毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
井川慶
松坂大輔投手の交渉権をボストン・レッドソックスが60億円という信じられないような金額で獲得して以来、ヤンキースの来季に向けての補強が遅々として進まないような印象を受けていた私は、これで少しほっとした。少し前に、ヤンキースの先発ローテーションが、王健民・ムース・ジョンソン・プロクター・パヴァーノの5人だという噂が立ったときには、とてもワールドチャンピオンになんかなれないぞ、と少なからず心配していただけに、井川が加わってくれた(まだ契約は済んでいないが、入団するものとして)ことは、大きな喜びである。
だが、正直に言って、私は井川投手のことをよく知らない。もともと私が阪神ファンではないからだが、いつも仏頂面しているような井川は余り好きな選手ではなかった。数年前から、ポスティングでメジャー移籍したいなどと、ごねているようにしか見えなかった彼のことを、余りいい感情で見てはいなかった。ところが、今年は今まで頑として井川の要求を受け付けなかった阪神球団が譲歩して、彼のメジャー移籍を認めて以来、ひょっとしたら松井の同僚になるかもしれない、と少しずつ彼の記事に目を通してはいたのだが、それでも、まだほとんど知らないと言ってもいいくらいだ。そこで、ちょっと調べてみた。
阪神での成績は、
1999年 1勝1敗 14三振 防御率6.46
2000年 1勝3敗 37三振 防御率4.35
2001年 9勝13敗 171三振 防御率2.67
2002年 14勝9敗 206三振 防御率2.49
2003年 20勝5敗 179三振 防御率2.80
2004年 14勝11敗 228三振 防御率3.73
2005年 13勝9敗 145三振 防御率3.86
2006年 14勝9敗 194三振 防御率2.97
ここ5年間は、連続10勝以上あげており、これは松坂や上原でも成し遂げていない数字らしい。これだけでメジャーに通用するかどうか判断するのは早計だが、私の記憶にある井川は、マウンド上でダイナミックに躍動するフォームから、ズバッと三振を取る姿である。あの姿を目に浮かべると、メジャーでも十分やっていけるような気がする。
しかし、井川慶という選手は、少しばかり特異な性格の持ち主のようだ。一昨日「いつもどこでもマイペース これが井川慶という男」という記事が載っていた。そこから幾つかの逸話を抜粋してみる。
『関西に10年近く住んでいるのに茨城なまり、チーム内では「だっぺ」の愛称で親しまれる』
『チーム内外から批判が出ている長髪も短くしようとしない』
『2003年のリーグ優勝時、歓喜に沸くチームメートのビールかけの様子を「次の日が登板だから」と寮の自室でテレビ観賞』
『05年のリーグ優勝時は、ジムでトレーニングをしていて岡田監督の胴上げに間に合わなかった。初めてのビールかけは、においだけで酔っぱらいダウンした』
『「井川には野球と(趣味の)ラジコンしかないやろ」と岡田監督が冗談交じりに言うように、ラジコンとサッカーが大好き』
『100かん近くのすしを軽く平らげる大食漢』
『推定2億円以上を稼いでいるのに、無駄遣いはしない。多くの選手が外車を乗り回す中、年式の古くなった国産車にずっと乗っている』
などなど、井川伝説と言うべきエピソードには事欠かないようだ。
しかし、今日一番気になった報道は、松井秀喜が井川に対して「交渉が順調にいって一緒にプレーするのを楽しみにしています。井川君が力を最大限に発揮してくれれば、必ずやヤンキースが世界一になれると思います」とエールを送った後で、「ニューヨークにも水戸納豆は売っていますからご心配なく」と水戸出身の井川を気遣ったジョークを飛ばしたと伝えられたニュースだ。実は、井川は水戸っぽのくせに納豆が嫌いなのだそうだ!
おいおい、先輩、大丈夫かい?もうちょっと井川のことをリサーチしておいたほうがよくないかい?
