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今年のモットー'25

 今年のモットーは何にしようか新年になってからずっと悩んでいた。というよりも、何も思い浮かばなかった。何か目標にすべきことも思いつかず、かと言って心にもないことで自分を縛りたくもないから、もう何か適当なことでお茶を濁せばいいかなという気もしていた。
 
 しかし、今週になって突然、来年3月で塾の形態を大きく変えようと心に決めたので、それじゃあ、今年は有終の美を飾る年にしなければならず、そのためには元気に動くことが一番大事だと思い至った。そこで、今年のモットーは、シンプルに決めた。



 一年かけて、塾の新体制をしっかりしたものにできるよう色々考えていかねばならないだろう。それは、考えようによっては、寂しいことかもしれないけれど、今の私は新体制にうまく移行できるか、ちょっとワクワクし始めている。たーんじゅん!

 まあ、とにかく元気に頑張っていこう!!
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おみくじ '25

 冬期講習が終わり、時間にゆとりができたので、地元の産神神社へ初詣に行った。
 家族のこと、塾のことなど恙なく暮らせるよう心から祈った。
 
 もちろんおみくじも引いた。



 確かここ2年連続で大吉を引いていたはずだが、なんと今年も見事大吉!!素晴らしい。
 しかも書いてある言葉がなかなか良い。

「ふる雨は
あとなく晴れて
のどかにも
ひかげさしそう
山ざくらばな」

「御祐助をこうむって 福徳増しなお日に進んで望事は心のままになる
しかしそれについて心驕り身を持ち 崩して災を招く恐れあり
心正直に行い正しく身を守りなさい」

 本当にその通り。調子に乗らず、地道に生きていこう。大きなことは望まないけど、少しでも楽に過ごせるようになりたい。そのためには身の回りに細心の注意を払って、失敗が一つでも少なくなるよう注意しなければならない。頑張ろう!!
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今日で・・

 娘家族が帰った。寂しくなる。  

 冬期講習が終わった。ちょっと楽になる。

 また頑張ろう。
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新春雑感

 「今時の世人を見るに、果報もよく、家をも起こす人は、皆、心正直に、人のために善きなり。故に、家を保ち、子孫までも昌ゆるなり。心に曲節あつて、人のために悪しき人は、たとひ、一旦は果報もよく、家をも保てるやうなれども、終には悪しきなり。たとひ、一期は無事にて過ごすやうなれども、子孫必ず衰微するなり。
 また、人のために善き事をして、その人に善しと思はれ、喜ばれんと思うてするは、悪しきに比すれば、膨れたるに似たれども、なほ、これは、自身を思うて、人のために真に善をなすには非ざるなり。その人には知られざれども、人のために好き事をなし、乃至、未来までも、誰がためとも思はざれども、人のために善からんことを仕置きなんずるを、誠の善人とはいふなり。」
(『正法眼蔵随聞記」による)

 こんな説教くさい文を中学3年生の模擬試験の問題にするのはどうかと思うけど、孫が3人いる私にはちょっと重い。「家」などという観念は全く持っていない私だけど、私のしてきたことの因果が可愛い3人に及ぶのだけは勘弁してほしいなあ、と切に願う。
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吉凶占い ’25

 塾に飾った鏡餅の割れ方で吉凶占いをする恒例の行事。昨年は忘れたみたいだから、今年は復活させようと思った。で、今年はこんな感じ。



 きれいに大きなひびは入っているけど、中央付近にまで達していない。これをどう読みとったいいのだろう。
 よく分からなかった私は、参考にしてみよとうと、2年前の凶占いを見てみた。すると、人生最悪の年だった2年前にはひび割れが中央を縦断していた。なるほど、
中央付近まで達しているのは悪い予兆なんだろうと推測できた。ならば今年はさほどのことは起こらないと思っても良さそうだ。もうこの年になると、よいことは起こらなくてもいい、悪いことさえ起こらなければ十分だ。なかなか良い占いが出てよかった。
 
 よし、これで今年も頑張ろうという気になれた。頑張るぞ!!
 
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大晦日

 今年も頑張った。

 それも妻の力を借りてのこと。

 来年もまた頑張るんで、よろしく!

 

 
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ヤバすぎ!

石丸はそれでも知事になれなかった。だけど、斎藤はホラッチョの力を借りて知事に返り咲いた。どう考えてもホラッチョのホラを信じた人が多かったとしか思えない。
大丈夫か、これで。誰がどう見てもホラとしか思えないことでも大きな声で言い張ればそれが真実らしくなって人々が信じてしまう。本当にこれでいいのか?
イヤな世の中になったとヘタれるのは簡単だけど、それだけじゃどうにもならないフェイズに入ってしまった気がする。
ヤバい、本当にヤバい。
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ニーバーの祈りの言葉


THE SERENITY PRAYER

O God, give us
serenity to accept what cannot be changed,
courage to change what should be changed,
and wisdom to distinguish the one from the other.

Reinhold Niebuhr
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シール

 子供や孫は今日で皆帰ってしまった。また妻との2人の静かな生活に戻る、と書こうと思ったけど、妻1人いるだけでもなかなか騒がしい毎日となることは分かっているから、さほど寂しさは感じない。まあ、色々とやることだらけだから、忙しく日々を過ごせていければいいのかな、と思わないでもない.
 でも、こんなものを見ると、楽しかった数日が思い出されて、心が和む。



 1才9ヶ月になった孫娘が私のiPadのカバーにシールを貼ってくれた.小さな指先で嬉しそうにせっせと貼ってくれたこの小さなシールたち、いつまで落ちずにいてくれるのか、甚だ心許ないが、なんとか次に会うときまで剥がれないでいてくれるといいなあ・・。

 そうだ、剥がれ落ちたら接着剤を使って貼り直していけばいいや!
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一年経って・・。

 10才下の弟が突然亡くなって今日で一年経った。一年祭は日曜日に済ませた。半年ぶりに会った弟家族が皆元気そうで良かった。それだけは少しだけ安心した。
 しかし、この一年、弟のことを思わない日は一日もなかった。生まれたばかりの頃、学校に通うようになった頃、会社に入って社会人となった頃、結婚し家族ができた頃、体が不調になり始めた頃・・、何度も何度も思い返し、その度に涙があふれ出てきた。いったいいつまで悲しいんだろうと思いもしたが、きっともうこの悲しさ、寂しさからは逃れられないんだろうと思う。とにかく辛い。
 私にとって弟がこんなにも大切な存在だったことを弟をなくして初めて気付いたのだから、己の迂闊さには辟易してしまう。
 
 一年弟に会えないできたわけだが、これから先も私が生きている間は二度と弟の顔を見て話をすることはできないのだから、この喪失感はさらに深くなっていくのだろう。なかなか辛いことだが、何とか耐えていかねばならない。イヤだなあ、本当に・・。
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