之史也
孔子適周將問禮於老子
老子曰子所言者
其人與骨皆已朽矣獨其言在耳
且君子得其時則駕不得其時則蓬累而行
吾聞之良賈深藏若虛
君子盛容貌若愚
去子之驕氣與多欲態色與淫志
是皆無益於子之身
吾所以告子若是而已
孔子去謂弟子曰
鳥吾知其能飛魚吾知其能游
獸吾知其能走走者可以為罔
游者可以為綸飛者可以為矰
至於龍吾不能知其乘風雲而上天
吾今日見老子其猶龍邪
老子という者は楚の苦県、鄉の曲仁里の人で、姓は李氏、名は耳、字は耼で、周の守蔵室の史官であった。
孔子が周におもむき、礼について老子にあれこれ質問した。
老子が言うには、「あなたのいう聖賢などは、人も骨も朽ち果て、言葉だけが残っているだけです。
また君子、君子というが、君子などというのは、その時勢を得れば車を乗り回せるだけの身分になれるが、その時勢を得られなければ、風に飛ばされるよもぎのようなものだ。
商売上手は、よい品を持っていても、それを奥深くしまっておき、店先には並べない。
(それと同じように)立派な徳のある君子は愚か者のように見せる。
あなたは驕り、欲、気取り、邪心がありすぎるから、それらを取り去りなさい。
これらは皆、なんじの身に於いて無益である。
私があなたに言いたいのはそれだけだ」と。
孔子は去って、弟子に言った、
「鳥ならば、私は飛べることを知っている。魚ならば、私は泳げることを知っている。
獣ならば、私はよく走れることを知っている。走る者には網をつくればよい
泳ぐ者には釣り糸をつくればよい。飛ぶ者にはいぐるみ(糸を結びつけた矢)をつくればよい。
だが、龍については、風雲に乗って天に上るのを私はよく知らない。
私は今日、老子に会ったが、それはちょうど(つかまえることのできない)龍のようであった」と。
さあ、孔子をして「龍」と評させた「老子」を、コツコツと勉強していこう!!
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40年前の切手が・・。
レゴで自作の建物を作りたいと思っても、ベースになる建物がなくてはとても無理。「何かいいものはないかな・・」とあちこち探しているうちに、「タウンプラン」というレゴ50周年記念のものを見つけた。映画館と公会堂とガソリンスタンドなどが一箱に入っていて、なかなか便利だ。ただ、今までのモジュールのように四角に囲まれた建物ではなく、表半分しかない、張りぼてのような仕組みになっているので、建物としては中途半端だが、かえって創意を加えやすいというメリットはある。これを買っておいて、あとは色々パーツを集めて組み立てていけば、案外簡単にできるのではないか、などと気楽に考えていたら、段々買いたくなってきた。だが、この「タウンプラン」はもう廃盤になっていて、アマゾンでは36000円ほど、ヤフオクでも3万円ほどのプレミア価格がついていて、このところレゴに大枚をはたいてきた私には、おいそれと注文・落札できる金額ではない。しばらくは我慢しなくちゃいけないな・・、とヤフオクを眺めていたら、出品されている「タウンプラン」に「御切手可」と書いてあるのを見つけた。
「これって、代金を切手で払ってもいい、ってことだよなあ・・」
そう思ったら、俄然気持ちが高まってきた。なぜなら、私は小学校の頃、切手収集家だったため、かなりの枚数の切手シートを持っているから、もし本当に切手で代金を支払うことができるなら、タウンプランを手に入れられる可能性がかなり高くなったからだった・・。
さらに出品者からのメッセージを読でみたら、「切手で支払う場合、落札価格の10%増し」とあったので、即決価格の32,000円で落札した場合、32,000×1.1=35,200円を切手で支払うことになるようだ。じゃあ、いったいいくら分の切手を持っているのだろう、調べてみた。
その結果、
1枚80円×10=800円のシート×3枚= 2,400円
1枚60円×10=600円のシート×2枚= 1,200円
1枚50円×10=500円のシート×22枚=10,500円
1枚20円×20=400円のシート×9枚= 3,600円
1枚15円×20=300円のシート×65枚=19,500円
1枚15円×10=150円のシート×4枚= 600円
合計 37,800円
なんて、ラッキー!!これだけあれば充分賄えそうだ・・。40年近く前に集めたものが今になってこんなに役に立つとは思ってもみなかった。素晴らしい!!
だが、本当にこんな切手で支払うことは可能なんだろうか。ぬか喜びになってもいけないから、取引ナビから出品者に質問してみた。まだ返事は来ていないが、色よい返事だといいが・・。
「これって、代金を切手で払ってもいい、ってことだよなあ・・」
そう思ったら、俄然気持ちが高まってきた。なぜなら、私は小学校の頃、切手収集家だったため、かなりの枚数の切手シートを持っているから、もし本当に切手で代金を支払うことができるなら、タウンプランを手に入れられる可能性がかなり高くなったからだった・・。
さらに出品者からのメッセージを読でみたら、「切手で支払う場合、落札価格の10%増し」とあったので、即決価格の32,000円で落札した場合、32,000×1.1=35,200円を切手で支払うことになるようだ。じゃあ、いったいいくら分の切手を持っているのだろう、調べてみた。
その結果、
1枚80円×10=800円のシート×3枚= 2,400円
1枚60円×10=600円のシート×2枚= 1,200円
1枚50円×10=500円のシート×22枚=10,500円
1枚20円×20=400円のシート×9枚= 3,600円
1枚15円×20=300円のシート×65枚=19,500円
1枚15円×10=150円のシート×4枚= 600円
合計 37,800円
なんて、ラッキー!!これだけあれば充分賄えそうだ・・。40年近く前に集めたものが今になってこんなに役に立つとは思ってもみなかった。素晴らしい!!