アヴィニョン橋
アビニョンの橋で 踊るよ 踊るよ
アビニョンの橋で 輪になって 踊る
おじさんもくる おばさんもくる
アビニョンの橋で 輪になって 踊る
坊さんもくる 兵隊さんもくる
アビニョンの橋で 踊るよ 踊るよ
アビニョンの橋で 輪になって 踊る
「懐かしいなあ」と思いながら聞いていたら、ふっと思い出したことがあった。
「そういえば、昔この歌がフランス語で歌えたぞ」と一緒に見ていた妻に話しかけた。
「そうだったね、フランス語の歌が歌えるぞって自慢げに歌ってたよね・・・思い出した、『スルポン ダビニョン ロニダンセ ロニダンセ スルポン ダビニョン なんとか・・』って歌ってたなあ・・」
「すごいなあ、何で覚えてるの?俺は、全然覚えてない」
「だって、しつこいくらい歌ってたでしょ」
変な奴だ。覚えていて欲しい肝心なことは平気で忘れるくせに、こんなことはしっかり覚えている・・・それにしても、自分に全く記憶がないというのは気持ちが悪い。そこで、フランス語の歌詞を検索してみた。
Sur le pont d'Avignon,
L'on y danse, l'on y danse.
Sur le pont d'Avignon, L'on y danse tout en rond.
Les beaux messieurs font comme ça, Et puis encore comme ça.
Les belles dames font comme ça, Et puis encore comme ça.
(ここでメロディーが聴ける。)
確かに妻が言ったとおりの歌詞だ。すばらしい記憶力だ、驚いた。SMAPと藤原竜也には超人的な記憶力を持っている彼女だが、今回は新たな才能を垣間見せてくれた、などと言ってはほめすぎかな・・・
しかし、いつも思うことだが、google は本当にすごい。フランス語の歌詞を検索すればすぐに見つかる。少し前だったら考えられなかったことだ。しかも、もっとすごいのは、歌詞を検索しただけなのに、それに関連した情報までもザーッと列挙される。アヴィニョン橋の写真は見つかるは、この橋が世界遺産に登録されていることが分かるは、とさまざまな情報が一度に手に入ってしまった。何だか得した気分になったのだが、その中から引っぱってきたのが、このアヴィニョン橋の写真だ。
『12世紀に羊飼いのベネゼが神のお告げで造ったとされ、別名サン・ベネゼ橋とも呼ばれる。元々はローヌ川に架かった全長900mの大きな橋だったが、17世紀の洪水で一部が流され、以後現在に至るまで半壊したままとなっているのだそうだ。もし、無事なままでも、大勢の人がその上で踊れるほど大きな橋ではなかったらしい』
などと注釈があった。
「へえ~~~」と思ってしまう。昨日までまるで知らなかったことが、たまたま見たTV番組のおかげで自分の知識になったのだから、面白いものである。別にアンテナを必死で広げていなくても、情報が相手のほうから勝手に飛んでくることもあるんだな、と不思議な縁を感じずにはいられない出来事だった。
農園便り(2)
今回も、日曜に父が採ってきた野菜のいくつか載せてみるが、前回とはずいぶん違っている。スーパーに行けば一年中どんな野菜でも手に入るが、父の農園では、季節に合った作物しか作っていないため、いつでもすべての野菜があるわけではない。それが自然の摂理というものだが、これでこそ季節の巡りが実感できるというものだ。
まずは、ネギ。私には、うどんやそば・ラーメンなどの麺類にネギは欠かせない。ネギラーメンを注文することも多いし、ネギを多めに加えてくれと頼む場合もあるほどだ。また、醤油の中に細かく刻んだネギを入れて、それを冷奴にかけて食べるのも好きだ。写真のネギは太くて立派だ。父は今、畑から帰ってくるたびにネギの束を抱えてくる。
この時期、ダイコンと言えばおでんだねの一番人気だが、写真のダイコンは辛い。すりおろしたものをちりめんじゃこにかけ、醤油を落として食べたのだが、ピリッとしてすごくおいしかった。父は、今まではこんな辛いダイコンを作ったことはないのだが、今年は何本か作ってみたのだそうだ。形はずんぐりして見栄えはよくないが、おいしいダイコンだ。
ほうれん草と言えばポパイ。今思えばポパイの食べていたほうれん草は缶に入っていた。アメリカではほうれん草の缶詰が売っていたんだろうか?ポパイが日本でも人気者になった後でも、ほうれん草の缶詰は日本では売られていなかったような気がするが、どうなんだろう。そう言えば、「マカロニほうれん荘」という漫画もあったよなあ・・・
私の従姉妹でニンジンの大嫌いな人がいる。どんなに細かく切ってあっても、器用に箸で見つけ出して、必ず外に出す。ニンジンの何が嫌いなのか聞いたことはないが、多分すべてが許せないのだろう。私の鶏肉嫌いもそれと同じようなものだから、なんとなく分かる。私はニンジンを特別好きではないが嫌いでもない。彩としての役割も果たすし、結構役立つ野菜だと思っている。
サトイモというのは、なんとなくマイナーな野菜のような気がする。食べればおいしい。煮っころがしなんてなかなかのものだ。なのにイメージがぱっとしないのは、あのぬめりのせいなのだろうか?でも、ぬめりがなくなったらサトイモらしくない。別にサトイモが困るわけでもないから、なにも私が心配する必要もないけれど、ちょっと気になって・・・
最後に白菜。今が一番の時期なのか、日曜にはライトバンの荷台いっぱいに白菜を乗せて帰ってきた。一輪車に乗せ変えて、父が近所に配って歩いたようだ。白菜を見ていたら、鍋が食べたくなった。鍋に白菜は欠かせない。カニだろうが、鱈だろうが、鍋に白菜がなかったらずいぶんつまらないものになってしまう気がする。だし汁の旨みが染み込んだ、熱々の白菜をふーふー言いながら食べるのがこれからの寒い時期の楽しみだ。
そう言えば、この秋まだ一度も鍋を食べていない気がする。妻に頼んで作ってもらおう。
「伝える言葉」
第2条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
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5 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
この改定案は「(伝統と文化をはぐくんできた)我が国と郷土」との表現を用いることで、「『国』に統治機構の意味を含まないことを明確にすべきだ」という公明党の主張と、「国」「愛する」などの表現を譲れない自民党の双方が歩み寄った結果であると報道されているが、「愛国心」という文言を明記しない分だけ、かえって恣意的な解釈が可能になったと言う気がしないでもない。しかし、これだけを読んだだけなら、現在の政治状況から言ってさほど突出した印象を受けないが(それが政治的に麻痺している証拠かもしれない)、現行の教育基本法と読み比べてみると、その違いがはっきりしてくる。現行の教育基本法2条には次のように書かれている。
教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。
私は今まで教育基本法というものを一度も読んだことがなかった。教育基本法など、義務教育の年限や6・3・3制を決めたものにすぎないくらいの感覚しか持ち合わせていなかった。しかし、今回初めてこの条文を丁寧に読んでみて、日本国憲法と同じ理念から書き上げられているということが痛感できた。教育基本法の改定が日本国憲法の改定にもつながってしまうという危惧も、初めて実感できたような気がする。
なぜ私がこんなことを試してみたかと言えば、大江健三郎の近著「『伝える言葉』プラス」(朝日新聞社)を読んだからである。大江の著作を一冊まともに読んだのは本当に久しぶりであった。彼の著作はずっと買っていたのだが、ノーベル文学賞受賞後の彼の作品は最後までなかなか読み通すことができなかった。この本も読み始めた頃には、かつてあれほど熱中していた彼の思想に少しばかりの違和感を持たずにいられなかった。
大江の思想は首尾一貫していて、以前私がむさぼり読んだ頃とその根幹はなんらゆるぎないものである。ならば、私の考え方、物の見方が変わってしまったのだろうか・・・。確かにそうなのかもしれない。主義主張など持たず、旗幟鮮明などしたくないと思って生きてきたつもりが、いつの間にか大江の思想を素直に受け止められないようになっていたようだ。そのことに少なからず衝撃を受けたのだが、現実に生きていると、理想ばかりを追いかけていられなくなるのかもしれない。それを当たり前だと認めるまで世間ずれしているとは思いたくないが、余り自信はない。
しかし、読み進めるうちに、敗戦後の日本の民主化に大江の原点があるということfが再認識できた。大江健三郎も今年で70歳になった。先日読んだ「悪魔のささやき」の加賀乙彦も77歳。2人の著作から共通に感じられたのは、現在の状況をとても危ういと感じ、なんとかその流れを押しとどめたいという強い意志だった。