だが、本当にこんな切手で支払うことは可能なんだろうか。ぬか喜びになってもいけないから、取引ナビから出品者に質問してみた。まだ返事は来ていないが、色よい返事だといいが・・。
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インストール完了
昨夜、このブログの記事を書き終えてから、フッと思いついた場所を探してみたところ、「一太郎」のディスクが、クリアファイルの中に挟まっているのを見つけた。「やった!!」と深夜にもかかわらず快哉を叫んでしまったほど嬉しかったが、でもなぜこんなところにあるんだろう?と不思議な気がした。家の塾関係の書類が治まっている整理ボックスの中・・。私が入れたのか妻が入れたのか判然としないが、そんなことはともかく、これでせっせと作成した問題集を訂正したり印刷したりすることができるようになったのだから、実に喜ばしいことだ。
だが、「花子」のシリアルナンバーはどうしても見つからない。一生懸命探したが、紙切れ一枚のことだから、どこかに紛れ込んでしまったようだ。もうこれ以上探してもムダだな、という気になったので、JUST SYSTEMに電話で相談してみることにした。
結局は「一太郎」でユーザー登録がしてあったのが良かったようだ。私の説明を聞いてくれたオペレーターのおネエちゃんが、
「それなら、シリアルナンバーの再交付の申込書をFAXでお送りいたしますので、それに署名・捺印してこちらに送り返して頂ければ、FAXかメールで新しいシリアルナンバ-をお教えいたします」
と言ってくれた。おお!!ラッキー!!おネエちゃんが天使のように思えた・・。
そして、それから2時間ほど後に、「一太郎」と「花子」のインストイールが無事終了した。で、パソコンのデスクトップには、JUST SYSTEM3人衆のアイコンが並んだ。
これで、今週中にPCのトラブルが一応解消できたことになる。よかった・・。
だが、これほどまで自分の迂闊さが身に染みたことは今までなかった。余りにいい加減すぎる。運良く対処できたからよかったものの、自分でもイヤになるほどいい加減すぎる・・。ダメだ・・。
今週は生徒の送迎で、乗せ忘れたり、道を間違えたりすることが何度かあった。新学期が始まって2週間ほど経ち、ちょっと緊張感が欠けていたのかもしれないが、どうもかなり耄碌しているように思えてならない。そう言えば、一生懸命作った問題集でも、授業の度に新しい間違いが見つかって、気持ちが暗くなる。少しは間違った箇所もあるだろうと覚悟はしていたが、これほどまでとは思いも寄らなかった・・、ひどい・・。
まあ、このPCの騒動も一種の厄落としだと思って、またコツコツ頑張っていこう。
だが、「花子」のシリアルナンバーはどうしても見つからない。一生懸命探したが、紙切れ一枚のことだから、どこかに紛れ込んでしまったようだ。もうこれ以上探してもムダだな、という気になったので、JUST SYSTEMに電話で相談してみることにした。
結局は「一太郎」でユーザー登録がしてあったのが良かったようだ。私の説明を聞いてくれたオペレーターのおネエちゃんが、
「それなら、シリアルナンバーの再交付の申込書をFAXでお送りいたしますので、それに署名・捺印してこちらに送り返して頂ければ、FAXかメールで新しいシリアルナンバ-をお教えいたします」
と言ってくれた。おお!!ラッキー!!おネエちゃんが天使のように思えた・・。
そして、それから2時間ほど後に、「一太郎」と「花子」のインストイールが無事終了した。で、パソコンのデスクトップには、JUST SYSTEM3人衆のアイコンが並んだ。
これで、今週中にPCのトラブルが一応解消できたことになる。よかった・・。
だが、これほどまで自分の迂闊さが身に染みたことは今までなかった。余りにいい加減すぎる。運良く対処できたからよかったものの、自分でもイヤになるほどいい加減すぎる・・。ダメだ・・。
今週は生徒の送迎で、乗せ忘れたり、道を間違えたりすることが何度かあった。新学期が始まって2週間ほど経ち、ちょっと緊張感が欠けていたのかもしれないが、どうもかなり耄碌しているように思えてならない。そう言えば、一生懸命作った問題集でも、授業の度に新しい間違いが見つかって、気持ちが暗くなる。少しは間違った箇所もあるだろうと覚悟はしていたが、これほどまでとは思いも寄らなかった・・、ひどい・・。
まあ、このPCの騒動も一種の厄落としだと思って、またコツコツ頑張っていこう。
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