大江の次の文をどう読み取るかは読者個々の思いによるだろうが、日本の良心と言うべき一人の発言として尊重しなければならないと、私は思う。(良心は己の行動を遮る邪魔くさいものだと私などはすぐに感じてしまうのだが・・)
『この夏は、幾つかの集会で話すたびに、憲法と教育基本法を再読(りリード)しています。そして、憲法の前文と子供にもかかわる基本法とが、まさに倫理的な思いを込めて書かれているのを強く感じます。歴史にかつてない数の新しい死者を背負うようにして、戦後の日本人が作った再生ための原理を、それを打ち崩した後、日本とアジアに何が起こりうるかを考えず、改憲にのめりこもうとする政界、財界の実力者、けしかけるアメリカの高官に、私は倫理観も想像力も未熟な、危ういタイプを見ています。』
チュッパチャプス
「チュッパチャプスって全部で何種類くらいあるの?」と私が聞くと、女の子が、
「いっぱいあるよ。50種類以上あると思う」と答えた。それを聞いた隣にいた女の子が、
「そんなにないよ、20種類くらいだよ」
などと意見が一致しない。なので私がネットで検索してみた。「チュッパチャプス」の Wikipedia を見たら、27種類も味の名前が載っていた。すなわち、
「ミルクコーヒー ・チェリー・パイナップル・グレープ・プリン・コーラ・マンダリンオレンジ・ストロベリークリーム・ラムネ・ピンクグレープフルーツ・すいか・青りんご・チェリーコーラ・レモンコーラ・ピーチクリーム・キャラメルクリーム・ライチ・レモン・ストロベリー・ソーダグレープ・カメレオン・リッチミルク・チョコバナナ・チョコバニラ・チョコストロベリー・チョコココナッツ・チョコピーナッツ」
こんなにもあるのか、すごいな・・・と、考えていたら、またぞろ変な虫が心の中で騒ぎ出した。「よし、このチュッパチャプスを全種類買ってきて、その写真をブログに貼ろう!」まったくなんて馬鹿なんだろう、塾が終わるとすぐに深夜のコンビニへ走っていってしまった。
で、集めたチュッパチャプスが12種類、思ったほど売っていない。4、5軒回ったが、どうもこれだけしか今は売っていないような気がする。とりあえずその12種類の写真を載せてみる。
パイナップル ストロベリー ストロベリークリーム
プリン ブルーアップル ミルク
マンダリンオレンジ コーラ グレープ
チョコバナナ キャラメル チョコストロベリー
これだけ並ぶとさすがにきれいだ。それも当然なはずだ。なにせ、チュッパチャプス考案したエンリケ・べルナートというスペイン人は、チュッパチャプスを世界展開させる際に、そのロゴをスペインの芸術家サルバドール・ダリに依頼したという。ダリはその場でナプキンにデザイン画を描いた。そのデザイン画をエンリケは大変気に入り、現在のロゴの原型としたというのだ。驚きだ。そこでもう一枚。
もっともっと大輪の花にするために、これからしばらくはスーパーやコンビに行ったら、チュッパチャプスを探すようにしよう。がんばるぞ!
迷惑!
最近では、事務室の窓にも時々当たるようになってきた。少し前まではヤモリが這っていた窓に今は鳥がぶつかる、何とも野趣あふれた光景だが、困ったことが一つある。塾舎に向かって電柱から電線が引かれていて、事務室の横の壁に何本かの電線が集められているため、それが鳥たちの格好の止まり木のようになっていて、そこでフンを撒き散らす。窓にぶつかる鳥も、その前後に電線に止まって、ぽつぽつと白いフンをたらしているのだろう。1回の量はたいしたことがないのかもしれないが、積み重なるとかなりの汚れになってしまう。こんな感じだ。
塾舎の横の物置のトタン屋根だが、少々の雨が降ってもなかなか流れ落ちてくれない。事務所の窓から外を見るたびに目に入ってくるので、見るたびになんだか腹が立ってくる。鳩のフン害に悩むマンション住民の声をTVで聞いたことがあるが、今思えば他人事のようには思えない。見ていて気持ちのいいものでは決してない、是非やめて欲しい。
いったいこの鳥はなんという名の鳥なのだろう。窓ガラスに鳥がぶつかるのを妻がちょうど見かけて、「あれはセキレイじゃないかな」と教えてくれたので、それをヒントにネットで検索してみた。野鳥図鑑いうものを開いてみたのだが、鳥の写真ばかりで、見ているうちに気持ちが悪くなった。本当に鳥は嫌いだ、いやだ、気持ち悪い。だが、なんとか我慢して、黄色い羽だったという記憶を頼りに「キセキレイ」という鳥を見つけ出した。多分これだ。
この写真を見ているだけならきれいな鳥だと言うこともできるだろうが、毎日フンの跡を見せ付けられていては、そんな悠長なことも言っていられなくなる。退治するなんてことは思いもよらないけど、このままにしておくのもちょっと・・・という気がしている。
今の私のこんな気持ちをうまく表現した、間所ひさこの詩がある。
うちの庭は、
あなた方のおべんじょではない、
ありのアパートと
イチゴの芽とで
もう いっぱい なんです。
それでも やるっていうのなら、
ほかに 場所がないっていうのなら、
ひとこと、
あいさつしたら どうですか。
こんど 泥を掘るとこ みつけたら
水をかけます。
あしからず。
熱い胸中
松井秀喜が帰国前に毎日新聞の単独インタビューに応じた記事が、23日の朝刊に載っていた。今年の松井を振り返り、来年にかける松井の熱い胸中を知るにはファン必読の内容だと思うので以下に再録してみる。
>>左手首の負傷は選手生命にかかわるものだったと思うが。
(病院に運ばれた後に)看護師さんが簡単にハサミでユニホームを切るんで、切なかった(笑い)。確かに手首はバットを微妙なところでコントロールする重要なところ。手首の返しが早いかどうかで、ゴロになったり、フライになったり、ライナーになったり、打球の軌道も左右される。ただ僕は過程については、あれ大丈夫かなと細かく一つ一つチェックするけど、ゴールについては楽観的。時間がたてば、元に戻ると思っていた。ただし今でも微妙な違和感は残っている。大手術してメスを入れたんだから、それはしようがない。
>>復帰戦の4安打を含めて、復帰後は19試合で3割9分6厘、3本塁打、10打点。股を割って構え、重心も以前より低くなった新しい打撃フォームで、来季への手ごたえをつかんだのでは。
けがしたから、しようがないな、とは言われたくなかった。今まで以上のプレーヤーになって戻ってきたかった。(欠場している)4カ月の間に、例えば体重移動のことを考えているうちに、ああいうふうになった。バランスだとか、体重移動は永遠のテーマ。感覚だけでバーンといくのではなく、打ちにいくまで、いかに頭が体の動きをすべてコントロールできるか。それがうまくいけば、ボールを見る間ができるし、間ができれば、ボールを見極められて、確率よくシンに当てられる。
>>地区シリーズでタイガースに敗れ、今季もワールドシリーズ制覇はお預けとなった。
ちょっとあっけなかったですね。気持ちの準備の部分で、勝てるだろう、と思っちゃったところに大きな落とし穴があった。挑戦者の気持ちで来ているチームは、勢いに乗り出すと、強い。我々はそれに対して、踏ん張れなかった。
>>08年に北京五輪、09年には第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が行われる。出場するか否かは別にして、自分の中での位置づけを教えてほしい。
WBCは経験したことないから、位置づけできない。五輪もそう。ヤンキースでチャンピオンになること、それが100(%)。あとはゼロに等しい。ヤンキースでは毎年負けて終わっている。(3月の第1回WBC欠場は)悔いはない。日本も勝ったし、ぼくにとっては一番いい終わり方だった(笑い)。巨人からヤンキースへ来たときと同じで、批判が出ることは予想していた。でも何よりも大事なのは、自分の気持ちに正直になることだった。
>>レッドソックス入りが確実な松坂とは、02年日本シリーズで対戦している。印象は。
やっぱりスライダー。速くて曲がりが大きい。(今季ア・リーグ最多の47セーブを記録した)エンゼルスのフランシスコ・ロドリゲスみたいなスライダー。日本シリーズで僕は打ってない。ほかの選手はみんな打ってたけど(笑い)。警戒してるというのは伝わってきた。ヤンキースとレッドソックスという歴史のあるライバル関係の中で対決できるのは、僕にとっては興奮すること。彼にとっても、その中で投げられることはかなり幸せ。選ばれた人しかできないことですから。
これほどコンパクトにまとめられたインタビューも珍しいと思う。短いながらも、今年の松井を象徴する、WBC、左手首の骨折、復帰後の大活躍、地区シリーズ敗退を松井自身が自分の言葉で総括したものを読めたのは大変嬉しかった。そして、松井が松坂との対決を心待ちにしているのが節々に感じられる現在の心境を語ってくれたのにも感激した。行き詰るような一球一球の対決が、早くも目に浮かんでくるような気がしてくる。 もう冬なんて来なくていいから、球春よ、少しでも早くやって来い!!そんな気持ちにさせられた素晴らしいインタビューだった。
予防接種
すると、OKだと言われて、1週間後に行くことになった。
私は子供のころ、注射が大嫌いだった。風邪をひいて医者に行っても、注射を打つ段になると大声で泣き喚いたことを今でも覚えている。ひどい時には、母の手を振り払って走って逃げ帰ってきたこともあった。とにかく注射と言うものが大嫌いだったが、さすがに長じるにつれてそこまでいやではなくなった。まあ、今でも注射を打つとなると多少の緊張はするのだが・・
婦人科の病院に入るのは多少どきどきしたが、妻が受付をしてくれている間に問診表に体調についてのいくつかの質問に答えを書き込み、体温を測っているうちに名前を呼ばれた。他に患者はいなかったせいもあるが、びっくりするほど早い。待つことも、注射と同じくらい好きではない私にとっては、夢のような素早さだった。診察室に入って、70歳より少し前くらいの院長の前に座ると、胸に聴診器を当てられた。あまりに丁寧なので、自分の体に異常があるのかしらと訝しくなるほどだったが、何もコメントせずに左腕を捲り上げられて、さっと注射器が打ち込まれた。大して痛くなかった。昔は看護婦さんが注射をしてくれるものだったが、最近は医師がするようになっているんだな、とめったなことでは医者にかからない私は新しい発見をした気がした。
注射後異常がないか、20分ほど待っているようにと言われて、診察室を出た。昔と違って、注射のあとを腕でもむ必要もなく、そのままにしておくようにとも言われた。なのでボーっと椅子に腰を下ろして病院の中を眺めていたら、壁が淡いピンクに塗られていて、とてもきれいなのに気付いた。この病院は、数年前に産科はやめて婦人科だけにしたと言う話だが、それでも私の若い従姉妹たちがここ数年出産するときに入院していた、新しい産婦人科のような雰囲気はある。生まれたばかりの赤ん坊の顔を見に、何度か今風の産婦人科に見舞いに行ったことがあるが、行くたびに病室の豪華さに驚いたものだ。広くてBGMが流れ、生まれたばかりの赤ちゃんと母親を包み込むような雰囲気がある。母親の食事にはコース料理も出されることがあるらしいから、贅沢なものだ。たしかに出産というのは一大イベントであるから、それくらいの心遣いは必要であるのかもしれないが、私の子供たちが生まれた20年近くも前の産婦人科とは全く隔日の感がある。
いくら病院が落ち着ける雰囲気だと言っても、私にとって20分は長過ぎる。妻が気を利かせて、受付にもう帰っていいかときいてくれたら、看護婦さんが出てきて、「何ともないですか?」と私にたずねた。「はい」と答えたら、「それならもう帰ってもいいですよ」と言ってくれたので、無罪放免、一仕事終えた気持ちで病院を後にした。
これで私が息子にしてやれることは、受験したいと思う大学を自由に受けさせてやることだけになった。まあ、それがかなり大変なことなのだが、息子も息子なりに頑張っているから、親の私が弱音を吐くわけには行かない。最善が尽くせるような環境だけは作ってやれるよう努力するだけだ。
それにしても注射のあとが痛い。
銀行
その手続きはとても簡単だ。申し込み用紙の所定の箇所に、預金者名・金融機関名・口座番号を記入し、捨印を含めて3箇所に捺印をするだけでいい。その書類を私の所に提出してもらって、振り替えを依頼してある地元の信用金庫まで私が持っていく。銀行・郵便局などどんな金融機関からも振り替えができるようになっているので、とても便利である。また、子供にお金の仲立ちをさせないだけ安心でもある。しかし、相手はお堅い銀行である。私が持っていった申込書に少しでも不備があると、すぐに電話がかかってきて、やり直しをするよう求められる。それを私が受け取りに出向いて、生徒の父兄に書き直してもらうように頼むことになる。だいたいは印鑑の押し忘れの場合が多いのだが、これくらいなら大目に見てよ、と言いたいくらいの、わずかなかすれでも印鑑が不鮮明だとつき返される。私としては、もう一度父兄の手を煩わせるのは余りいい気がしないのだけれど、そんな容赦をしてくれる相手ではない。至極慇懃な口調ではあるが、断固として妥協してくれない。それはお金を扱う金融機関としては当然の姿勢なのであろうが、どうにも融通の利かない態度に見えてしまう。
印鑑とともに最近多くなってきたのが、銀行名や支店名の書き間違えである。銀行の再編が進み、支店の統廃合が常態化している昨今、起こっても仕方ない間違いだと私などは思ってしまう。特に印象的なのが、「三菱東京UFJ銀行」を「東京三菱銀行」と書き間違えてしまった父兄がいたことである。私や妻は、今でも旧来の「東海銀行」と呼んでしまうのだが、どうしてまたこんな長ったらしい名前をいつまでも続けているのだろう。三菱が先か、東京が先か、なんてことは私たち利用者にはまったくどうでもいいことだ。合併時の力関係をそのまま表しているとしか思えないこんな名前など、さっさと改名してしまえばいいのに、といつも思ってしまう。第一勧銀と富士銀行・日本興業銀行が合併して「みずほ銀行」になったように、まったく別の名前にしてしまえばすっきりしていいのにと、思う人はきっとたくさんいるだろう。(保険会社の「東京海上日動」も何とかしろよと言いたくなる)
などと、不平を言っていたら、折りしも大手4銀行の2006年9月中間連結決算というものが発表され、4グループ合計で、1兆303億円の最終利益があったと報道された。このニュースを知った人は誰もが釈然としない思いを抱いたことだろう。不良債権の処理問題で、公的資金=税金を惜しげもなくつぎ込んでもらい、なんとか命脈を保つことのできた銀行が、合併などで資本の統合を図りながら、巨大銀行化していく中で、さらに法人税の納入を免除されるという手厚い保護を受けながら、ここまでの利益を上げたというのだから、どう評価したらいいのか唖然としてしまう。その大きな利益を私たち預金者に還元するというのならまだしも、政治献金の再開を検討しているというのだから、まさしく開いた口がふさがらない。いったい誰のための銀行なんだろう。
世の中、厚顔無恥な輩が大手を振って歩いているが、その最たるものが銀行だ、などと言っては、銀行振り替えの利用を差し止められてしまうかもしれない。しかし、そう文句を言いたくなるのも当然のような気がする。
でも、「りそな銀行」の「りそな」ってどういう意味なんだろう。
「Very」マップ
「なまら」--- 北海道・新潟
「たんげ」--- 青森
「いきなり」--- 宮城
「まっさか」--- 群馬
「あんもかんも」--- 千葉
「えーかん」--- 静岡
「でら」--- 愛知
「むっちゃ」--- 三重
「えらい」--- 大阪・京都・兵庫・和歌山
「めっちゃ」「ごっつう」--- 大阪
「ぼっけえ」--- 岡山
「ぶち」--- 広島・山口
「ばり」--- 福岡
「ばさら」--- 福岡・熊本
「ちかっぱ」--- 福岡・長崎
「がばい」--- 佐賀
「いじ」--- 長崎
「まーごつ」「むしゃんごつ」--- 熊本
「しんけん」--- 大分
「てげ」--- 宮崎
「わっぜ」--- 鹿児島
「れーじな」「しに」--- 沖縄
もちろんこれ以外の地方にも独特な言い方があるだろうが、毎日新聞の読者アンケートに寄せられた表現だけを取り上げているので、これだけしか書かれていない。もっと多くの地方の言葉が集められたらもっと興味深いだろう。
この中の表現で、関西の「めっちゃ」「ごっつう」「えらい」などは、関西のお笑いタレントなどが始終使っているので、結構耳慣れているが、他の言葉はほとんど聞いたことがない。愛知県の「でら」というのも他の地域の人にしてみればきっと変な表現なのだろう。しかし、私のように愛知県に住む者にはごく当たり前の表現であり、誰もが使う言葉だと思う。
もともと「very」の意味を表す「どえらい」という言葉が、名古屋なまりで「どえりゃあ」となり、さらになまっていって「でぇーらー」となって、これが短くされて「でら」になったのではないか、などと何の根拠もない思いつきを書いてみたが、ビールに「でらうま」(とてもおいしい)というこの地域限定のものがあるくらい、この「でら」は浸透しているように思う。ちなみに、
「今日はでぇーらー寒いがね。風邪ひかんように気ィつけんといかんよ」(きょうはとても寒いです。風邪を引かないよう気をつけてください)
などという使い方をする。これに対して、
「ありがと。おみゃーさんも気ィつけやあよ」(ありがとう。あなたも気をつけてください)
と答えることができれば一人前の名古屋人のような気がする。
上の会話を各地の方言を使って言ったらどんな言い方になるのだろうか。聞いてみたい気がする。
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